我が国の
梅の花とは見つれども
大宮人はいかがいふらむ
この歌は、安倍総理の先祖とされる安倍宗任(あべ の むねとう)が詠んだ歌です。
前九年の役
(1051年~1062年 平安時代後期 戦場になったのは主に現在の岩手県)で、
安倍一族は、朝廷に反旗を翻しますが、敗れます。
一族の中でも重要な存在だった宗任は、捕らえられ、都に護送されます。
当時、東北は辺境と見られており、安倍一族も蝦夷(えみし)と言われ、
野蛮人と見なされていました。
宗任に対して、ある貴族が、「この花は何か」と梅の小枝を見せました。
そのときに詠んだのが、冒頭の歌です。
「野蛮人だから、花の名前さえ知らないだろう」
と思っていた貴族は、非常に驚いたようです。
和歌は教養がないと作れませんから、
和歌を作れるということ自体が、一定の教養をもつ証拠となるわけです。
宗任は、知勇兼備の武将であったようです。
宗任は、殺されることなく、伊予国に配流され、のちに筑前国に配流されました。
宗任の三男、季任の子孫、松浦高俊は、源平の合戦で平家方についたため、
現在の山口県に配流されました。
山口県出身の安倍総理が、岩手県に勢力をもっていた安倍一族の子孫だというのは、
ちょっと不思議な感じがしますが、こういう背景があったのです。
安倍宗任 (ウィキペディアより転載)
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