映画「オデッセイ」 平成28年2月5日公開 ★★★★★
原作本「火星の人」 アンディ・ウィアー 早川文庫 ★★★★★
火星での有人探査中に嵐に巻き込まれた宇宙飛行士のマーク・ワトニー(マット・デイモン)。
乗組員はワトニーが死亡したと思い、火星を去るが、彼は生きていた。
空気も水も通信手段もなく、わずかな食料しかない危機的状況で、ワトニーは生き延びようとする。
一方、NASAは世界中から科学者を結集し救出を企て、
仲間たちもまた大胆な救出ミッションを敢行しようとしていた。 (シネマ・トゥデイ)
まもなく発表のアカデミー賞最有力候補のひとつの本作、
公開日に行ったら、いつもガラガラのご近所シネコンはほぼ満員でした。
本編前の予告編は大作近未来スペースオペラばかりで、重低音に目のまわりそうな映像、
とどめはディカプリオの「レヴェナント」で、なんかもう始まる前にぐったりしてしまいました。
さて本編。
「オデッセイ」は、「火星にひとり取り残される」という孤独と絶望の極みみたいな設定なのに
これが、なんともポジティヴで楽しい~!
バックには往年のディスコミュージックなんかがかかっちゃうのです。
「ホット・スタッフ」「ラブ・トレイン」「ウォータールー」とか、
SF映画ではまずありえない、ノリノリのチョイスです。
原作はマークのログエントリー(一人称語り)で話が進むので、面白かったけれど
知識ないひとには理解できない部分もあったので、やっぱり映像がつくと助かる~!
ただ、彼のユーモアセンスは独白のほうが伝わるかな?もう何度も笑いました。
ぎりぎりの状態でジョークを言えるのが、真のつわものなんでしょう。
SF映画でも、ほとんどの場合、悪役や抵抗勢力なんかが必ず登場して、行く手を阻むんですが
この映画にはかたき役もいじわる役も全然登場しません。
マークが火星に置いて行かれたのも、誰かの陰謀でもなければミスでもない、
猛烈な砂嵐のなか、胸にアンテナが刺さったまま飛んで行って生体反応なければ、
あの極限の状況下では「死亡」と推定しても仕方ないことです。
船長は最後まで身を挺して捜索しようとしていたし・・・
死亡と発表して追悼式までやっちゃった後、マークが生きてることがわかっても、
(普通のSFだったら)その事実を握りつぶそうとする人を登場させそうなものですが、
それぞれ考え方の相違はあるものの、マークを救うことでは一致団結。
マークは火星で、たったひとりで食糧問題、水問題、などにとりくみ、
地球では世界中の知恵を集めて、救出に全力を注ぎます。
なんと中国までが協力を申し出るのです。
(なんで日本を出してくれないのかと思いましたが、中国より映画の集客数で期待されてないのかな?)
そもそもマークが火星にとりのこされた直後は、地球との交信手段すらなく、
生き残れなかった時のために、マークはブログのようにまめにビデオメッセージを残すのです。
「通信用アンテナと自分の血液で宇宙服の穴がふさがれ、奇跡的にぼくは生きてる。」
「みんなおどろくだろうな」
「サプラ~イズ!」
この日が「ソル19」
「ソル」というのは火星が自転した回数で、地球の「デイ」にあたり、「火星に来て19日目」の意味です。
火星に残された居住スペースには31日分の食料x6人分。
一人だったらけっこうな量ですが、次の火星探査は4年後で、それまではまず足りません。
南極に残されたタロジロだって、1年間よく頑張ったけれど、アザラシとか捕まえられるし、
めちゃくちゃ寒いけど、とりあえず酸素と水はあります。
マークはまずは食糧問題を解決するために、人工的に畑を作って、じゃがいもを育てることに。
有機肥料は、想像通り、仲間たちがのこしていったう○〇を混ぜ混ぜして作ります。
マークは植物学者だから、こういうのはお手のもの。完全有機栽培のいもが400個!
「火星よ、わが植物学のすごさを思い知ったか!」とおおいばりです。
彼は植物学者にしてメカニカルエンジニア。
人並み以上の知力と体力をもつ彼が、知恵をしぼり、窮地を乗り切ろうとする様は
本当に心から応援したくなります。
地球ではふつうに存在する水も、ここでは水素と酸素を結合させたりしなければつくることができません。
それでもひとつずつ確実に問題を解決していくマーク。
このときはまだ地球との交信はできなかったのですが、
ローバーで散策中に砂の中から掘り当てた旧式の火星探査機を直して
ようやく自分が生存していることを伝えられるのです。
生きていることがわかっても、片道4か月かかる遠い場所ですから、おいそれとは助けられない。
やっと軌道に乗った「有機栽培農場」が一瞬の気圧の変動でバクテリアが死滅して全滅したり
食料などを積んだ補給機が、プロテインキューブの液化でバランスをくずして打ち上げに失敗したり、
絶望的な状況が続くも、みんなで希望をもって、
「マーク・ワトリーの回収ミッション」に向けて知恵を出し合うのです。
何という人間賛歌!
「相手は宇宙、協力的じゃない」
そんな宇宙に立ち向かっていくには、みんなで協力して、あるいはひとりきりで
次々に問題を解決していかなくては。
恨んだり妬んだり足をひっぱりあったりなんかしてる暇はないのです。
原作では
「人間はだれでも互いに助け合う本能を持ってる」とありました。
人間っていいな~っ!・・・ と嬉しくなりますよね。
多くの人が同じことに気付いていたと思いますが、
マット・デイモンは、「インターステラー」でもひとり宇宙に取り残されてたんでした。
彼は氷の惑星で、惑星のデータを偽装して、人間の住める星だと偽って仲間をおびき寄せ、
仲間を殺して宇宙船奪って逃げよう・・・というとんでもない悪い科学者、マン博士でした。
「インターステラー」は登場人物たちの複雑な人間関係や感情のもつれ、時間軸もいろいろ変化するし
いかにも「作りこんだ」SFで、これはこれで面白かったのですが
「オデッセイ」は、純粋に科学と向き合う、ありそうでなかった「純粋科学物語」です。
「どこへいっても自分が一番乗り」
「どの国にも属さない国際水域で船に勝手に乗り込むのは海賊行為
だから、自分は宇宙海賊、スペースパイレーツだ!」
とか、セリフがいちいちポジティブです。
見た目がスマートで、敵をバッタバッタと倒すのがヒーローっぽいですが
たった一人で明るさを失わずに、そこらへんにあるものでなんでも作って、問題を片付けていく・・・
いやぁ、こっちのほうがかっこいいですよね~
ところで、最後までモヤモヤしたのがこの邦題。
原題「THE MARTIAN」の日本語訳「火星の人」(←早川文庫はこれ)でいいと思ったんですけど。
オデッセイは宇宙船にありがちな名前だけれど、ここで登場するのは「ヘルメス号」だし・・・
「長い冒険の旅」と言う意味なのか、NASAの火星探査機からなのか、
はたまた「2001年宇宙の旅」の原題からなのか??
いずれにしても作品と連動しづらいタイトルで、まずい邦題が足をひっぱりそうで心配です。
原作本「火星の人」 アンディ・ウィアー 早川文庫 ★★★★★
火星での有人探査中に嵐に巻き込まれた宇宙飛行士のマーク・ワトニー(マット・デイモン)。
乗組員はワトニーが死亡したと思い、火星を去るが、彼は生きていた。
空気も水も通信手段もなく、わずかな食料しかない危機的状況で、ワトニーは生き延びようとする。
一方、NASAは世界中から科学者を結集し救出を企て、
仲間たちもまた大胆な救出ミッションを敢行しようとしていた。 (シネマ・トゥデイ)
まもなく発表のアカデミー賞最有力候補のひとつの本作、
公開日に行ったら、いつもガラガラのご近所シネコンはほぼ満員でした。
本編前の予告編は大作近未来スペースオペラばかりで、重低音に目のまわりそうな映像、
とどめはディカプリオの「レヴェナント」で、なんかもう始まる前にぐったりしてしまいました。
さて本編。
「オデッセイ」は、「火星にひとり取り残される」という孤独と絶望の極みみたいな設定なのに
これが、なんともポジティヴで楽しい~!
バックには往年のディスコミュージックなんかがかかっちゃうのです。
「ホット・スタッフ」「ラブ・トレイン」「ウォータールー」とか、
SF映画ではまずありえない、ノリノリのチョイスです。
原作はマークのログエントリー(一人称語り)で話が進むので、面白かったけれど
知識ないひとには理解できない部分もあったので、やっぱり映像がつくと助かる~!
ただ、彼のユーモアセンスは独白のほうが伝わるかな?もう何度も笑いました。
ぎりぎりの状態でジョークを言えるのが、真のつわものなんでしょう。
SF映画でも、ほとんどの場合、悪役や抵抗勢力なんかが必ず登場して、行く手を阻むんですが
この映画にはかたき役もいじわる役も全然登場しません。
マークが火星に置いて行かれたのも、誰かの陰謀でもなければミスでもない、
猛烈な砂嵐のなか、胸にアンテナが刺さったまま飛んで行って生体反応なければ、
あの極限の状況下では「死亡」と推定しても仕方ないことです。
船長は最後まで身を挺して捜索しようとしていたし・・・
死亡と発表して追悼式までやっちゃった後、マークが生きてることがわかっても、
(普通のSFだったら)その事実を握りつぶそうとする人を登場させそうなものですが、
それぞれ考え方の相違はあるものの、マークを救うことでは一致団結。
マークは火星で、たったひとりで食糧問題、水問題、などにとりくみ、
地球では世界中の知恵を集めて、救出に全力を注ぎます。
なんと中国までが協力を申し出るのです。
(なんで日本を出してくれないのかと思いましたが、中国より映画の集客数で期待されてないのかな?)
そもそもマークが火星にとりのこされた直後は、地球との交信手段すらなく、
生き残れなかった時のために、マークはブログのようにまめにビデオメッセージを残すのです。
「通信用アンテナと自分の血液で宇宙服の穴がふさがれ、奇跡的にぼくは生きてる。」
「みんなおどろくだろうな」
「サプラ~イズ!」
この日が「ソル19」
「ソル」というのは火星が自転した回数で、地球の「デイ」にあたり、「火星に来て19日目」の意味です。
火星に残された居住スペースには31日分の食料x6人分。
一人だったらけっこうな量ですが、次の火星探査は4年後で、それまではまず足りません。
南極に残されたタロジロだって、1年間よく頑張ったけれど、アザラシとか捕まえられるし、
めちゃくちゃ寒いけど、とりあえず酸素と水はあります。
マークはまずは食糧問題を解決するために、人工的に畑を作って、じゃがいもを育てることに。
有機肥料は、想像通り、仲間たちがのこしていったう○〇を混ぜ混ぜして作ります。
マークは植物学者だから、こういうのはお手のもの。完全有機栽培のいもが400個!
「火星よ、わが植物学のすごさを思い知ったか!」とおおいばりです。
彼は植物学者にしてメカニカルエンジニア。
人並み以上の知力と体力をもつ彼が、知恵をしぼり、窮地を乗り切ろうとする様は
本当に心から応援したくなります。
地球ではふつうに存在する水も、ここでは水素と酸素を結合させたりしなければつくることができません。
それでもひとつずつ確実に問題を解決していくマーク。
このときはまだ地球との交信はできなかったのですが、
ローバーで散策中に砂の中から掘り当てた旧式の火星探査機を直して
ようやく自分が生存していることを伝えられるのです。
生きていることがわかっても、片道4か月かかる遠い場所ですから、おいそれとは助けられない。
やっと軌道に乗った「有機栽培農場」が一瞬の気圧の変動でバクテリアが死滅して全滅したり
食料などを積んだ補給機が、プロテインキューブの液化でバランスをくずして打ち上げに失敗したり、
絶望的な状況が続くも、みんなで希望をもって、
「マーク・ワトリーの回収ミッション」に向けて知恵を出し合うのです。
何という人間賛歌!
「相手は宇宙、協力的じゃない」
そんな宇宙に立ち向かっていくには、みんなで協力して、あるいはひとりきりで
次々に問題を解決していかなくては。
恨んだり妬んだり足をひっぱりあったりなんかしてる暇はないのです。
原作では
「人間はだれでも互いに助け合う本能を持ってる」とありました。
人間っていいな~っ!・・・ と嬉しくなりますよね。
多くの人が同じことに気付いていたと思いますが、
マット・デイモンは、「インターステラー」でもひとり宇宙に取り残されてたんでした。
彼は氷の惑星で、惑星のデータを偽装して、人間の住める星だと偽って仲間をおびき寄せ、
仲間を殺して宇宙船奪って逃げよう・・・というとんでもない悪い科学者、マン博士でした。
「インターステラー」は登場人物たちの複雑な人間関係や感情のもつれ、時間軸もいろいろ変化するし
いかにも「作りこんだ」SFで、これはこれで面白かったのですが
「オデッセイ」は、純粋に科学と向き合う、ありそうでなかった「純粋科学物語」です。
「どこへいっても自分が一番乗り」
「どの国にも属さない国際水域で船に勝手に乗り込むのは海賊行為
だから、自分は宇宙海賊、スペースパイレーツだ!」
とか、セリフがいちいちポジティブです。
見た目がスマートで、敵をバッタバッタと倒すのがヒーローっぽいですが
たった一人で明るさを失わずに、そこらへんにあるものでなんでも作って、問題を片付けていく・・・
いやぁ、こっちのほうがかっこいいですよね~
ところで、最後までモヤモヤしたのがこの邦題。
原題「THE MARTIAN」の日本語訳「火星の人」(←早川文庫はこれ)でいいと思ったんですけど。
オデッセイは宇宙船にありがちな名前だけれど、ここで登場するのは「ヘルメス号」だし・・・
「長い冒険の旅」と言う意味なのか、NASAの火星探査機からなのか、
はたまた「2001年宇宙の旅」の原題からなのか??
いずれにしても作品と連動しづらいタイトルで、まずい邦題が足をひっぱりそうで心配です。