対中国戦略 その2 ~帝国陸軍見果てぬ防共回廊~ | 朝倉新哉の研究室

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全ては日本を強くするために…

『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』 関岡英之 祥伝社

からの引用です。

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私は、戦前の日本がチベットのみならずモンゴルやウイグルなどとも
浅からぬ関係を構築していたことを知った。

モンゴル、ウイグルの独立を支援して反共親日国家群を樹立し、
ソ連の南下を防ぎ、中国共産党との連携を遮断し、
東アジアの赤化を阻止するという壮大な構想に基づいていた。
これを「防共回廊」構想という。
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この本の帯には、

>満洲-モンゴル-ウイグル
>親日国家群を樹立せよ

とあります。

私はこの文言を見て、「これこそ対中国戦略の要じゃないか?」

と思いました。

”防共”とか”反共”とか”赤化”という言葉になじみがない方も

いるかもしれません。

”共”は、共産主義の”共”です。

1919年3月、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)の呼びかけで、

コミンテルンが結成されました。

コミンテルンとは、

別名、第三インターナショナル、共産主義インターナショナル、国際共産党で、

共産主義政党の国際組織です。

”世界革命”の実現を目指し、

ソ連政府は資本主義諸国の政府と外交関係を結ぶが、

コミンテルンは各国の革命運動を支援する、という”役割分担”をして、

各国で共産革命を起こし、共産主義国を増やしていこうとしていました。

”赤化”とは、共産革命を起こして、その国を共産主義化してしまうことを

言います。


再び『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』からの引用です。

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当時の国際情勢を見渡せば、日本の安全保障の根幹に関わる、
より重大な事態が生じていたことに注目せざるを得ない。
それは外モンゴルの共産化である。

(朝倉注:外モンゴルとは現在のモンゴル国にあたる地域です)

1921年、外モンゴルの首都フレーにコミンテルン代表が送り込まれて
モンゴル革命が引き起こされ、初代首相ボグド・ハーンは軟禁状態に置かれた。
1924年にボグド・ハーンが崩御すると、
モンゴル人民党はモンゴル人民共和国の成立を宣言

人民政府は君主制を廃止すると同時に、八代270年も続いてきた
活仏制度をも廃絶

更にラマ僧の特権を剥奪し、寺院の財産を没収し、
出家に許可制を導入するなど過激な宗教弾圧政策を展開した。

初代内務大臣に就任したチョイバルサンは
多くの政治家、僧侶、知識人を処刑して独裁者となり、
1952年に死亡するまでの13年間、スターリン顔負けの恐怖政治を敷いた。
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以下は、

『日本人として最低限知っておきたい【Q&A】近現代史の必須知識』
水野靖夫著 渡部昇一監修 PHP

からの引用です。

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尼港事件

1920年3月、樺太の対岸にある尼港(ニコライエフスク)の
7百数十名の日本人居留民・陸軍守備隊が、
突如4000人からの共産パルチザンに包囲襲撃された。
日本は雪解けを待って救援軍を派遣したが、
その前に尼港市民のうち、共産主義に同調しない約6000人が虐殺され、
うち日本人7百数十名が、凌辱暴行され虐殺された。

1922年コミンテルンの世界大会で「君主制の廃止」を決議したが、
ロシアでロマノフ王朝の王族がその愛馬に至るまで
ことごとく惨殺されたことから、
日本人は皇室の廃止と皇族の虐殺を恐れた。

共産主義には暴力・大量殺人・大量犠牲が付き物である。
スターリンのソ連では、2000万~5000万人が虐殺された。
毛沢東の中華人民共和国では、大躍進政策で2000万人の餓死者を出し、
文化大革命では2600万人もの犠牲者を出し、
さらにチベットでは128万人が殺害されている。
ポル・ポト派のカンボジアでは、250万人が虐殺された。
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日本が”赤化”を恐れ、

共産主義を防ぐための”防共”を推し進めるようになったのは、

当然であることがわかると思います。


今度は、『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』からの引用です。

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世界革命を目論むコミンテルンの策謀によって引き起こされた外モンゴルの共産化は、
東アジアの勢力均衡を大きく崩したばかりではない。

外モンゴルに隣接する満洲にもし共産主義が浸透すれば、
それは必ずや満洲の接壌地である朝鮮に波及する。
朝鮮が共産化すれば、ソ連の影響力は直ちに日本の本土にまで及ぶことになる。
そうした安全保障上の重大な脅威が迫っていたことを忘れてはならない。

満洲国には「ソ連による赤化防止の前線基地」という役割もあった

モンゴル学の専門家、田中克彦氏は
「満洲国は日本の傀儡国家だった」とする立場だが、
モンゴル人民共和国もソ連の傀儡国家だったという点では同罪で、
しかも独裁政権の圧政に苦しむ外モンゴルのモンゴル人から見れば、
満洲国内のモンゴル人たちの境遇はまだましどころか、
文字通りの「王道楽土」に見えたはずだと指摘している。

日本はなぜこれほどモンゴル人に気を使ったのか。
満洲をおさえただけでは外モンゴルからの赤化の浸透を阻止することはできない。
ソ連共産勢力の南下を遮断するには、どうしても外モンゴルに連なる
内モンゴルを日本の勢力圏に組み込む必要があった。

満蒙史の専門家、森久男氏は、日本陸軍の大陸政策を
「侵略の野望と領土拡張欲の自己展開」と決めつけるのではなく、
陸軍の内在的論理を考察し、
「中国侵略計画のように見える種々の施策は、
 いずれも対ソ連防衛体制を構築するための手段として位置づけられている」
という事実を歪曲することなく直視するという研究姿勢を貫いている。

陸軍きってのモンゴル通といわれた松室孝良大佐は、
モンゴル人の漢人に対する民族的反感は予想以上で、
今や満洲国の創建を見て、
「支那より分離して蒙古独立を策せんとする機運勃然として興り、
 帝国の助力を希う(ねがう)叫びは全内蒙古に横溢しつつある現状なれば、
 帝国の後援により蒙古独立の完成は容易」
であり、外モンゴルがソ連の後方支援によって独立したごとく、
内モンゴルも日本及び満洲国の援助によって、
中華民国から離脱して独立を企図せんとするのはごく自然の勢いであると説く。

モンゴル国家の成立は、甘粛省、東トルキスタン(新疆)などの
イスラーム系民族の奮起を促して必然的に「回教国」の建設機運を助成し、
ここに中国本土の外側をめぐって、
日本を中心とする満州国、モンゴル、回教国、チベットの環状連盟を形成し、
中国をして日本と提携せざるを得ない状況に導く。
更にこの環状連盟が、外モンゴル、中央アジア、ペルシャ、インド、インドシナに与える
政治的影響は絶大であり、
ついには全アジア民族の奮起を促し、アジア復興を達成し得ること夢想に非ざるべし…云々。
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”環状連盟”を地図にすると大体こんな感じになります。
東トルキスタン(ウイグル)が”回教国”に相当します。
(満洲国の範囲が実際より狭くなっていますが…)
国家戦略研究


以上見てきたように、防共回廊工作は、

共産主義の脅威に対抗することと、

支那事変の解決のため、

という主に2つの目的のために考え出されたものでした。

そして、この工作が成功した先には、日本および全アジア人共通の願いである、

西洋による支配からの脱却、という大義実現を見据えていたのです。

>全アジア民族の奮起を促し、アジア復興を達成

という文言から、それは読み取れます。


この防共回廊工作を参考に、中国の脅威を取り除くための工作

新・防共回廊工作を展開すべきです。

新・防共回廊工作では長いので、仮に、親日回廊工作と呼ぶことにします。

中国の圧政に苦しむ被支配民族を助け、その国を親日国家として独立させる、

そういう意味で、親日回廊と呼ぶことにします。

親日回廊の構築は、

日本にとっては、中国の脅威を取り除くことになるし、

チベット人、ウイグル人、満洲人にとっては悲願である独立を回復することであるし、

内モンゴルのモンゴル人にとっては、モンゴル本国との統一という悲願の達成であり、

台湾人にとっては、大陸中国の脅威からの解放(と同時に独立の達成)

という6者共通の利益の実現に資することなのです。

中国を内部分裂させ、共産党政権を倒すこの工作は、”謀略”ではありますが、

上記した被支配民族の願望実現の手助けであり、

あまり、謀略らしい謀略とは言えません。

英領マレーやオランダ領東インド(現インドネシア)などを解放したときのように、

イギリスやオランダに支配されて苦しんでいる人々を助けるために行った謀略と

よく似ています。

抑圧されている被支配民族の解放という本質は同じです。

こういう謀略は、”日本人向きの謀略”ではないかと思うのです。

スパイを養成していた陸軍中野学校では、

「謀略は”誠”なり」

と教えていたそうですから…。


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