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このブログも、もうすぐ、おかげさまで開設から4ヶ月が経とうとしています。正直、これ程多くの方に読んでいただけるとは全く思いもせず始めたブログです。また、これ程多くの方との繋がりが始まるとは予想もしなかったブログです。そして、4ヶ月目が近付こうとしているところで、少し自分なりに振り返りつつ、今、自分が発達障害の問題に、どのように向き合おうとしているのかについても考えてみたいと思います。


ちょっと長文になりますが、お付き合いくださいね。


【ナイナイ尽くしで語られることの多い発達障害本】

さて、先日ある当事者さんのブログを読ませていただいていて、

ちょっとショックな事がありました。

その方の発言が、自分に突き刺さったんです。

それは「発達障害の本と言うのは、これが出来ない、あれが出来ないの

ナイナイづくしばかりだ」という発言です。


これはショックな言葉でした。

というのも、自分自身、いつも本を読むたびに、同じことを考えているからです。

(関連の過去記事はこちら

そう・・・・そうなんです。

多くの医師や専門家の書く特性本は、ナイナイ尽くしが多いのです。


僕が佐々木正美先生の本がいいなぁと思うのは、

そんなところだったりするのです。


話を戻して、何がショックだったかと言うと、

自分のブログもそうなっていないかと、衝撃を受けたのです。


特性について例を挙げて書けば書くほど、

ナイナイ尽くしになっていないかと・・・・・。

また、発達特性のある事が、悪い事のように受け止められていないかと・・・。


・・・実はそんなことで、「自分は4ヶ月間何をしていたんだ」・・・・

という思いに駆られていたのです。



【この障害を持つことにも、豊かさがあると感じているのに・・・】
僕自身、この2年半弱の間で、つらく苦しいところから、

新しい価値観を見つけて、少しずつ立ち上がってきた自分があります。


それは何かというと、

この障害を持っていたとしても、

むしろ、その人柄の純粋さや、

人としての生き様の真っ当さがあるということ。

(もし、二次障害でこうした純粋さが捻じ曲げられているとしたら、

それは周囲のかかわりが、

真っ直ぐであることを許さなかったのだということ。)

そして、本来は発達障害を持っているという事は、

何も負の要素ばかりではなく、

むしろ能力として活かせる可能性があったり、

特性ゆえの豊かな感性と言うか、

そんな独特の生き方にも、意味があると思えたことなんです。


また、既に大人になっている当事者さんも、

人としてのあたたかい関わりに触れなおし、

経験の刷り直しをすることで、

元来の人柄を取り戻し、心おだやかに暮らしていくことが、

出来るようになるということです。(関連記事はこちら


自分は、日々そんな思いを持って、

息子との人生を生きているのに(関連記事はこちら

「このブログで、それが十分に表現できていたのかな」と、

ショックを受けたのです。


【発達障害の一番の問題は過剰適応を要求する社会】

さて、話は変わりますが、僕が思いますに、

今、発達障害にとっての一番の問題は、

この障害を持っている方々に、

過剰適応をしないと生きていけないかのように、

特性上、無理な事ばかりを要求する社会だと考えています。


言い換えると、特性上で出来にくい事をしなければ、

安定就労できない社会現実です。


発達障害には、元来の良さがあるのに、

それを十分生かしきれて居ない社会の現実です、



【社会に必要な存在として生きてきた発達障害】
何かと言うと、こつこつと丁寧な仕事を積み上げていく良さや、

元来不器用であっても、確実に仕事を覚え、

独特の感性で、その道を極めていくかのような姿勢

こうした特性は、むしろ社会に活かされて、

定型にはマネの出来ない仕事をする人たちが、

かつては沢山居たはずなのです。


融通は利かないかもしれないけれど、

その人たちのペースに合わせ、

彼らの思いが一杯こもった仕事をしてもらうことで、

彼らは名品を生んできたのだろうと考えます。


また、学者や名人と呼ばれる職人さんで無くとも、

ひとりの庶民として、社会の歯車のひとつとして、

充分、生き抜くことが出来たのだろうと思うのです。



幾つかの記事で書いてきたことですが、

概ね今、50歳以上の世代の方々では、

多くの発達障害を持った人たちが定職を持って生きておられます。

もちろん、この方々にも沢山の苦労と

ご本人の努力があったのだとは思いますが、

今よりは周囲の理解や関わりが、

自然なものとして、特性のある人たちを抱えて、

支えていたのだろうと思います。


また日本の産業構造上も、

発達特性を生かしやすい、研究職や製造業・職人の仕事が沢山あり、

コミュニケーション能力に弱点があっても、

他の部分の能力の高さを買われて、

社会に貢献してこられたのだと考えます。


社会で人間関係は希薄になり、

ご近所付き合いも少なくなり、社会のコミュニティも崩壊し、

定型側の方のコミュニケーション能力の低下も顕著なようなのです。


発達障害の問題として、仕事に就けなかったり、

ニートや引きこもりが起ってしまうのは、

何も当事者側だけに問題があるわけではなさそうなのです。


ただ、社会の悪さを幾ら嘆いても、こればかりはすぐには改善しません。

そこをどう生きるかは、自ら考え行動していくしかないのも現実です。


【定型になろうとすること以外に、幸せを探す方法は無いのだろうか!?】

さて、発達障害の人生を豊かなものにするには、

何が必要なんでしょうね。


豊かと言うのは、単に経済的な事ばかりでなく、

過剰適応になるばかりでなく、

少しでも気持ちにゆとりを持てる毎日をおくるという事です。


それが出来ないまでも、

職場で多少過剰適応気味に頑張ったなら、

帰宅してからの時間や、休暇を使って、

どのようにココロのバランスを取り戻せるかということでしょうか。



僕もまた、発達障害の社会適応が、

その特性を、ひとつずつつぶして行き、どこかへ押し隠して、

定型ルールに合わせる事だけではないと考えたいのです。


そう・・・息子に、そんな人生をおくらせたくはないし、

そんなことを息子に教えたいとも思えないのです。

それこそ「普通」にする為の、無理な教育なのだろうと考えるのです。


もし、当事者側が、定型のルールにあわせるために、

社会適応の為の仮面や別の顔を使うとしても

それは、元来の自分がダメだからやるのではなく、

そのまま表に出しては、混乱を招く部分に、

少しスキルを足して、社会を乗り切る・・・・と言ったような感じでしょうか。



スキルとして、定型との人間関係をせめて壊滅させない程度の方法は身につけ、

しかし、現代の定型流のように、

人とのつながりに神経をすり減らすのではなく、

(ぼくは、定型自身も、定型社会に神経をすり減らしていると考えています)

「多少、違ったところ(変わったところ)はあっても、

あの人は、悪い人じゃないよね」・・・的な感じで、

(ぼくは、狸穴猫さんのこの言葉に、真髄があるように感じています!

 →詳しくはこの記事

程よく(←これが難しいですよね・・あせっ!!)、定型社会と

付き合っていくことは出来ないものかと、考えるのです。


ある種、理想論かもしれないのですが、

ぼくは、その希望を捨てたくないのです。


【最後に、蛇足ですが・・・】

今日の文章の最後に、ひとつだけ書きたいことがあります。

照れくさいのですが、改めてどうしても書きたいのです。


ぼくは、長男が僕のところに生まれてきてくれて、

本当によかったと思っています。


彼のおかげで、僕自身の人生も、

何か豊かなものになっていきそうに感じています。

発達障害の問題を真摯に考えることは、

僕自身の人生の見直しでもあるのです。


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