第13話 | 臨時作家

第13話

-第2章 上伝印可-




 千代田線「代々木上原駅」の改札から出てきた長身の男は、手に重そうな紙袋をさげ黒のスーツを着ていた。
 帰宅を急ぐサラリーマンが早足に脇をとおりすぎていく。
 男は足をとめ暮れはじめた梅雨空をあおいだ。
 いまにも泣きだしそうな空の奥で雷が音もなく光っている。
 男は腕時計に目をやると大股に歩きだした。
 駅からまっすぐの上原銀座を左におれると閑静な住宅街になっている。男はほそい路地をいくつもまがり「神坂」という表札がある家のまえで足を止めた。
 男は忍壁桂介(おさかべけいすけ)、赤坂の芸能プロダクションに勤めている。
 桂介がインターホンを鳴らそうとすると「あいてますよ」と、頭上から声がかかった。 見ると、二階のベランダから顔をのぞかせている若い男がいる。桂介はそのまま家にはいると声もかけずに二階へとあがった。
「周一郎、入るぞ」
 桂介が返事をまたずにドアをあけると、周一郎と呼ばれた若い男は、椅子に腰掛けデザイン雑誌をめくっていた。
 周一郎の部屋は十畳のスペースに本棚、机、ベッド、サイドテーブルがバランスよく配置されており、ドアをはさんで左右にクローゼットと大きな本棚がある。本棚にはデザイン関係のマニュアルや洋書類がずらりとならび、ベランダ側の窓を背におかれた重厚な机のうえには、パソコンとファックス、プリンターなどが、ところせましと置かれていた。
周一郎は机の上に雑誌をおくと桂介がさげている紙袋に目をやった。
「遅かったですね」
「理玖のプロモ撮影に、ちょっと顔を出してきた」
 言うと、桂介は手にさげていた紙袋を床に置いた。フローリングの床が紙袋の重さに鈍い音をたてる。
「桂介さん、高原美砂子の担当でしょう?」
「担当のディレクターが知り合いだったんだ」
 神坂周一郎(かみさかしゅういちろう)は、DTPデザインの仕事をしている。仕事は広告関係が中心で、取引先の広告代理店から委託されポスターや店内POP、新聞の折込広告などを手がけている。時折あるクライアントとの打ち合わせ以外は、ここ、代々木上原にある自宅で仕事をしていた。
「おばさんは、仕事か?」
「ええ。今日は新しくきた講師の歓迎会があるとかで遅くなるみたいですよ」
 周一郎は両親と同居している。七歳上の姉がいるが、周一郎が高校の時に結婚して現在は横浜に住んでいる。周一郎の母親は近くのカルチャースクールで、フラワーアレンジメントの講師をしていた。周一郎が学生の頃はパーティ会場や結婚式場など、現場を飛びまわり多忙な日々を送っていたが、五年ほど前からスクールの講師に落ち着いていた。
 周一郎が立ちあがり紙袋の中をのぞきこむ。大学ノートが三十冊ほど入っていた。桂介は、スーツの上着をぬぎベッドに投げると、自分もベッドに腰をおろした。煩わしげにネクタイをゆるめる。
「期待するな」
 周一郎は無言で紙袋から数冊の大学ノートをとりだすと、椅子に腰掛けノートをめくりだした。
 一冊目を手にとり流すように最初から最後までめくる。二冊目も同様に確かめる。三冊目にかかり途中で手をとめた周一郎が、ちらと桂介を見た。
「これ、道場日誌ですよね」
「みたいだな」
「これでなにがわかるんです」
「稽古に参加した弟子、師範、稽古内容……」
「桂介さん」
「だから期待するなと言っただろう」
「どういう触れ込みで室士一刀流の金沢道場にいったんです」
「新しく古流の雑誌をつくるから取材させてくれ……とか、なんとか」
「とかなんとかって、桂介さんが頼んだでしょう? その雑誌記者に」
「餅は餅屋っていうだろう。俺よりむこうのほうが上手く言うと思ったんだ」
「まいったな……、で、いくら払ったんです」
 桂介は口をへの字にすると両手を開いてみせた。
「十万?」
 周一郎は長息してかぶりをふると、サイドテーブルの上にあったポットをとりに立ちがあった。戻ってきて机の上にあった空のマグカップにいきおいよくそそぐと、桂介に向かってポットを持ちあげてみせる。
「いやいい。スタジオでいやってほど飲んできた」
 周一郎は珈琲をひとくちのむと、机のひきだしをあけ「港興信所」と印刷されたA4サイズの茶封筒をとりだした。中から書類をつかみだす。
「また、興信所に依頼したほうが良かったんじゃないですか」
「ばか言うな。北鎌倉の調査だけで、いくら払ったと思ってるんだ」
「十万、ドブに捨てるよりマシでしょう?」
「………」
 桂介は舌打ちすると、紙袋からノートを数冊とり頁をめくりはじめた。




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