石原氏と戦略的アプローチ | 朝倉新哉の研究室

朝倉新哉の研究室

全ては日本を強くするために…

石原慎太郎氏が、都知事を辞任し、国政に復帰することを表明しました。


国家戦略研究
http://netnewsnow.blog.so-net.ne.jp/2012-10-25より転載


石原氏は、「国民に増税を求める前に、官僚が身を切れ」

という考えの持ち主のようです。

(TVでそんな感じの発言をしていました)

官僚が身を切る、とは、公務員を減らすことであり、

政府の規模を小さくする、ということです。

公務員を減らす、つまり、リストラするということです。

民間に働き口がたくさんある好景気のときなら、いいですが、

不景気のときは、民間の働き口は少なくなっていますよね。

そんなときに失業者を増やして、どうしようというんでしょうか。


財政再建のため、政府の支出を減らさなければならない、

として、

政府の規模が大きいから、小さくしなければならない→公務員の数を減らさなければならない、

ということになって、公務員がリストラされたとします。

もともと不景気で失業者が多いのです。

そこへ公務員をリストラされた人たちが、新たに失業者となるわけです。

不景気で少なくなっている民間の働き口を、

もともといた失業者と新たな失業者(元公務員)で、奪いあうことになるのではないでしょうか。

生活保護の受給者も増えるのではないでしょうか。

生活保護受給者が過去最高になって問題視されているのに、

もっと受給者を増やすような”公務員リストラ”をやって、どうしようというんでしょう。

やるべきことは、全く逆です。

『国債を刷れ!』で、廣宮孝信さんが述べているように、

失業者を臨時の公務員として雇うことです。

公務員を減らすのではなく、全く逆に、増やすことで失業者を救済するのです。

そうすれば、生活保護の受給者も減らせます。

http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE87K02T20120821

で、アメリカのローレンス・H・サマーズ元財務長官は、

「今後は大きな政府にならざるをえない」

と述べています。

”自由主義の権化”ともいうべきアメリカでさえ、

そのような考え方が出てきています。

(自由主義と小さな政府志向はイコールといっても過言ではありません)

失業者を臨時の公務員として雇うということは、”大きな政府”にする、ということです。

一方、みんなの党や日本維新の会は、”小さな政府”を主張しています。


政府の規模は、どうあるべきなのでしょうか?

大きな政府がいいのか?小さな政府がいいのか?


不景気のときは、大きな政府

好景気のときは、小さな政府

というのが、”正解”だと思います。

経済状況によって規模を変えるのが”正解”だと思います。


廣宮孝信さんのブログに、

”大きな政府でもなく、小さな政府でもなく、効果的な政府”

という文言がありました。

規模はどうでもいいのです。

経済を健全に運営できるかどうかのほうが大事なのです。

規模が大きくても、経済運営を効果的にできないなら、ダメだし、

規模が小さくても、効果的にできるならOKです。

しかし、規模が小さくて、経済運営がうまくいかず、

規模を大きくして、うまくいったなら、それは大きいほうがいいわけです。


前半の、公務員のリストラと失業者の話でわかると思いますが、

不景気のときは、民間企業はリストラをしますが、政府までリストラしたら、

失業者がより増えるだけです。

生活保護の受給者も増えるという問題も生じます。

だから、不景気のときに、”小さな政府”を志向してはいけないのです。

失業者を臨時の公務員として雇えば、”大きな政府”になります。

しかし、失業者は減り、生活保護受給者も減るでしょう。

「失業するかもしれない」

という不安が減りますから、個人消費が増えることも期待できますし、

自殺も確実に減るでしょう。

(自殺の最大の原因は経済問題つまり失業問題です。
 失業を減らし、雇用を安定させれば、自殺はかなり減らせるはずです)

景気がよくなってきたら、民間が人手不足になりますから、

今度は、公務員を減らすべきです。

そうなると、政府の規模は小さくなります。

ですから、

不景気のときは、大きな政府

好景気のときは、小さな政府

政府の適正規模は、経済状況によって変わる

というのが、”正解”だと思います。

みんなの党や維新の会のように、”どんなときでも小さな政府が正しい”とか、

逆に、”どんなときでも大きな政府が正しい”、

というのは、どちらも間違いです。


景気をよくする、失業者を減らす、という目的のために役立つ方策として、

政府の規模を大きくするのがいいのか、小さくするのがいいのか、

を考えるべきなのです。

順番が逆なのです。

政府の規模を大きくするべきか、小さくするべきか、が先に来てしまっているのです。


”戦略的アプローチ”をとらないから、そういう間違いが起こるのだと思います。

”戦略的アプローチ”とは、

”目的や目標を設定して、
 それを実現するのに、効果がありそうな理論や技術や知見を結集して、
 目的(目標)実現を図る”

ということです。

これは、誰かが言ったわけでもなく、何かの本で読んだのでもなく、

私が考え出したことです。

ウィキペディアには、

>英語の strategy とは「特定の目的に対する枠組みや方向性」を指すので、
>厳密な訳は「方策」が正しい

とありました。

私は、

戦略とは、”勝つ”ための方法論、”勝つ”ための術策の集大成、

ではないか、と考えていました。

”勝つ”ということは、”目的を達成する”ということです。

そして、strategyが”方策”であるなら、
 
戦略とは、「目的(や目標)を達成するための方策」ということになります。

大事なのは、目的(や目標)の達成です。

目的を達成するために役立ちそうな理論や技術や知見を、いろんな分野から集めてきて、

うまく組み合わせて効果があがる(=目的を達成する)ようにする、

それが私が考える”戦略的アプローチ”です。

この程度の柔軟さをも持ち合わせていないのが、”小さな政府”論者です。

「政府の規模は小さくするべき」という思い込みが強く、

はっきり言って彼らのせいで、日本は正しい経済政策が打てないでいる、

と言っても過言ではありません。

石原氏もこのような勘違いをしているのではないか?

という節があるので、石原氏を手放しで支持することはできません。

(天皇に対する考え方もちょっと変なところがあるので、
 それも支持できない理由の1つです)



”大きな政府でもなく小さな政府でもなく効果的な政府”

”不景気のときは大きな政府、好景気のときは小さな政府”

”政府の適正規模は経済状況によって変わる”

ご納得いただけたらクリックをお願いします。
(できれば両方とも)

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログ 政策研究・政策提言へ
にほんブログ村