「猫背」って良い言葉だなぁと思う。
この点に関して猫背の私は、猫という生き物全般に感謝している。
猫という、人間に可愛がられている生き物の名前がついている事で、背筋が曲がっている人の印象の悪さを最小限にとどめている。今まで人間に可愛がられてきた猫の歴史が、負の側面をだいぶ緩和している。
これがもし、背筋が曲がったコックローチ的な名前がついていたら、今より印象がだいぶ悪かったろう。言葉の力を感じる。
かくいう猫背の私も、別の名前だったらなんらかの劣等感を感じていたかもしれない。
似た雰囲気のものに「方向音痴」というものがある。これも誰が考えたか知らないけど、凄く良いなぁと思う。ちなみに私は猫背であり、方向音痴でもある。いわば二重苦という。
これが方向性感覚障害と言われたら、ずっしりくる。そこを音痴程度の感じでくるまれていていいなぁと思う。音痴って良い響き。
こういう言葉によるフォローが凄く好きだ。言葉の力を感じる。
もう亡くなった落語家だが、この人の女将さんは元は売春婦であった。(本にもなっている話)それを知って楽屋の連中があえて
「かみさん、パンパンだったんだって」
これに対してその師匠、平然とした顔で
「いやぁー、うちの女将さんは花魁なんだよ。」
笑いがおこったという。
私はこのエピソード好きなんだ。
まず、このパンパンと言われた自分の女将さんをこの師匠は言葉で救い、そしてその言葉に激昂せずに洒落で返した自分をも救い、その事実を知ったらそう突っ込まざる得なかった芸人仲間も救ったという。
こういう話、芸人らしい繊細の極致だと思う。
楽屋でも前座に無駄に叱っている奴はセンスがない。言葉を使う商売で、そのまま怒ってどうすると思う。そりゃ本当に怒っていい時もあるけど。毎回ピリピリしてどうすると思う。演芸史に残る人はポーズも含めて威張っていいと思うけど、そうじゃないのは、自分でセンスがないと言ってるようなものだろう。
それとは真逆に、その後の楽屋の変な空気を見事に浄化していく別の師匠方をみると、素晴らしいなぁと思う。怒っている人は大体投げっぱなしだ。
そこをもう酷い下ネタを大声で言ったりして空気をかえようとしている師匠方をみると、寄席のワリも倍給でいいのではないかと思った。
こういうのは一事が万事。
そういう意味で強引に話をまとめると、「猫背」とか「方向音痴」とかの名称をつけた人って、優しい人なんだろうなぁと。倍給あげたい。
その言葉の優しさに甘えて、「猫背」で「方向音痴」でニャーニャー道踏みはずして生きてます。