第18回 古今亭寿輔 ひとり会 | 落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

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鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。

 さて今日は、今月の16日にお江戸上野広小路亭で行われた”第18回 古今亭寿輔 ひとり会”について書こうと思います。この落語会は、異業種交流会である『狼煙の会』という団体が後援されていて、昨年の1月に道楽亭で開催かれた”古今亭寿輔独演会 「はばかりさま」”で知り合ったその会のメンバーの方からお誘いを受け、初めて参加しました。
 何を隠そう(別に隠す必要はありませんが)、僕は寿輔師匠の高座が好きです。「何故?」と問われても、おそらく、納得して戴ける説明は出来ないと思います。僕が好きな理由を色々と論(アゲツラ)うことは出来そうですが、それの半分以上は”説明のための説明”にしか過ぎないでしょう。一番近いのは、表現が変かも知れませんが、”傍惚れ”という感情のような気がします。だから、しばらく師匠の高座を聴いていないと、無性に聴きたくなったりします。でも、師匠に高座から弄られるのは嫌です。余談になりますが、僕の1冊目の本の中で初めて登場する時の”朝寝坊小道楽”(という主人公の1人)の風体は、敬愛して已まない寿輔師匠そのものです。もっとも初登場以降、小道楽に対してそれらしい表現は一切していませんが。ということで、最近芸協さんの芝居に出掛けていない僕にとってこの会は、なりかけた禁断症状への特効薬みたいなものでした。
 さて、この会は”ひとり会”と銘打っておいて出演者が3人という、如何にも”人を喰った”寿輔師匠らしい会でした。まずは古今亭今いちさんという前座さんが開口1番を務めました。演目は『初天神』でした。今いちさんの高座はおそらく初めて(もし定席の開口1番で聴いていたらごめんなさい)だと思いますが、なかなかしっかりしていて、好感の持てる高座でした。声も良く通りそうな質ですし、滑舌も悪くありません。飴や団子の蜜を舐める所作などが名前通りだなと思わせるところはありましたが、そんな欠点は経験を積めば治るでしょうからね。これからが楽しみな前座さんでした。
 次に高座に上がったのは橘ノ圓満師匠で、演目は『骨皮』でした。この噺、あの『金明竹』の前半部分だそうで、たしかにこの小僧なら、あの関西弁は理解できないでしょうね。これ、芸協さんの定席の芝居ではちょくちょく聴く噺のような気がしますが、改めて考えてみると、落語協会の噺家さんがおやりになったのを聴いた事がないような気がします。この噺、こういう”前・後半”のあるタイプにしては珍しく、登場人物の性格付けや背景などが一貫していて、例えば『宮戸川』のように後半が全く違うテイストになったり、『替わり目』みたいに後半が”取って付けた”ような感じになったりしていません。これ、どなたか通しでやって下さいませんかねぇ。きっと違和感のない、一段と可笑しい噺に仕上がると思うんですが。『金明竹』自体、この噺が前にあった方がより分かり易くなると思うんですよ、それぞれのキャラクターやシチュエーション(おかみさんの役どころも含めて)が。
 そして”ひとり会”であるはずの寿輔師匠が何事もなかったかのような顔をして高座に登場しました。演目は『釣りの酒』だったのですが、この噺に入る前のマクラが良かったですね。ご自身がこの日に着ていた、例のド派手な衣装からの回想で、初めてこの衣装を着て高座に上がった頃のエピソードを語ってくださって、それには大いに笑わせていただきましたが、同時に、「さもありなん」と感じ入りもさせられました。確かに、明治生まれの名人上手が楽屋にゴロゴロいらっしゃった時代にあの衣装を着て高座に上がる勇気たるや、ソンブレロにギターで高座に上がった川柳川柳師匠と双璧の革命家です。しかも寿輔師匠にとってそれは、川柳師匠の”何をしても売れたい、お客を沸かせたい”という苔の一念とは違い、その”奇抜さ”だけが目的ではなく、「芸さえしっかりしていれば、どんな奇抜な衣装で高座に上がっても、人情噺でお客をほろりとさせられる筈だ」という真の目的、当時の、「人情噺は黒紋付に黒の着物でやるものだ」という風潮に一石を投じようという想いがあってのそれだったんですからね。これは凄いことですよ。あっ、お断りしておきますが、これは別に、川柳師匠にはそういう信念がないと批判しているんじゃありませんよ。むしろその逆で、川柳師匠は当時”三遊亭さん生”という名の、バリバリの古典原理主義者(今の”イスラム国”みたいなものです)である圓生師匠の1番弟子だったんですからね。ある意味では、それをやってしまうことそれ自体が、寿輔師匠以上に冒険家だったとも言えるのですから。
 おお、興奮して書いているうちに、またまたこんなに長くなってしまいました。ここから『釣りの酒』と、仲入り後の『ラーメン屋』を書くのは無理ですので、今日は本編に入る前に店じまいです(寿輔師匠も”ひとり会”の3人目だったんですから、僕が”寿輔ひとり会”のブログを書くと言って、実際には寿輔師匠のマクラにしか触れていなくても、オアイコですよね)。では、続きはまた明日。