08★「かめおかゆみこ」ができるまで | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

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あなたが輝く≪表現≫をサポートします!・心身の解放(ゆるめること)・感情の解放
と切り換え・表情トレーニング・身体表現・声の表現・話しかた・聴きかた等々、28年
にわたるワークショップ体験をもとに、あなたオリジナルのセッションを提供します!

かめおかゆみこ です。

 

 2003年11月1日に創刊した、日刊メルマガ「今日のフォーカス

チェンジ」が、きたる7月10日に、5000号を達成します。ウインク

 

その記念に、自分の人生ドラマをまとめています。


題して、「『かめおかゆみこ』ができるまで
01★黒曜石が採れた村

02★「いのちの場」で

03★自然と絵本と空想と

04★「トリップ」する子ども

05★「世界」の終わり

06★2つの交通事故

07★頭のよくなる薬

 

 

08★居場所を見つけた!

 

中学校は、同じく小清水町の小清水中学校に進みました。坂の上に

あったのですが、あまりに急で長い坂道なので、自転車通学でしたが、

自転車置き場は、坂の下にあったと記憶しています。

 

この年は、私の人生のなかで、原点となるエポックになった年といって

いいと思います。中学校に入って、演劇部に入部したのです。

 

 

小学校時代、私自身の妄想癖、過集中、コミュニケーションのとれな

さ(まわりがどう思っていたかわかりませんが、私のなかに距離感が

ありました)から、ひそかな孤立感をいだいていました。

 

音読が大好きで、授業中はよく読ませてもらっていたのに、学芸会で

は、2度とも、せりふのある役にはつくことができませんでした。

 

だからこそ、演劇部は、私にとってあこがれでした。文芸部という選

択肢もあったでしょうが、小清水中学校に文芸部はなかったのです。

 

部室は、体育館のステージ横のスペースを、なんと、剣道部と半分

こにして使っていました。そのため、ひじょーに汗くさかったです。爆  笑

 

当時の小清水中学校は、それまで演劇部顧問をつとめていた、松

岡義和先生が転出したばかりでした。

北海道の美術教育のリーダー的存在でしたが、演劇への造詣が深

く、脚本も書き、そのため演劇部はとても活気があったのです。


はじめての発声練習。はじめての基礎練習。何もかもが新鮮で
した。そして、5月にははじめての公演が待っていました。

しかもなんと、その公演は、地域の小学校の巡回公演。5月の
連休のあいだに、町内の小学校(すべて僻地の小規模校です)
3つほどをまわるというのです。

いまとなっては信じられません。連休中に学校を開けて(参加
は任意だったでしょうが)、中学生のお芝居を小学生が観に来

てくれるのですから。びっくり

演目は、「ジャックと豆の木」。私は音響助手で、はじめて、オ

ープンリール(年代がわかるな~。いまや骨董品?)の使いか

たを教えてもらいました。

 


ところが、本番2週間くらい前のことです。主役のジャック役の

3年生が、急に部活を休むようになってしまったのです。

うわさでは、高校受験にそなえるため、演劇部をやめるかもし
れないとのこと。部内に衝撃が走りました。

そんなある日、演出さん(たぶん、部長さんでもあったかも)に、

呼ばれました。

「かめおかさん、もしかしたら、代役を頼むことになるかもしれ

ないから、せりふを暗記しておいて」

えええええ?ポーン まだ入ったばかりの1年生ですよ。でも、

私が劇に夢中なのは、はたから見ても感じられたのでしょう。

私は、こころの半分では、主役の先輩がもどってきてくれるこ
とを願いつつ、必死にせりふを暗記しました。そして、なんと
3日で、台本そのものを全部暗記してしまったのです。

幸い、先輩は1週間ほどでもどってきてくださいました。
ほんのちょっぴり、がっかりしたのを記憶しています。爆  笑

連休、無事に僻地公演が実現しました。路線バスで、自分た

ちで小道具などをもってまわりました。体育館では、子どもたち

が待っていてくれました。夢中で音出しをしました。


次の公演は、文化祭だったと思います。このときの作品は、O
・ヘンリー原作、松岡先生脚色の「最後のひと葉」。

このころ、私は、すでに脚本に興味をもっていました。見よう見

まねで、自分でも同じ作品の脚色をしてみました。もちろん、没

になりましたが、これが最初の脚本創作になりました。

また、役としても念願の出演を果たしました。私は病気の女の
子…ではなく、はげますほうの友だちの役でした♪(笑)


そして、この作品をもって、秋、「オホーツク子ども劇場」という

催しに参加することになりました。

「子ども劇場」というと、「親子劇場」など、児童劇団の観劇組織

と思われるかもしれませんが、ここのそれは、そうではなく、地

域の演劇クラブなどが集まっておこなう発表会でした。

当時、松岡先生をはじめ、民間教育団体である、日本演劇教育
連盟の会員になっていた教員のかたがたが中心になり、「オホ
ーツク演劇教育連盟」という団体をつくっていました。

網走・北見管内(現在は「オホーツク」管内)の小学校・中学校

の演劇クラブ・人形劇クラブ、図書館の紙芝居サークルなどが、

一堂に集まって上演し、観劇し、交流するのです。

それを、「オホーツク子ども劇場」と呼んでいたのです。

あの日の不思議な感動は、数十年経ったいまも忘れません。
影絵、人形劇、舞台劇…、はじめて見る、他校の舞台。さまざ
まな表現形態に、こころをうばわれました。

なかでも、ある小学校の舞台に、強くひきつけられました。
村の子どもと雪んこ」(松岡義和作)。素朴なストーリーと、子

どもたちのピュアな演技が、強くこころを打ったのです。

帰りのバスのなかで、ひそかに涙が止まりませんでした。その
ときは、なぜ涙が出るのかわかりませんでしたが、いま振り返
ると、「自分の居場所を見つけた」想いだったのでしょう。

 

 

 

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