プールサイドの人魚姫 -4ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 自宅から徒歩で約45分の所に『浮間公園』がある。西台駅前から浮間舟渡駅行きの国際興業バスが出ているので、それに乗って行けばよいものを天邪鬼な私は敢えて徒歩を選んだ。新河岸川を渡り荒川土手沿いを東へ20分ほど行くと、水と緑に囲まれた公園が姿を現した。この公園にはシンボルとなっている風車がある。その周りを囲むようにチューリップやネモフィラが咲いている。休日ともなれば大きな池で釣りを楽しむ人や、風車の下に広がる芝生にシートを広げランチや会話に興じる人々で賑わっている。
 この公園の存在を割りと最近知ったばかりで、自宅近くにこんな素敵な場所がある事に気付かないなんて灯台下暗しだなぁと思ったりした。ネットで詳細を調べるとチューリップや風車に人気があるようで、期間限定で夜は花や風車がライトアップされるという。桜が満開になる頃にはさらに神秘的な要素も加わる。これは何としても撮影に行かねばと意気込んだ。アップした夜景を撮るのに実は3回も足を運び、3回目にして漸く納得出来る夜景を撮る事が出来た。
 1度目は風車の周りが工事中でまともな写真が撮れず、然もカメラのバッテリーが2本とも切れてしまい夜景は断念。バッテリー切れなどと言う初歩的なミスは一眼レフを始めて以来始めてだった。多分、充電を忘れていたのだろう。2度めはレンズ選択のミス。これはミスと言うより天気が良すぎて気に入らなかったというのが本音。そして3回目にイメージ通りの夜景が撮れた訳である。この時は遠回りになるが電車を利用した。出掛けたのが帰宅時間帯で、埼京線の想像を絶する混雑ぶりを体感する事となった。帰りは気分も高揚していたので徒歩で自宅に戻った。納得の出来る写真が撮れると疲労感すら心地よく感じるものであるが、気分が昂ぶったままベッドに入っても頭が冴えて眠れないのは困りものである。

 

 

 

 GW真っ只中の3日、ネモフィラの撮影に出掛けた。昨年は日比谷公園で撮ったが今回は足立区にある舎人公園へ行ってみた。東京近郊でネモフィラをと思えばまず思い浮かぶのが昭和記念公園なのだが、この公園について何度か記事に纏めた事がある。とにかく広すぎて目的の場所まで徒歩でかなり時間が掛かる。向日葵を撮りに行った時、立川口から30分以上は歩いたと記憶している。帰りはクタクタに疲れ切って重い足を引き摺るように電車に乗った事を覚えている。しかも、電車の事故か何かでダイヤが乱れておりコロナ真っ只中にも関わらず電車は超満員で恐怖する感じていた。
 それ以来昭和記念公園は敬遠するようになってしまった。どうしても撮りたい被写体があれば別であるが…。そうして見つけたのが舎人公園だった。この公園はまだ私にとって未知の場所。以前、江北ジャンクションを撮るために舎人ライナーに乗った事を思い出した。舎人公園駅で下車すると眼の前に新緑を湛えたかなりの面積を有する公園の姿が飛び込んで来る。その下では多くの家族連れやカップル達が行動制限のない自由な休日を満喫していた。
 さて、私は近くにコンビニはないかとGoogle Mapで探してみるが、公園の近くにコンビニがない…。最も近い場所で約1キロの距離、然しお腹も空いて来たし何か腹を充たさないと空腹のままでは撮影に支障を来すと思い往復にして約2キロを歩いたが、撮影以前に少し疲れてしまったので途中で休憩を入れつつオニギリを頬張りながらネモフィラの咲いている場所をMapで探した。この公園は北と南に分かれており、目的の場所は駅から15分ほど北側に行った場所にあった。外灯らしき物はチラホラ見かけるだけなので夜になったら多分、真っ暗になるだろうと予想はついた。
 初めて訪れる場所と言うのはやはり新鮮味があって心地よい刺激を与えてくれるのでいつの間にか疲れも忘れていた。若い女性のグループやカップルが非常に多く、私の様なおっさんが数人、一眼レフを構えて撮影に没頭していた。ネモフィラはご存知の通り地面のかなり低い位置に密生して咲いている。私は地べたにしゃがみ込んで撮影を開始!正しい写真の撮り方なんて無いと思うし自由に撮れば良いと思うのだが、皆さん、どうして上から撮ろうとするのだろう?花を撮る時、私が最も重要と思っているのは、被写体との目線の高さである。花と同じ目線で撮影する事を心がけ、そして感謝の気持ちと尊敬の念を持って撮影する。そうすれば花の方からこちらに微笑んでくれるのである。

 

 

 4月2日、NAKED桜の新宿御苑2023のイベントへ行った。新宿御苑は通常、障がい者は入場無料なのでそのつもりで障がい者手帳を携えて行ってみると、チケットが必要で当日券は既に完売…。ライトアップされた夜桜を目前にして引き返すのは敵前逃亡の様な気がして諦め切れず、係員に尋ねるとネットでチケットを購入申し込みして支払えばよいと教えてくれたのだが、その手続がまた面倒でスマホの小さい画面と睨めっこしつつ『チケットぴあ』に会員登録して購入手続きを済ませ、近くのコンビニを探し漸く手に入れたチケットだけで約1時間以上も費やしてしまった…。
 下調べもまともしなかった自分が悪いのだが、チケット購入自体、日比谷野音の『憂歌団Live』以来の事だったので購入方法がすっかり変わっている現状について行けない自分が情けなくなった。何れにせよ目的は果たせたので後は写真を撮りまくるのみ。新宿門は出口専用となっており、入り口はそこから800mほど歩いた『大木戸門』。長い長い人の行列が続き何処が最期尾かも分からず適当な所で列に紛れ込んだ。
 まだ陽がある明るい内に着いてはいたが、チケット購入と中々進まない列に時間を取られ、いつの間にか辺りは闇の世界に包まれていた。雲の切れ間から月が覗き、その下では咲き誇る桜が色取り取りにライトアップされ、神秘的・幻想的な異次元の風景が観るもの全ての人々を飲み込むように見下ろしている気がした。
 三脚は一応持っては行ったがやはり使用不可。だから全て手持ち撮影であるが、それは予想出来ていたため、一番明るい単焦点20mf1.8のレンズを使用。手ブレしない限界のSSは1/40、ISO感度は平均1600で撮影。人が余りに多いため、どんな構図を決めても人が写り込んでしまうので、千鳥ヶ淵の時のようにはいかず、ここは敢えて人も含めての撮影に徹する事とした。桜と言うより宇宙に散りばめた星屑のような夜景の下で花見を堪能する人たちで溢れ、撮影しながら歩くには躓いて転倒しないようかなり注意を払っての夜桜撮影であった。

 

 

桜の花びらが舞い散る午後に

あの娘は逝った

天使の衣を纏って空高く

注射が嫌だと駄々こねて

僕を随分困らせたっけ

君があんまり泣くもんだから

瞼を両手で押さえると

「バカっ涙であたし溺れちゃうよ」

と言って僕の腕にキスしたね

桜は散ってもいつかまた戻って来るけれど

君と過ごした日々はもう戻らない

桜の花びらが舞い散る午後に

涙の抱擁だけを僕に残したまままで

あの娘は散った

閉じた瞼に最後のくちづけを

 

 

※白血病のため17歳で亡くなった少女に捧げた詩。
 当時はまだ白血病の治療が確率されておらず、輸血と出血の繰り返しであった。彼女の病床を見舞い、「頑張れ!負けるな!」と励ましたその3日後に彼女は眠るように息を引き取った。

 夜桜を撮影したその二日後に再び同じ千鳥ヶ淵へ出向いた。太陽の陽射しを浴びて煌めく桜を撮りたかったからである。レンズはタムロンの望遠とNikonの単焦点MC105mmを用意した。千鳥ヶ淵緑道を大勢の人が行き交う中で皆さんの邪魔にならぬようかなり気を使っての撮影だったが、一度ファインダーを覗き込んでしまうと自分の世界に糸も容易くのめり込んでしまうから多分『邪魔なおっさん』と思われたかも知れない。
 桜の花びらが舞う季節が訪れると、必ず数十年前の若き頃の青春の1ページが鮮やかに蘇って来る。このポエムに登場する少女は私と同じ養護学校の卒業生であった。在学中、お互い好意を寄せ合うような間柄ではなく病棟で顔を合わせた時に挨拶を交わす程度で、少女がどんな病気を抱えていたかなど特に関心もなかった。養護学校を卒業した後、少女は地元(浜松市)の高校へ進学、私は清水市駒越にあった療養型職業訓練所で1年半を過ごし16歳で静岡市沓谷にある会社へ就職。18歳を迎えたばかりの頃、養護学校から同窓会の通知が届き、それに出席しそこで高校生の彼女と再会するに至った。在学中は丸顔のショートヘアーだった髪型もセミロングに変わり、松林の隙間から降り注ぐ陽射しを浴びた黒髪がキラキラと星の様に輝いていた。同窓生たちとの集合写真を撮った後、「神戸さんですよね?」と声を掛けて来たのは彼女の方だった。
 私の出で立ちと言えばフォークのプリンスならぬ吉田拓郎の真似をして、彼女より更に長い髪で当時流行りのラッパズボン。丸刈りの中学生だった頃の面影など何処にも残っていなかったが、彼女は一目で私が分かったようだった。いきなり声を掛けられて驚いたが、言葉も殆ど交わした事のなかった自分を覚えてくれていたのが意外で、内心は嬉しくもあった。
 「千絵ちゃんだよね?」これが彼女との最初のマトモな会話だった。そしてそれが切っ掛けで二人とも堰を切ったように話が弾みお互いの近況を語り合った。この時、初めて少女の身に何が起こっているのか初めて知る事となった。高校に進学はしたものの、体調不良により授業を欠席し入退院を度々繰り返しているようだった。彼女は悲しみを打ち消すかのように笑顔でポツリと呟いた「あたし、白血病になっちゃった…」。私は返す言葉を見失ってしまい「えっ?」と再度尋ね、ただ驚くばかりだった。在学中は元気に飛び回っていた彼女の姿からは想像も付かない病名だった。
 高校に進学してから病気は更に悪化して行ったようだった。おそらく急性白血病だったのだろう。その同窓会での再会以降、彼女との付き合いが始まった。重い病気を患った彼女に対する同情心も多少はあったかも知れないけれど、その時は時間の許す限り彼女に寄り添って病気の克服を手伝いたいと思っていた。携帯電話など便利な物のない時代、会えない時は手紙を書き励ました。
 今年の春もきっと高い空の彼方から散り往く桜を大きな瞳を輝かせ、彼女は見詰めているだろうと私はそう思っているし、歳を取った私の下に17歳のままの千絵ちゃんが舞い散る花びらに乗って降りて来ているんだと…。

 

 

 今年の桜は温暖化の影響もあったようで東京では例年よりかなり早く開花した。3月中旬を過ぎた頃から場所によっては満開の地域もあった。ところが、天気がよろしくない…。関東のみ雨雲が広がり4日連続で雨模様だった。桜を撮りに行きたくてウズウズしていたが漸く天気が回復した下旬、満を持して昨年と同じ千鳥ヶ淵へ行った。コロナ禍でライトアップを中止していたが感染も落ち着き今年からLED電球を使用した環境配慮型のライトアップが実施された。
 ネットで情報収集し、三脚も携え現地に行ってみると人の波が列をなして延々と続いている。混雑するのは覚悟の上だったが予想を遥かに越える観光客で、さすが桜の名所だけあり、国内だけでなく国外からの訪問者もかなり多かった。特に東京タワーが正面に見える人気の撮影ポイントは順番を待つ列が駅の方まで長々と伸びているではないか…。最後尾が何処かも分からずそのポイントは諦めて、別のポイントへ移動。夜景と言えば三脚必須なのだが、三脚使用禁止の立て札…。そして更に追い打ちを掛けたのが立ち止まる事もだめなようで、係員数人がメガホンで「立ち止まらないように」と大声で流れを遮る事のないよう促していた。
 そんな人混みを縫っての撮影だったため、かなり苦労した。3枚目のみ手すりにカメラを置いて長時間露光で撮影。他は手持ち撮影でISO感度1250、レンズは単焦点40mmを使用。それ以外は24-200mmズームレンズを使用した。撮影に没頭していたため花見そのものを楽しむ余裕はなかったが、初めての夜桜撮影としては及第点をあげてもよいと思った。

 

 

 

 

 このポートレートは昨年10月下旬、浜離宮恩賜庭園へコスモスを撮影に行った際に撮ったもの。この時期と言えば心臓の3回目の手術も無事に終わり、退院後自宅に戻ってリハビリを続ける毎日を送っていた頃であったが、なんとしても秋桜を撮りたいという溢れ出る撮影意欲を抑える事が出来ず、無茶を承知で撮影に出掛けた。
 この時、5回目の入院がその先に待っている事など到底考えもしなかったが、正直なところ、退院1週間が過ぎた辺りから身体に異変が生じ始めていた。それはこれまで経験した事の無いような酷い息切れであった。安静にしていれば問題なかったが、ほんの少し歩いただけで今にも心臓が破裂するのではないかと思うほどの呼吸困難…。いま思えば、それは救急車を呼び緊急入院するレベルだった。
 それでも、手術は成功しているのに何故こんなに苦しいのか疑問ばかりが頭を過り、もう少し時間が経てば心臓も落ち着くだろうと、入院の事など一切考えていなかった。そんな状態の中、重いカメラを持って撮影に出掛けたのであるが、それはまさに自殺行為に等しかった。撮影中気を失って倒れなかった事が不思議なくらいである。
 都営大江戸線の築地市場駅から庭園まで普通なら徒歩で僅か7分ほどの距離であるが、数m歩いては休みとそれを繰り返しながらだったため、20分も掛かってしまった。撮影の前に呼吸を整えるため何度も深呼吸をして心臓を落ち着かせた。この時、私の心臓は重篤な心不全状態だったのは言うまでもない。心機能は20%まで落ち込み呼吸が止まる寸前だったのである。そんな身体で写真を撮ろうなどと、私はとうとう「写真バカ」になってしまったようだ。命が尽きたら大好きな写真はもう撮れなくなる…。こんな当たり前な事も重々承知で出掛けたのだから何が起こっても全ては自己責任。そしてこれは最も反省しなけければならない私の大きな欠点でもある、つまりは『わがまま』の境地。だから入院する度に看護師や担当医に酷く叱咤され、まるで幼い子供である…。
 庭園には夏の名残りがそよ吹く風に乗って花々の隙間を駆け巡っており、天気も上々で花を撮るには絶好の機会であった。こちらの眼鏡を掛けた品の良さそうなお嬢さんの前方にはおそらく彼氏さんと思われる方が一眼レフを構えてパシャパシャとシャッターを切っていた。横顔からでもはっきりと見て取れるその少しはにかんだ様な笑顔がとても素敵だったので、ピンクの花を全面に入れて私もパシャッと1枚。
 コスモスは兎も角として、普段滅多に撮る機会に恵まれない人物写真が撮れたので、息苦しさも忘れてその日は無事に帰宅。そしてその数日後に既に記事にした通り、5回目の入院となった訳である。この時の事を深く反省し、今はかなり慎重になり撮影回数も激減している。

 

 

 久しぶりのジャンクションシリーズであるが、これは昨年の2月下旬に撮影したphotoである。場所は両国JTC。昨年はご存知の通り入退院の繰り返しで撮影機会を大きく奪われてしまったため、予定通りなら都内のJCT10箇所はカメラに収める筈だったが、結果的に僅か5箇所に留まっている。その内の1つ『東雲JTC』は撮影はしたものの、天候が気に入らず没とした。
 都内全部のJTCを巡ってはいないが、現時点で私自身が最も気に入っているのがこの両国JCTである。何と言っても美しく流れる流線型の高速道路が、隅田川を跨いで走るそのダイナミックな動きのある景観はまさに大都会ならではの迫力がある。明るい日中と日没後の姿とでは同じ場所?と疑いたくなる様な豹変ぶりが余りに見事で私は大好きである。
 陽が西に傾き始めると徐々に色合いを醸し出す様は、化粧を施し変化していく女性の容姿とも似ている気がする。光の帯となったルージュが川面に映り込み、異次元とも思えるような絢爛たる物語りを紡ぎ出してくる。
 その風景をどのように切り取り表現するか、そして夜景撮影の醍醐味と言えば光跡である。それを如何に美しく魅せるかであろう。投稿したphotoそれぞれで色合いが微妙に異なるのはホワイトバランスの設定を変えて撮っているためである。因みに露出時間=15秒、絞り値16、ISO感度200。もちろん三脚を使用しての撮影である。

 

 

 

夕暮れ近づくある公園で
薔薇が静かに咲いていた
凍てつく風に煽られても
文句ひとつ零さず
風に向かって咲いていた
寒かろうに冷たかろうに
それでも薔薇は
懸命に健気な姿を見せながら
けれどもこの花
自ら流す赤い涙で
染まり行くのを
誰ひとり気づかない
薔薇が静かに
泣いている事さえも

 

 

 増上寺で紅葉美人を撮影した後、隣の芝公園へ行った。公園の入口付近に小さな丸い花壇があり赤い椿が勢いよく花開いていた。それをカメラに数枚収め、辺りを見回すと手の届く直ぐ近くに赤い薔薇が撮ってくれと言わんばかりに咲いていた。陽が西に傾き始め、光量が若干足りないと思ったので、ここは明るい単焦点レンズの出番だろうと考えたが、敢えてタムロンの望遠レンズで撮影。
 70-300mmf4.5-6.3は望遠レンズ初心者には嬉しい7万円と破格値で財布にも優しくしかも望遠レンズと言えばやたらと重いイメージがあるが、こちらはなんと580gと驚きの軽さ!ミラーレス用に作られたと言っても過言ではない。TAMRON初のZマウント対応レンズである。人気商品であるため、ヨドバシカメラのマルチメディア館には在庫が無く、新宿店から発送してもらった。今年は多分、タムロンの出番が多くなると思う。望遠レンズだからと言って遠くの物ばかり撮る必要はなく、遠近関係なく自由に撮れば良い。
 このレンズを手に入れた事でまた一歩撮影の幅が拡がったと思う。さて、鳩山会館の薔薇たちは手入れが程よくされており上品な薔薇というイメージを持った。大事にされ過ぎているせいか「箱入り娘」的な部分もある。それに比べ芝公園の薔薇は荒々しさと打たれ強い印象を与えてくれた。以前、薔薇の撮影が大の苦手で長い間敬遠して来たが、それを克服させてくれたのもやはり芝公園の薔薇だった。その意味でもこの薔薇たちには感謝している。

 

 

 この風景写真は約3年前、一眼レフのNikon D700からD810へアップグレードして間もない頃に撮影したもの。場所は竹芝桟橋、この日は東海汽船の大型客船を撮るため客船が伊豆諸島から帰港するのを待っているところだった。左の方角に視線を投げると、何やら空がピカピカと光っていた。最初は花火かとも思ったが、直ぐにそれが稲光だと分かった。
 当時は新型コロナの第1波が拡大し始めていた時期で一日100人の感染者で世間が大騒ぎっし、最初の緊急事態宣言が発せられていたと記憶している。その影響で隅田川の花火大会は中止となったが、時と場所を公開せずゲリラ敵に打ち上げを実施していた。かなりの頻度で稲妻が空を駆け巡り、発達した積乱雲も見て取れたので、これはチャンスと思いカメラを向けた。多分、隅田川の上流スカイツリーのある辺りで盛んに光っていたものと思われる。
 撮り始めは光る度にシャッターを切っていたが、それでは埒が明かず稲妻の速さに全くピントが合わなかったため連射モードに切り替え、シャッターを切り捲った。数分の間に200枚ほど撮影したと思うが、その中の1枚にこの決定的瞬間が写っていた。自然現象を被写体として撮影するには気象条件、時間、そしてよほど運が良くないと撮れない。狙ったからといって思い通りの写真となるかは、根気と時の運を天秤に掛けるようなものである。
 この時、狙いを定めた通りにピントが合い、右から左方向に走る稲光をカメラが捉えた。それは瞬きよりも早い一瞬の出来事で、私は肉眼では見る事が出来なかった。このような決定的な写真は今後、そう何度も撮れるものではないだろう。200枚の内199枚は失敗だったが、この1枚が撮れたお陰で私は至上の達成感を味わう事が出来たのである。
 自然の猛威と言えば、トルコ・シリアの巨大地震で4万人をはるかに超える犠牲者が出ており、胸が痛くなる。一刻も早い救出と復興が進み平穏な日々を取り戻す事を心から願うばかりである。この地震で亡くなられた方々のご冥福をこの場を借りてお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 鳩山会館で薔薇を撮影したその三日後、紅葉の撮影に出掛けた。場所は昨年と同じ九品仏浄真寺である。退院から僅か一週間足らずで2度も撮影に出掛けるのはかなり荒っぽい行動だったと思うけれど、撮影のタイミングを逃すまいとそれだけに心が捉われていた。撮影はある意味、麻薬的な要素を持っていると思う。
 ファインダー越しに映る被写体の世界を如何に表現するか、一心不乱にシャッターを切る。カメラと出会って生まれ変わったと言っても、それは決して大袈裟な表現ではない。自分が目指す域にはまだまだ遠く及ばないけれど、昨日より今日、今日より明日…と言った風に試行錯誤しながら思う存分、写活を楽しみたい。
 前回は24-200mmズームレンズで撮影した紅葉、今回はZ MC105mm単焦点レンズを使用した。この九品仏浄真寺は紅葉スポットとして人気が高く、見頃の時季には数多くの観光客が訪れる。仁王門を潜るとそこはまるで京都の寺院に迷い込んだかと錯覚するほど、近隣の街並みの喧騒が嘘のように静寂と尊厳が重なる様に流れる空気の中で、色取り取りに化粧をしたもみじ達の姿が出迎えてくれる。
 コロナ禍ではあるが行動制限がない中で、昨年とは比べ物にならないほど大幅に訪問者が増えており撮影にも結構気を遣った。そう言えば前回は焔魔堂の前に茶トラの猫が出迎えてくれたのだが、人が多すぎるせいなのか猫の姿はどこにもなかった。可愛い茶トラに会いたかったのにそれだけが残念であった。