人間の旬についてと、あんまんの食いどきについて2 | 神田松之丞ブログ

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お客様から頂いた差し入れで、成る程と唸ったものがある。

崎陽軒が出した、シュウマイ引き換え券付きハガキという。

えっ、別に大した事ないじゃんと思った人、それはだいぶ考えを改めた方がいいと思う。

私はこれを頂いた時に、あーついに崎陽軒は、人類とシュウマイの絶妙な距離を見出したものだと感嘆した。

というのもシュウマイという食い物は、人からすすめられて食べたいものではない。ましてや、差し入れでは絶対欲しくない。ところが、こっちから食べたい時は食べたいのだ。

シュウマイというのはそういう食い物である。

攻めに強く、守りに弱い。

崎陽軒という会社は、いつでも自分のタイミングで、シュウマイと引き換えられる権利を与える事で、シュウマイの駄目な所を完全に補っている。

これは年中、シュウマイを考えている集団にしか思いつかない発想だと感嘆した。

あまりにも感動しすぎて、昔「しゅうまい」という新作を作った。常に距離感を模索する人の話。

ただシュウマイはいい。完全に主食だから。飯と一緒に食う物だ。そこに迷いはない。

ところがあんまんという食い物が問題だ。これの食いどきが29年間生きていてしっくりこない。

主食ではないし、かといって間食にしては、ボリュームがありすぎる。

何かいつも、あんまんのポテンシャルを引き出せないタイミングで食っているなぁという忸怩たる思いがあった。

案の上、あんまんという食い物を美味いと思った事はない。

ところが、昨日である。

深夜2時に池袋から家に帰る道すがら。死ぬほど寒かった。ビュービューと風もうなってる。先代の梅鶯先生くらい唸っている。終電もないし、心持ちも暗くなる。悪いオジチャンに誘われても、生きながらえるためならついていきそうな極限の寒さ。

そこで何となくコンビニで、普段は買わないあんまんを買って、歩きながら食べた。

この時ね、あぁ、これかと思ったよ。

何か凄い美味いのだ。今までの出会いが嘘のように、えっ、お前あんまんっという。

あんまんの温かさと、甘さが、クソ寒い道の帰りの道すがら、凄いポテンシャルを出す。人に希望を与える美味さだった。

「はじめまして」と言いそうになったよ。

食い物に限らず、一事が万事そうなのだ。

芸人としてもそうであろう。

こういう場所、こういう時間、こういう出順、こういう年齢層、こういう演題、どういうエトセトラにおいて力を発揮するタイプなのか。

こういうのを、客観的において把握しなければなぁと。

何となく、寒空であんまん食いながらそう思ったとさ。