”天才写真家岩谷薫氏のブログから神様が見えるという話”
本日は100年前のオールドルアーを気合入れて修復をするぜ!と思っていたのですが。笑
(註:そう、文化遺産修復も当時の想念を引き受けケアしてあげる大切な行為です。シャーマンとして天使像も石棺仏も、古い物の想念が好きで聞こえます。時間は、実は関係がありません。常に私は「Talking with 」です。大切なのは時間を超えた想念かと…)
日置教授が誠実に、リブログしていただき恐縮ですので、オールドルアーのSOSを差し置き、その現世の想念を受け、思った事をかきます。そうです、時間は関係がありません…
(そもそも、前回のポストでシバラク放置しておくぜ…しばらく書く気なんてモウ無いからな!! とも思っていたのですが…笑 もう、ワカランやつにはウンザリ… 私の作品を理解できない人間界に、重々疲れて(軽蔑)いるので… でも、誠実に御反応のある、きれいなハートの御仁の想念には反応したいと思います…)
> 岩谷氏のお母様は霊が見えるということなので、
母は、毎日、様々な幽霊が見えていて、私は全く飽きませんし、笑えます!
地面の下に、あるはずの無い何百段もの階段が見え、そこから毎日、幽霊が出入りしていたり、昨日は地面に沈んで行く幽霊を見たり… 近頃では顔見知りの幽霊から、2度も母は「挨拶」すらされました!笑!
その時、母は私に言うのです「何で、アンタは挨拶しないの?」と。笑!
「見えるわけないじゃないか…!」 爆!
戯れに、母に、どうしたら見えるのかな?? と聞くと、「転倒で頭を2度ほど強打すると見える」そうです。爆 それは私にとり、リスクが高すぎ!!!笑!
(冝保愛子さんも、一度死にかけて見えるようになったのも解ります…)
●ただし、我々に、しょっちゅう見える顔見知りの幽霊が、母に挨拶するという現象は、当たり前ですが幽霊にも思考能力、認識能力があるという証拠で、「思考ですら、脳が司るものではない」という事実が解かります…
これは、中国の古典怪談、日本の古典怪談をツブサに読んでいくと、簡単に判明する事実です。
●思考するのは、実は脳ではなく、魂でしょう…
なので、所謂、精神病の「春の人」や、危篤で、反応の無い人、もっと言うと死んだ人も「必ず、別次元で、人のハート、魂を知り、感じ、思考し、判断している」という証拠です。(註:『亡くなる心得』でも書きましたが、危篤の人や死んだ人も、現世の人の言葉や想念には気付いているゼ、という事実。)
● おそらく、思考するのは脳ではないハズです…
私の認識では脳は、この現世でのみ必要な器官でしかありません。食わなきゃ死んでしまうや、吸わなきゃ死んでしまう、あくまで肉体の胃や肺と同じ器官でしょう…
>岩谷氏が良く言及なさっている『ピダハン』は、本を読んでいて一番印象深い部分はやはり、ピダハンの人たちがみんなが神様が見えているということでしょう。しかし、ピダハンのみんなが神様がいると指さしているところを眺めても、西洋人の著者には何も見えないのです。
日置教授の仰るとおり、これが重要です!
ピダハン、アイヌ、インディアン、ピートング・ルアング族、縄文人、サモア人など、六道の天界に近い住人は、概ね、それに気付いていたはずです…
今現在、私は、この記事の「今昔物語」の再読をしているところですが…
●『今昔物語』で記されている、数々の怪異の記述は、「絶対に、創作では出来ないだろうな…と感じる 事実です。」 コレは、重要です。
その証拠に…と私は「証拠」として提出したいのですが… 『今昔物語』には、クッダラン笑い話まで「詳細に」いくつも収録されています。
こんなクダラン笑話まで逐一、収録したがり、この世の数々の現象に、キラキラの好奇心を煌めかせるの作者1人に、怪異話だけを「わざわざ、一から、時間と想念を駆使し、創作するヒマなど、絶対にアリエナイだろう… という事実と現実です」
●ここから導かされる結論は
「やはり、当時の怪異現象は、実際に、現実として起こった現象でしょう」
ここで私が思い出すのは『新釈中国古典怪談』の「はじめに」で紹介した、小泉八雲の友人への手紙です。
私が幽霊を信じるのは、現代の世界に幽霊が居なくなってしまったからです。
何が、人生に希望をいだかせてくれていたのでしょうか?──幽霊です。
その一部は、神々と呼ばれ、また悪魔、天使とも呼ばれていました。
彼等こそが、人に勇気と目的をあたえてくれたのです。
自然への畏敬を教え、それがやがて愛に変わった。
彼等こそが恐怖と美を創り上げていたのです。
もはや、幽霊も天使も悪魔も神々もいません。全て死に絶えてしまいました…。
電気と蒸汽と数学の世界は、むなしく、冷たく、空っぽです…。』
小泉八雲「友人への手紙」
だから、前回の記事で、一つのユニバースを壊すのは罪深いと言ったのです…
バカな西洋かぶれな現代文明は、自然界という、おのおの小さなユニバースを「電気と蒸汽と数学の世界」で破壊し続けたので、「神々と呼ばれ、また悪魔、天使」をも何度も殺害し続けてきたのです!怒!
精霊が次々に死んでいる分 『今昔物語』 平安時代のような怪異が現代では全く起こらないし認識できません。
その結果、現代人は、この多元宇宙、パラレルワールドが、解らなくなっている上、現代では平安時代のような、怪異、あるいは、幽霊、天使、悪魔も現象として、ホボ見えないのです。
今まで自然破壊、繰り返してきたでしょ… 平安時代の京では、京内でも充分、魔界でしたが、京外では、もっと精霊が居て魔界である事が『今昔物語』を読んでいると判明します。
これは、日本の平安時代だけの事ではなく、中国古典怪談からでも解かります。
●幽霊や「神」天使、悪魔を殺し、殺し続けたのは、科学万能主義、ユダヤ系のアホな神の アホなドグマと人類自身でしかありえません。
●人類自らが、この経済至上主義、欲至上主義のドグマに毒され、神も居ない蒙昧の世界に突き進んでいるのです。
過去には必ず、「神々と呼ばれ、また悪魔、天使」が居たのですが…。
例えば、沖縄のキジムナーを考えてみよう!
奴らの住処は、ガジュマルです。ガジュマルの住処を、悪い人間が焼いてしまう事によって、キジムナーは去る話が多いです。
人類はその精霊(神)の住処を破壊する事により、殺してきたのです………
意識のアンテナを、潰し、殺してきた事実です…
(ちなみに、河童は、穢多、非人系だと私は思いますが…)
以上、こんな業深い人類、人間界に、「あなたは、どうしますか?」と示唆を著したのが自著『亡くなる心得』です。
人はおかしなもので… アニメの『もののけ姫』の、動物(精霊)たちの気持ちは理解できるにもかかわらず、こうして『亡くなる心得』やブログで文章化すると、とたんに全く、理解できなくなります…
しかし、あのアニメのように、「神を殺した段階で、人類に、やり直しや、未来なんてないからな!」 これも。
ジャレド・ダイヤモンド、ピストルズも言っている。
No Future No Future for you. No Future No Future for me です。
なせなら、この人間界は想念でしかありえないからだ…『亡くなる心得』で解説しました。
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