ここ最近、打ち合わせや久しぶりの面会やミーティング等が多いからなのか、殆どの人が現在の同僚や部下等の仕事に対する価値観の違いの話をするので、そういう話を聞く機会がやたらとある。

勿論、昨夜も、教室で師範級が仕事後にやって来て社中内の事の進め方を説教(笑)+事情聴取しながら見ていても、それぞれの一つの言葉の使い方や『事』に対しての価値観の当たり方の違いに正直に、かなりの違和感を覚えながら話していたのも事実だ。

勿論、社中では一度決めた約束事を守らないと俺は怒るが(笑)、同じ「華」をしていてもこういう風に違うのか…と、改めて感じたりもした。

ただ、俺が昨夜思ったのは…

うちの生徒の師範級は、素直にかわいいと思える存在であると、流石にいつも、本当は人嫌いの弁慶(妻)が(笑)何が起きても(笑)俺の激怒から彼女達を庇う訳だ…とは思った。

俺が、頑固で嘘が嫌いだから生徒も逃げ道が無いから(笑)可哀想な気がするが、俺は折角、俺の花教室に来てるならきちんと「華道」をして欲しいと思っているのだ。

俺の教室は「サロン」じゃないから(笑)、『道場』だからね。

だから、自由なのだから。

「花」から、「華」を学ぶ『場』を決して失わないで欲しいのだ。

そんな『場』は人生には滅多に無いからね。

ここの所、沢山会った人びとと話す中で一番多くが言うことは、余りに最近は仕事でも、安易に簡単に「辞める」と言い出す奴が多いと言う事だった。

「決心」をして何かを始めたら、いつか、心の中を自分が悟って目覚める事を望むから「覚悟」が出来る。そうなったら、其を続けるために色々なものを捨てたり、失ったりしながら多くの「決断」をして行く… その繰り返しの中で自分の「道」が自分が歩いた後ろに出来てくる。

其が「仕事」であり『人生』。

「仕事」と「労働」は違う。

「労働」だから…簡単に「辞める」と言えるのだと思う。
「労働」だから…生活があるから「辞める」と言えない。

これが現実。

「仕事」をするのか、「労働」を選ぶのか、其は自由であり…運命かもしれない。運命だから、自分次第で変える事が出来る。

だから…俺の場合は、亡き親父にも言われたのだけれども、「辞める」と言う言葉を出すのは、あがいてあがいて本当に最後の最後に言う事だと思っている。其を言った瞬間からその「場」も「道」も無くなると言う事。だから、一瞬の思い込みや、カッとなったり、一事の感情で、その言葉を発するなと言う事。

言葉には責任がある…

だからこそ、そういう言葉を下手に使うなと思う。

ある人は、「全く、全体を見ないで感情論だけで、辞めるって直ぐに今の奴は言うからね。」と呑みながら言っていたが…

(笑)俺は、内心「俺なら、辞める、って言葉を部下から聞いた瞬間、終わってんだけど。」…と思っていた。

やっぱり…俺ってキツイのかな。(笑)

仕方無い、「華道家・芸術家」が俺の『仕事』で、会社の経営者が俺の『職業』だからね。

そう、甘くは無いのは確かだ。(爆)

でもね、一番怖い事は、言葉は使い方間違えた瞬間に、決して元には戻らないって事だよ。