第23話 | 臨時作家

第23話

ひろい道場の両脇に門弟がずらりと正座してならんでいる。弥隅が神前礼をすませ見所の中央に正座すると、門弟からいっせいに座礼がなされた。
 目録印可は、その日、印可される一番上の目録から順に出されることになっており、今日の印可は仁志の上伝からはじまる。
 弥隅が巻物にされた印可状を手にしている。
「河勝仁志、上伝印可に致し上げる。前へ」
 全員の視線が仁志にそそがれた。仁志は、だが、顔面を蒼白にしたまま、いっこうに動こうとしない。門弟が顔を見合す。上座から上伝の三人が乗りだすようにして仁志をのぞきこんだ。
 仁志……?
 建は弥隅の顔をちらと見ると、横にいる仁志の袴を二、三度、かるく引っ張った。すると、仁志が、その場ですばやく弥隅に膝をむけた。
「承知……致しかねます」
 道場に息を呑むけはいがただよった。印可をことわるなど前代未聞である。奥伝や上伝の連中でさえ、事の成り行きをみまもって固唾(かたず)をのんでいる。ひとり、弥隅だけが印可状を手に黙然と座っていた。弥隅は聞こえていなかったかのように、おなじ言葉をくりかえした。
「河勝仁志、上伝印可に致し上げる。前へ」
 仁志は顔に深い焦燥をただよわせ立ちあがったが、弥隅と二間もの距離をおき正座した。
 弥隅がもう一度「前へ……」と、言い、立ちあがる。
 建がぴくりとして腰を浮かせた。
 見所からおりてきた弥隅が大股に仁志の前まで歩みよっていった。仁志がさっと面(おもて)をあげたと同時に、弥隅の掌(てのひら)が、容赦なく仁志の左頬をうっていた。
 だれかが小さく声をあげる。
「なんど、わしに同じことを言わすか!」
 弥隅の怒声が道場にひびきわたった。姿勢をくずして床に両手をついたまま仁志は微動だにしない。建は思わず片膝ついて中腰の姿勢をとっていた。いまにも仁志に走りよろうと立ちかけたとき、弥隅の鋭い一喝が飛んできた。
「だれが立てといった! おのれ、それでも目録か!」
 建が歯をくいしばり弥隅を見返す。弥隅は建を一瞥すると見所にもどり座りなおした。建がふと視線をそらすと、正面に座っている一堂の諭(さと)すような視線とぶつかった。一堂が止めておけといったふうに首を横にしてくる。建は渋々、腰をおろした。
 弥隅は居ずまいを正すと厳然たる態度で正面を見据えた。
「河勝仁志。上伝印可に致し上げる。前へ!」
 仁志、頼むから……。
 建は汗ばむ手で袴をにぎりしめた。一週間前の一堂との乱取り、そして、今日の目録印可辞退……。輪郭のない暗澹(あんたん)とした翳(かげ)が胸中をおおっていた。今日のことはどうであれ、乱取りの一件は弥隅が仕組んだことに違いないのだ。弥隅のもくろみなど考えもおよばないが、どうころがっても仁志の立場は悪くなる一方である。ここに至って、追い込まれた仁志が武術をやめてしまうのではないかと、建は煩悶(はんもん)さながらの苛立ちをおぼえていた。
 息づまるような瞬間(とき)が、遅々としてながれた。
 遠くで雷鳴が鳴り、降りだした大粒の雨が地面をたたきだす。
 左右に一列にならんだ、いくつもの顔は、流れつたう汗で、まるで濡れているかのように見えた。
 仁志はそれらの視線を背にゆっくりと体をおこすと、見所のまえまで膝行(しっこう)していき、緩慢(かんまん)な手つきで袴をととのえた。そろえた両手が、すべるように膝前におちる。一呼吸おき深々と頭がさがりはじめ、そして、とまった。
「……つつしんで、お受けいたします」



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