過去の都知事選から見えること(2) | みんななかよく

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戦後19回の都知事選から分析した都民の投票行動の特徴  という講演会にいって、考えたこと。

このエントリーの続きです。


過去の都知事選から見えること(1)


前の記事で報告したことは、ライカー・モデルというのがあって、それに当てはめると見やすいけど、今度の都知事選は、組織選挙だったねということ。


今回の投票率は46.14%で、前回、国政選挙と重なった選挙の62.60%は例外としても、その前57.80%よりもかなり低い。

事前に舛添有利が伝えられたことも大きな要素でした。

ちなみに、自分の予想に限らず、マスメディアでの下馬評も含め、事前予想が接戦か凡戦の二つと、候補者間の距離、これは政策や政治姿勢の間の距離という漠としたものでもいいようですが、それが近いか遠いか、という二つでマトリクスを作ると、投票意欲は以下のようになるそうです。まあ常識的にそうでしょうね。


        接戦  凡戦

  近い    2    4

  遠い    1    3


鉄中の錚錚を選ぶような選挙と思われていて、接戦にはならずに最初から結果は見えてるなあ、という時は、「わたしが行かないでも同じ」と「どっちがなっても大差ない」ってことで、投票意欲は一番低い。

ずいぶん差がある主張の候補同士でも、事前予測が「どうせ大差だよね」という時も、投票率が低いのは、相乗り候補と共産党みたいな組み合わせで嫌というほど目にします。

どっちを選んでもそんなに変わらなくても、接戦が伝えられると張り合いが出て、投票に行く人が増えるというのも常識的にみてありそうなこと。

どの候補が選ばれるかで結果は違いそうだし、「どっちが勝つか予断を許さない」とマスコミが言っているよ、という時は、浮動票にしても意欲は強いでしょうね。


そして今回は、舛添候補が、「原発」に関して選挙公報で何も言わないし、出馬会見では将来的には原発依存はやめようと言って、政策の距離を狭めた上に、新聞の事前予想が「舛添有利」にそろったので、前日の大雪もあって、投票率はワースト3位だったそうです。

気温も過去の都知事選と比べて最低だった。ということは、舛添さんも、もっと陽気がよくなったらいったん辞任して再出馬し、都知事選の時期をもっと陽気のいい季節にもっていけば、民主主義に資すること大というわけですね。


わたしは舛添候補の争点隠しのほかに、田母神候補の原発賛成の主張が、相対的、イメージ的に舛添候補の原発に関する主張を真ん中へ押したので、宇都宮・細川との政策距離が縮まって見えたという説も立てたいね。

田母神出馬も保守の戦略の一つとまでは言わないけど。



当日の資料には、過去の都知事選の日の天候と平均気温と投票率、当選者の得票と次点候補の得票と惜敗率、過去の選挙での公認や推薦や支持など各党の態度、等の票がありました。

今回の選挙よりも、過去事例の方が面白いような気もする。


過去の投票率のベスト3、ワースト3と平均気温、それに惜敗率を合わせて書きならべておこう。

惜敗率は当選者と次点候補者の得票の割合ね。

当選者・次点者  年月日  投票率 平均気温  惜敗率の順です。


ベスト3

1 美濃部亮吉・秦野章 (71年4月11日)  72.36%  10.9度(晴)    53.54%


2 東龍太郎・有田八郎 (59年4月23日)  70.12%  18.9度(雨/晴)  90.71%


3 東龍太郎・阪本勝 (63年4月17日)  67.74&  21.3度(曇・晴)    71.11%



ワースト3


1 鈴木俊一・和田静夫 (87年4月12日)  43.19%  7.5度(曇・雨)  35.22%


2 石原慎太郎・樋口恵子(03年4月13日)  44.94% 18.2度(晴)    26.47%


3 舛添要一・宇都宮健児(14年2月9日) 46.14%  6.3度(曇/晴)    46.50%


昔のことを知っている人は、いろいろ感慨をもよおすのではないかと思います。


わたしが考えたことを書く方が、面白いというのではなくても読む方には新味があるかもしれない。

資料の方は、よほどの選挙フリークでなければ過去データを検索したりはしないでしょうから、書き写せばそれなりに面白いかもしれません。面倒だけど。


例えば、惜敗率の順番をつけるとワースト順に、


1 12年 猪瀬-宇都宮  22.33%

2 03年 石原-樋口  26.47%

3 87年 鈴木-和田  35.22%

4 14年 舛添-宇都宮 46.50%

5 99年 石原-鳩山  51・13%

6 71年 美濃部-秦野 53.54%


なんですよ。なんでワースト6位なんて中途半端なとこまで書き写したかというと、秦野章に美濃部亮吉が勝った選挙って、かなりな圧勝だったって印象があるからです。革新都政真っ盛りの時ですね。

この前、石原辞任の後の宇都宮候補の挑戦は、「健闘」とサヨっちはいうのですが、石原都政絶頂期、鈴木都政の盛りの選挙、そして美濃部圧勝選挙より、鎧袖一触で歯が立たなかった選挙ということなわけですね。数字の上では。


他に誰がいるんだよ、とは思うけど、「宇都宮候補じゃ勝てない」って意見があるのは、この数字を見ると頷かないわけにもいかないかな、と思わせられる。


というわけで、ネタを拾うにはいい講演会だったと思いますが、報告はこれぐらいにしよう。


公明党とはなんだ、というような政治談議の時に、今後も、この講演に言及することはあるかもしれまいけど。

戦後政治を見る時も、都知事選の過去の結果って大事だよな、と思いました。