防共回廊工作の反省点 | 朝倉新哉の研究室

朝倉新哉の研究室

全ては日本を強くするために…

『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』からの引用です。

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1937年7月7日。
北京郊外の盧溝橋で響いた一発の銃声から、日中両国は交戦状態に突入した。
東條兵団はチャハル作戦を展開し、内モンゴルの主要都市を占領した。

これを踏まえ、10月28日、ウランチャブ盟の盟長ユンタンワンチョク王(漢語名「雲王」)を
主席、徳王(*)を副主席とする蒙古連合自治政府が成立した。

 *徳王とは
 ドムチュクドンロプ王が正しい名前。徳王は漢語の略称。
 1902年生まれ。チンギス・ハーンの血筋を引く名門の出身。
 6歳で爵位を継承。18歳でシリンゴル盟の施政を執り、23歳でシリンゴル盟の副盟長に就任。
 凡庸な人物が多かった内モンゴルの王公のなかでは、能力、胆力ともに傑出した存在だった。

モンゴル人による自治政府の人事権は関東軍に握られ、
その内面指導を仰がなければならなかったのはまぎれもない事実である。

内面指導とは満洲帝国で導入されていた制度で、各部署に配属された日本人顧問が
実質的な決定権を掌握するという仕組みになっていた。

蒙古連合自治政府には、金井章次という軍歴がまったくない民間人が最高顧問に就任した。
金井は五族協和運動を長年実践してきた活動家としての経歴を誇っていたが、
内モンゴルの事情には疎いうえ、
「モンゴル独立などもってのほか」という態度だったため、徳王とことごとく軋轢を起こした。

モンゴル工作一筋でやってきた諜報員、内田勇四郎は自治政府の参事官に採用されていたが、
「蒙古人の蒙古をつくるんだなどと言ったら日本人の物笑いになりそうな形勢になっていった」
と嘆いている。
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国家戦略研究
『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』より転載

防共回廊工作失敗の原因は、このへんにありそうです。

しかし、それでも、日本が全面的に悪いわけではありません。

再び『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』からの引用です。
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当時の中国国民党は蒋介石であれ汪兆銘であれ、内モンゴルはもちろん
外モンゴルさえ独立を承認しない方針だったため、
汪兆銘は蒙古連合自治政府をあくまでも南京政権の主権下の一地方政権として扱い、
日本もこれを容認した。
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汪兆銘とは、蒋介石と袂を分かち、1940年に日本の後押しによって

”南京国民政府”を樹立した人物です。


南京国民政府(汪兆銘政権)の支配領域”NANJING”と書いてある赤い部分
国家戦略研究
ウィキペディアより転載


汪兆銘は、親日政権である南京国民政府を作りましたが、

モンゴルについては、外モンゴルでさえ、独立を認めない、

つまり、”モンゴルは(内も外も)中国の一部だ”と考えていたのです。

日本寄りの汪兆銘でさえこうですから、蒋介石は推して知るべしです。

ウィキペディアからの引用です。
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1912年1月1日に孫文が臨時大総統就任宣言で
「漢満蒙回蔵ノ諸他ヲ合シテ一国トナシ、漢満蒙回蔵ノ諸族ヲ合シテ一人ノ如カラントス」
として清王朝の支配下にあった地域を統合しようとし、
1921年に孫文は三民主義の具体的方策の中で
「漢族ヲ以テ中心トナシ、満蒙回蔵四族ヲ全部我等ニ同化セシム」
として満州人・モンゴル人・ウイグル人・チベット人を同化することを提唱した。
1925年には孫文は、外来民族は一千万しかいないとして、
4億人のほとんどが漢民族であるので中国人は完全な単一民族であるとした演説を行っている
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汪兆銘も蒋介石もこの孫文の考えに従っていたのです。

”満蒙回蔵四族ヲ全部我等ニ同化セシム”

今の中国がチベットやウイグルに対して何をしているかを見れば、

この”同化”が何を意味するかわかります。

汪にしても、蒋にしても、

中国全土(シナ+満洲+東トルキスタン+モンゴル+チベット+台湾)を支配下に置いたあと、

少数民族に対して、今の中国と同じことをするだろうと考えられます。

それに比べれば、”内面指導”を仰がなければならなかったとはいえ、

一応独立を認めた日本は、ずっとましだったと言えるわけです。

”戦前の日本は全て悪”と見なす”戦後の価値観”からすれば、

内面指導という仕組みがある以上、傀儡政権じゃないか、

ということになるでしょう。

しかし、ソ連が誕生し、外モンゴルがモンゴル人民共和国となってしまっている状況では、

共産勢力の南下を抑えるために、満洲、蒙古連合自治政府の国力を増大させ、

”防波堤”の役割をしてもらわなくてはなりません。

モンゴル人だけでは、経済建設、国力増大はなかなか進まなかったと思います。

内面指導は、国力がつくまでの一時的な措置だったと考えることもできます。


時代状況により、やむをえなかったとはいえ、

独立を熱望していた徳王を失望させてしまったことは事実です。

親日回廊工作では、このあたりを反省点として踏まえて、

モンゴル工作の具体策を練るべきだと思います。

戦前全否定からは何も生まれません。

防共回廊工作のよかった点、悪かった点、全てを今後の工作に活かすべきなのです。

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