人間の旬ってある。全盛期と言い換えてもいい。
こういうのは芸人が顕著だ。芸の全盛期とその人の旬は、ほぼイコールであろう。
面白いもので芸人は、芸が衰えてもプライドは全盛時のままだったりする。オリンピック選手が過去最高記録を出したら、その数値が自分にとっての記録とイコールだ。
過去に100メートル9秒台で走っていた人は、永遠に9秒台のプライドを持つ。
今は12秒以上で走っていても、プライドは9秒台のまま。
だから全盛期が凄くて、年をとって衰えた人をみると大抵嫌われている。自分の現在の立ち位置と昔のプライドが乖離しすぎて滑稽で、それを埋める作業は威張る事に大抵集約されるから。
でも何だろう。その人の全盛期を見てないけれども、最近はその確実にあった全盛期に凄く敬意を評したい。自分はこの人の全盛期には間に合わなかったけれど、それはこちら側がそれを見ていない時代的な問題もあって、人生はトータルで判断すべきだろうと思う。
その人と私は情報量が違うから平行線は当たり前という。
その全盛期の映像なり音声を聞くと、その人に対する思いも違うという。そういう出来るだけ人間をトータルで見ようとすると、歴史的に埋める作業は自分の方からすべきだと心がけてはいる。
ある信頼する先輩に聞いた。昔は凄く良くて、今は全然駄目な人いますか❓
「あぁ、それはいるいる。」
「具体的にどう違うんですか。テクニック的な事ですか❓」
「勿論、それもあるけど、この人は上手い。この人は安心して任せられるというような、そういうオーラが昔は出ていた。圧倒的な自信というか。高座にあがる雰囲気が全然違うよ。今は私生活とかでも色々あったろから、いかに高座で派手にやろうとくすんでいる。子供が見てもわかるよ。高座で全部でちゃうんだなぁ。」
ちなみにこれは特定の人だけの話ではなく、全般的な事として。
ずっと昔の話、ある落語家は目が悪く、お客様の笑い声を耳で聞いていた。全盛期はお客様は爆笑だったのに、衰えてから一切耳に全盛期の爆笑が聞こえないから、いつまでたっても高座をおりてこなかったという話が残っている。
このエピソードを聞く度に、顕著という意味で因果な商売だと思う。
全盛期は後から気づくものだ。
また逆に、凄い売れっ子の二つ目の初期の映像を見てて驚いた。ド下手という。
「こいつ、絶対売れないわ」と当時の映像を見る限り思う。ところが、大化けという。
点と点の部分では、今のその人らしさもあるが、それが線になっていないので、全然今と違うという。衝撃的だ。誰しも過程があるという。
寄席という空間の中で芸人達が、若手は伸びていき、そして全盛期の人が君臨し、落ちていく人達もいるという。色々な物を包み込んでいる感じがこよなく面白いと思う。それが何百年にも渡って同じ板で繰り返されてきた歴史の重みにクラクラしそうになる。
そういうのを踏まえた、本題のあんまんの食いどきについては別日に書こう。