プールサイドの人魚姫 -5ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 夜景を撮りたいのは山々なのだが今冬の寒さが余りに厳しく、寒風吹き荒ぶ凍てつく空の下に一歩踏み出す意欲も凍り付いてしまったようだ。日中は兎も角、陽が落ちると一気に気温も下がる。心臓の事を第一に考えれば寒さは大敵と承知してはいるものの、長い時間カメラに触れていないと撮影の勘が鈍ってしまうのではと一抹の不安を覚えるのも事実。
 車の運転と同じで、1週間ハンドルを握っていれば勘は取り戻せるだろうから、撮りたい物に出会ったら躊躇う事なくシャッターを切ればそのうち慣れて来るだろう。先日、久しぶりに防湿庫からカメラを取り出してみたのだが、何とも重く感じた。「これミラーレスだよなぁ?」と一瞬疑いたくなるほどの重量を感じた。つまり、それほどに筋力が落ちているのだ。ミラーレスを重いなんて一度も感じた事はなかったが、流石に撮影から遠ざかっている時間が長すぎるのだろう。だが、今は何より心臓を優先しなければならない。後1カ月もすれば春の芽吹く足音が聞こえて来るのだから。
 と言う事で、upしたphotoは2年前の8月上旬、確か箱崎辺りへ撮影に出掛けたその帰りの路で隅田川テラスを散策しつつ、撮影した東京の夜景である。隅田川を跨いで通る隅田川大橋とその上を箱崎ジャンクションから続く首都高が、大都会の高層ビル群の中に吸い込まれる様に伸びて行く様は東京ならではの景観だと思う。金色に輝く橋と高速道路!「美しい」を通り越してまさに圧巻の風景写真となった。隅田川に映り込む光の帯もこの世の物とは思えない美しさ!
 この撮影で使ったレンズはsigmaの12-24mmだったと思う。単焦点レンズでなくとも、カメラの設定次第で、レンズの特性を最大限活かした撮影が出来るものである。

 

 

 

 これほどまともにポートレート(人物)を撮ったのは始めてかも知れない。12月3日、場所は増上寺。この時、私はタムロンの望遠レンズ70-300mm(Zマウント)を取り付けている最中だった。そこへ家族連れの観光客が現れ、その中にこちらの女性がおり、紅葉を背景にして記念写真を撮り始めた。これはチャンス到来と思い、「一枚撮らせて下さい」と声を掛け、カメラを向けた。すると女性はそれを待っていたかの様に、カメラ目線で私の方に満面の素敵な笑顔を見せてくれた。
 少し緊張したのは彼女の方ではなく私で、カメラの設定も忘れて「パシャ!」とシャッターを切った。撮れた写真をその場で見せるととても喜んでくれ、SNS等に写真を投稿する事も快く承諾してくれた。
 うぐいす色の着物と紅葉の鮮やかな赤色が見事なまでにお互いを際立たせ、女性の美しさをなお一層、引き立てていた。カメラを始めて3年、これまで風景をメインにして様々な物を撮って来たが、今まで全く興味のなかった物に対し、カメラはそれを一変させせてくれた。ファインダーから覗くその世界はまるで別次元。写真は私の味気なかった人生に活力を与えてくれた。それはまさに人生のスパイス!何が切っ掛けで写真を撮り始めたのかそれも忘れてしまったけれど、私の写真人生、多分、この命が尽きるまで続くのだろう…。
 今回のポートレートで一つ残念だったのは、明るい単焦点レンズだったら、もっと鮮やかな写真が撮れただろうと思う。咄嗟の時でもレンズ選びは慎重に行うべきである…と言う教訓を得た次第である。

 

 

心の奥底に隠しておいた

欲望の種が

紅く染まりながら

実り始めて行くのを

僕は ただ黙って

見詰めていた

君の麗しき誘惑に

やっぱり僕は

勝てそうにない

 

 

 退院してまだ間もない11月24日、満を持して撮影に出掛けた。天気は雲一つない秋晴れで、青い空が私を呼んでいるかのようだった。入院中、看護師さんたちとの会話は写真の事が中心だった。「退院したら薔薇を撮りに行く」そう話しながら、退院の時期が気掛かりで、11月中旬以降になったら秋バラの見頃を過ぎてしまう…と内心かなり焦っていた。
 私のカルテには『趣味、写真撮影』と記してあるため、カルテに眼を通す医療スタッフたちの殆どが私の写真好きを知っていた。主治医は「何としてでも神戸さんに再度撮影出来る身体にしてあげたい」と、顔を合わせる度に口にしていた。
 先日の循環器外来で撮影に行った話しをすると、主治医は嬉しそうに身体全体で喜びを表現しており、その優し気な顔には安堵の色が拡がっていた。ただ懸念材料は、右肺にまたしても水が溜まり始めていた事。これが長期に渡って続けば前回と同じ心不全を招き6回目の入院は免れないだろう。
 そうならない為に、利尿薬の『サムスカ』が0.5錠追加された。後は塩分1日6g以下を徹底して守り、出来るだけ入院時と同じ生活を心掛ける事である。然し、それが中々出来ないから何度も入院している訳で…。
 さて、今回も昨年と同様、『鳩山会館』の薔薇を撮影した。やはり開花のピークを過ぎており、昨年の様な勢いのある薔薇に中々出会えなかったのは残念だったが、その中でも納得の行く数枚を撮影出来たので良しとする。電車に乗っている時間の方が長く、殆ど歩いてはおらず、病み上がりのリハビリには丁度良い撮影となった。ただ、やはり急な上り坂は想像以上にきつかった。オペで三尖弁の逆流が治ったからもっと楽に登れるかと思ったのだが、まだ術後3ヵ月、心臓は快復の途上である。焦る事はない、時間はあるのだからゆっくりリハビリを重ね元気を取り戻して行こう。

 

 Happy New Year!
 Best wishes for peace and prosperity!

 

 昨年、12月中旬頃に風邪を引き、激しい咳と発熱ですっかり体調を崩し約2週間自宅で寝たきり状態となった。夜になると咳が益々酷くなり眠れず、体力・気力を根こそぎ奪われてしまい、『うつ状態』となり食欲は無く、意欲も失せ毎日栄養ドリンク1本と時々おにぎりを1つ口に押し込む程度だった。その為、体重も1週間で5キロ落ち10代半ばの頃の51キロに突入。術後の写真をお見せしたが、その時より更に痩せ、あばら骨が浮き出てまさに骨と皮のみになった。
 病院へ行き、診察を受け然るべき治療をした方が良い事は重々承知であったが、家の外に出る気力がないのである。消化器内科と歯科外来はキャンセル、漸く咳が治まった28日、腎臓内科の外来を受診。検査データを見ると何と腎機能が若干ではあったが改善しており、担当医もいつになくにこやかであった。
 自宅で2週間、安静と保温に徹していた事が功を奏したのだろうか?『災い転じて副となす』と言う結果が無事に年を越し新年を迎える事が出来た喜びへと繋がったのだと思う。術後3ヵ月を迎え、心不全の兆候は見られず安定していると思う(ほぼ寝正月)。体重は55キロ台を維持しており、体調的には中の上辺りだろうか。昨年と同様に神社(初詣)は神田明神だが、8月に撮影した観覧車以来の夜景撮影に勘が鈍ったかピントが少し甘いような気もする。
 暫く眠らせていたsigmaの12-24mmとNIKKOR Z40mmf2の2本のレンズを使用。身体への負担も考慮し、slickのミニ三脚を使った。
 昨年はその半分を入院と言う想定外の事が立て続けにおき波乱の連続だった。今年は入院で失った分をもっともっと元気になってカメラで取り戻したいと思っている。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS/10秒,f/14 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0

 

 

 入院中、病状がある程度安定して来ると、酸素や点滴をしたままでも、病棟内歩行の許可が下りる。ガラガラガラと点滴棒をお供にしてリハビリも兼ねた歩行それ自体が意外と楽しみの一つとなる。歩行が出来ればシャワーもほぼOKとなるので楽しみが少しづつ増えて行く。
 そんな些細な楽しみの中に、16階の高層ビルから眺める東京の街並みもまた時を忘れる癒しの空間が存在する。東京の夜景を眺めている時、遥か東の方角に緑色に輝くリングのような形状の建造物を発見した。最初はお台場の観覧車かと思ったが、『パレットタウン大観覧車』は8月31日で営業を終え、今は解体工事が進行中だと言う。
 翌日、リハビリ中に観覧車の話しを担当の理学療法士に振ると「神戸さん、あれは葛西臨海公園の観覧車ですよ」と言うではないか。「ええっ!そうだったの?」まさかこの病院から葛西臨海公園が見えるなどと想像もしていなかったのでかなり驚いたが、やはり日本最大級の観覧車と呼ばれているだけの事はあると改めてその大きさに納得した。
 投稿した観覧車は昨年も同じ時季に撮影しているが、今回はNikonではなく私のお気に入りの1本、LAOWA14mmの中華レンズで撮影。レンズが変わると映り方も随分と変化するから面白い。そろそろ術後2ヵ月を迎えるが退院後、夜景撮影はまだ一度も行っていない。三脚を含めたカメラ機材だけでも、おそらく6~8キロはあると思う。肋骨がしっかりくっ付くまで当分の間は重い物を持たない方が良いと言われているため、本格的な夜景撮影は来年からにしておいた方が良さそうだ。然し、それ以前に無事に年を越せるかそれが心配の種である。何しろ1日の塩分制限6g以下を守らないとまた『心不全』を引き起こすからだ…。

 

 

ICU→HCU→そして一般病棟(心臓血管外科)に戻り身体中に繋がっていた管が全て取れ、すっきりした術後5日目の朝。

 

思いもよらぬ5回目の入院ですっかり意気消沈するも順調に回復し、酸素も外れてリラックスの午後。

 

 10月5日午前9時30分、心臓を止めずに切る『オフポンプ手術』が行われ、三尖弁輪形成術はほぼ予定通り無事に終了した。三尖弁自体が意外と丈夫だったため、大きく拡がってしまった弁を引っ張っても破れて破損する事なく人工弁輪を縫着し補強。自己弁修復で血液の逆流が95%回復し、理想的なオペとなった。
 手術における3つのリスクも全て回避し最も懸念されていた透析も、瀕死の状態だった腎臓がここ一番で最後の力をふり絞り手術に耐え抜き透析回避!覚悟の上だったので透析せずに済んだ事は奇跡的な事だったかも知れない。肝臓もほぼ『肝硬変』状態だったが血流が正常に戻った事により徐々に回復の途上にある。そして術後数日は脈が不安定で50を切る徐脈が連発していたため、外付けのペースメーカーで調整していたがそれも不要となった。人工弁(生体弁)を使用しなかった事から4度目の手術も視野にいれる必要がなくなった。
 これほど全ての条件が揃って成功したと言うのは、勿論、ドクターとそのスタッフたちの優れた医療技術の賜物であるが、それだけではない、私自身の運の強さが今回もまた大成功へと導いてくれたものと思う。
 術後はとんとん拍子に快復し、後は退院を待つばかりとなり、執刀医から退院のgoサインが出たのは、手術から10日目の15日だった。ちょっと早すぎるのでは?と疑問もあったが、執刀医の判断なのだから大丈夫だろうと思った。そして10月20日退院、体重が10キロ近く落ちて正に骨と皮だけの身体になったため、ジーンズが緩々で腰骨で辛うじて止まっている状態だった。
 約1ヵ月ぶりに自宅へ戻ったが、筋力・体力の低下が著しく、動いていても直ぐに疲れてしまう状態だった。これは兎に角リハビリをきっちりやらねばと思っていたが、オペが成功した割に身体が今一つ動きが悪い。もっと動けて良いのでは?と腑に落ちない日々を送っている内に、いつの間にか体重が増え始め、退院から1週間が過ぎた頃には5キロ近く増えてしまった。それとともに息切れが酷くなり、まともに歩く事すら困難となった。浮腫みも動悸も無かった事からこの時は『心不全』だとは考えていなかった。然し、日増しに息切れは尋常ではないほど激しくなり、着替えをするだけでも息が切れて動くのが辛かった。
 流石に我慢の限界を越えてしまったため、11月1日タクシーで病院へ行き、そのまま7階の循環器病棟へ緊急入院となった。肺に増えた体重分の水が溜まり、130を越える頻脈、血圧も高く、45%あった心機能がなんと20%まで落ち込んでいた…。そして毎日2回の利尿薬投与が始まり、それとともに折角快復した腎臓が再び悪化し始めた。
 手術自体は文句の付け所がないほど上手く行ったと言うのに、何故に心不全を再び起こしてしまったのか・・・。その原因は未だに謎のままである。兎に角、今後も油断をすれば心不全を繰り返す事だけは間違いなさそうだ。手術によって心不全とは永久におさらば出来ると思っていた自分が甘かったと言うことなのだろう…。取り合えず、体調は元に戻り11月19日に退院となった。もう今年の入院は今回で終わりにしたいとつくづく思う。

 

 

 

 

 

 

太陽の翼に乗って
この青い天の果てまで
飛んで行こう
太陽の翼に乗って
希望の未来を夢見て
何処までも
何処までも
飛んで行こう

 

 

 今年は向日葵を撮影する為に、同じ場所に2度足を運んだ。何故そんな事になったかと云うと、持って行ったレンズの違いである。同じ被写体でもレンズが変われば全く別の表情をした被写体が撮れる。これを繰り返し行くとキリがない無限のループに嵌まり込んでしまうため、適当な所で妥協しなくてはならない。
 葛西臨海公園のひまわり畑は昭和記念公園ほど広くはなく、撮影には丁度手頃な感覚である。余りにも広過ぎると畑の中を歩き回るだけでかなり体力を消耗する。しかも、真夏の炎天下だから尚更である。
 撮影には4本のレンズを使ったが、一度に4本はとても重すぎて持てない。三脚も含めると2本が限界。だからどんな撮り方をしたいのか、予めイメージを膨らませておく必要がある。それでも納得の一枚が撮れさえすれば疲れも天の彼方に吹き飛んでしまうのだが、やはり欲が出て来ると、もう一度チャレンジしたくなるのだ。最初は14mmの中華レンズと買ったばかりのZ 20mm f/1.8 S。両方とも超広角レンズだが、Z20mmの方はかなり寄る事が出来、マクロのような使い方も出来る。
 2本とも単焦点レンズだから描写力は抜群で、超広角のダイナミックな向日葵を撮る事が出来た。然し、やはり花を撮るならマクロだろ?と頭の中の天邪鬼が語り掛けて来る。 そして美ボケで定評のあるZ MC105mmの出番となった。もう1本は離れた場所の向日葵を撮るため、24-200mmも使用した。この時はまだ3回目の入院が待っている事など夢にも思っていなかった。その6日後に入院、ちょっとばかり無茶したのかも知れないと、内心反省している。
※9月20日、心不全の治療及び術前検査の為、入院致します。いよいよ3回目の心臓手術の準備段階に入りました。

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO1000,SS1/40,f/6.3 Z24-200mm f/4-6.3VR

 

日頃の感謝を込めて、残暑お見舞い申し上げます。


※7月30日、六本木にある乃木神社の『つれそひ風鈴回廊』を撮影。この日、20代前半と思われるカップルの挙式に出会い、何ともおめでたい縁起の良い日となった。
 さて、8月16日の循環器内科外来にて、体重増加、浮腫み、心不全の初期症状を主治医に訴えた。胸部レントゲンを見ながら「入院しましょう…」。ベッドの空きを確認し、翌日の入院が決まった。
 2013年のワースト記録に並ぶ今年3回目の入院である。今年残り4か月余りで記録を塗り替える4回目と言う有難くない結果を招かないよう十分気を付けなくてはならない。救急車を呼ばず、自分の足で三井記念病院の入院受付のドアを潜ったのも随分と久しぶりだった。係りの女性に案内され15階へと向かった。5,6月は7階と14階だったから、同じ階でなくて良かったと少しホッとした。「あれ?神戸さんまた戻って来たの?」と知った顔の看護師から声を掛けられるのは流石に恥ずかしくもある。
 担当医は今回は変わって前回とは別の医師となった。治療自体は利尿薬の投与で身体中に溜まっている水分を取り、浮腫みを軽減させる事。心不全の治療は毎回同じだが、痛みが伴わないだけマシかも知れない。
 入院一週間目には体重は5キロ落ち、浮腫みもかなり引けて来た。大根の様に浮腫んだ足で歩くのは結構辛かった。利尿薬のフロセミドとサムスカが増量となり、尿酸値を下げる薬も追加となった。そろそろ内科的治療の限界点が見えて来たため、心不全の元凶となっている三尖弁の逆流を止める手術の事もいよいよ選択肢として、頭の中に入れて置くようにと話しがあった。
 次、また心不全を起こしたらおそらく私は手術台の上で『俎板の鯉』となっているかも知れない。何度も心不全を繰り返していると心臓にダメージが蓄積し、心臓自体の寿命が縮むばかりである。私の余命は後何年?最近はそんな弱気な事を考える様になった。手術を受けて成功すれば、QOL(生活の質)も今よりも随分と良くなるらしい。三尖弁の手術は予後が余り良くないと聞いていたが、私が弁置換を受けた30年以上前と比べたら医療技術は格段に進歩している筈である。手術を受けて元気になった自分の姿を想像しながら、ありったけの希望を抱えて未来の扉をノックしようと思う。

 

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB曇天,ISO200,SS/10秒,f/16 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 主演の綾野剛がこの公園でランニングしている場面を何度か観た。TBSの日曜劇場『オールドルーキー』のロケ地となっている豊洲ぐるり公園。私が撮影に行ったのは5月2日で入院する1週間ほど前。この場所がロケ地だと知る由もなく、雨上がりの公園をカメラに収めたかったその一点のみが目的だった。
 雨が降るかどうか全くの賭けであったが、目的地に着いた頃は灰色の雨雲が低く垂れ込め、今にも泣き出しそうな空模様だった。この公園は東京湾に流れ込む晴海運河に沿って、長い直線の整備された散歩道がレインボーブリッジ方面に向かって走っている。ここを訪れる人は余り多くなく、天気の良い休日にバーベキューを楽しむ人や釣り人たちで多少賑わうが、この直線の道をトレーニング場所としてジョギングやランニングで汗を流す人たちくらいが目立つ程度である。
 公園の風景を撮影しつつ歩いている内に薄暗い空からポツポツと待望の雨粒が真珠のように落ちて来た。カメラ本体は多少濡れても平気だが、レンズは以前紹介したLAOWAで殆どがアナログレンズ、しかも防塵・防滴一切なしなので、レンズを守らなくてはならない。カメラは既に三脚に取り付けてあり、それを担ぎ右手で傘を指して雨を凌いだ。だが然し、風も強くなり雷鳴も轟き始めた。傘が殆ど役に立たなくなった。この公園は雨風を凌ぐ場所が殆どないため、豊洲大橋をひたすら目指した。雨の日の情景もカメラに収めたかったので、多少濡れるのは覚悟の上でシャッターを切った。
 雨風は益々強くなりまるで大嵐の様相だった。真っ黒い空に青い閃光が走り、雷鳴が空で暴れていた。橋の下にいても風で雨が吹き込んで来た。レンズにビニール袋を被せ、雨を防いだ。30分ほど橋の下にいただろうか、その内、雨は小ぶりになり雷鳴もいつの間にか遠ざかって行った。雨雲が去り空は白い雲へと変化して行った。目的通り、雨上がりの公園(夜景)を何枚もカメラに収める事が出来た。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/800,f/3.2 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 

青い瞳の恋人よ
踊っておくれ
歌っておくれ
青い青いその瞳で
僕だけを見詰めておくれ
風は優しく頬を撫で
心は青い瞳で満たされてゆく
踊っておくれこの僕と
歌っておくれ
壊れかけた
この僕のために

 

 

 壊れかけたと言うより壊れてしまったと言う方が正しいかも知れない。6月21日に退院してから1ヵ月以上が経過した。「その後如何ですか?」と言う体調を気遣うお言葉を多々頂く。有難い事だと思いつつも「元気になりました!」と胸を張って言えない自分が情けなくなる。退院したら撮影出来なかった2か月分を取り戻す積りでいたし、自分を鼓舞するため、新たにZマウントの単焦点レンズを購入、更には軽量のトラベル三脚も買った。新しいレンズを買えば否応なしに撮りに行きたくなるのは必然。
 だが、最も撮りたい夜景を未だにカメラに収めていない。撮影許可は下りているので出掛けてはいるが、入院前の3,4月頃と比べると明らかに全ての点で調子が戻っていないのである。暑さや感染爆発しているコロナの影響もあるだろうが、やはりまだまだ病み上がりの状態から脱していないのが現状。無茶をすればまた病院のベッドが待っている…。
 そして最も気がかりなのが腎臓の今後の行方である。いつかは『透析』とそれは覚悟の上だが、腎不全に関しては何とも腑に落ちないのである。撮影から自宅に戻って足を見ると、自分の足とは思えぬほどに浮腫んで変形している。何故ここまで悪化する前に手を打たなかったのか?両足を見詰めながら愚痴一つ…。心臓病の事はもうよいから、腎不全を治す特効薬が欲しいなぁ。
※ネモフィラは4月、日比谷公園で撮影した。昭和記念公園まで行けば広大な敷地にネモフィラ畑が拡がっているのは知っていたが、そこまで撮影に行く元気は流石になかった。地面スレスレに咲いている花の撮影は姿勢を低くして撮らなければならず、無理な姿勢を長時間続けたため、翌日は身体中が筋肉痛だった。