映画「黒衣の刺客」 平成27年9月12日公開 ★★★★★
原作本 「空を飛ぶ侠女ー聶隠娘(しょういんじょう)」唐宋伝奇集(下)所蔵 岩波文庫ワイド版




唐代の中国、何者かに誘拐された隱娘(スー・チー)が13年ぶりに両親のもとに戻ってくるが、
隱娘は道姑により非情な暗殺者として育てられていた。
彼女の標的は、以前の婚約者で現在は暴君となっている田委安(チャン・チェン)だった。
そんな中、隱娘は任務中にピンチを迎えるも、難破した遣唐使船の日本人青年(妻夫木聡)に救われ……。
                                          (シネマ・トゥデイ)

ホウ・シャオシェン監督の8年ぶりの最新作。

ヒロインは「西遊記はじまりのはじまり」で最高にキュートだったスー・チーで、
はじめての武侠ものということで、ホウ監督とはいえ、
大衆的な明るい映画を想像していたら見事に外れました。


冒頭のモノクロ画面、白と黒の衣装をつけた女性がふたり。
白い方が女道士の嘉信(ジャーシン)、黒いのがヒロインの隠姫(インニャン)で、
ジャーシンの指示で馬に乗ったターゲットに駆け寄り瞬殺しますが
次のターゲットは子どもと遊んでいたため殺すことかなわず、ジャーシンに
「術は既に成るも道はいまだ成らず」といわれてしまいます。
彼女は暗殺者として育成されていたのですが、
技は完成しても情があるうちは一人前じゃない、ということでしょうか。


そしてインニャンは13年ぶりに親元へ返されますが、
彼女には魏博(ウェイボー)の節度使である田季安を殺すミッションがあるのです。
季安は「主公さま」と呼ばれる今の領主で、子どもといる時は優しい父の顔ですが
妾の瑚姫を妊娠させたと噂され、どうもワンマンな暴君のようです。
(最初に殺しそこなったのもひょっとして李安?)

季安の母である嘉誠は、生前、季安とインニャンを結婚させたかったようで、
二人にそれぞれ「玉玦(ぎょっけつ)」という環の一部に切れ目のある玉を贈っていました。
                  (↓これは参考画像)



ところが、先帝がそれに反対して結婚話が消え、インニャンの命も危なくなって
双子の姉である嘉信(女道士)のもとに預けることに。
つまり、李安は、母の双子の姉の指示で「元婚約者」のインニャンに暗殺されようとしている、
ということになります。

インニャンの父も兄も季安に遣える立場ですが、兄の田興は李安に降格させられるし、殺されかけたり、
個人的に恨んでも不思議はないですが、何度襲おうとしてもなかなかうまくいかず、
逆に殺されそうになるのですが、この窮地を救ってくれるのが、なんと妻夫木聡クンで
背中の傷の手当てもしてくれます。
何の縁もゆかりもない日本人の彼が、ただ一人、心をゆるせる存在となっていきます。
後半は、彼とインニャンのロマンス路線と思いきや、あとで「相関図」を観てびっくり!

彼は遣唐使で唐に来ていた日本人の鏡磨きの青年だったの?
しかも忽那 汐里が彼の妻だったとは!

 

 

かなり一生懸命字幕を追っていましたが、そんな説明全くなかったです。
妻夫木だって、髭をはやして同じような衣装だから、けっこう見分けがつかない。

となりに座っていたカップルは終演後
「妻夫木君、出てなかったよねぇ」
「いや、最後のほうにちらっと映ってたよ」
なんて会話をしていたから、まだ私はマシなほうなのかもしれません。

とにかく、はっきり見分けがつくのはスーチー演じるインニャンだけ。
高貴な女性は同じような髪型と衣装で額に赤いしるしをつけ、男性は髭に束帯。
モブキャラたちは黒マントvs赤/黒マント、とか分かりやすいんですが、
主要人物がみんな似ていて、名前を呼び合わず、テロップもなく、セリフもほとんどありません。
妻夫木クン、「バンクーバー・・・」の英語につづいてこんどは中国語ですごい!と思ったんですが、
彼も重要な役だというのに、2つくらいしかセリフがありません。


そんなこんなでストーリーを追うのはかなり難解というか、解説も最小限で、
武侠ですけれど、アクションも特殊効果もなくて、昔ながらの伝統的な「殺陣」をこなしている感じ。
インニャンも、プロの殺し屋のわりには、結局ほとんど殺してないですからね。

それなのに、それなのに★を5つ並べたのは、ただただ深くて美しい映像美、それだけです。
たとえば、イーモウ監督の「王妃の紋章」も宮廷の内幕もので、きらびやかな映像美が売りでしたが、
本作は、「製作費やスケールの大きさで勝負のド派手映画」とはまったく正反対のところにあります。

まるで山水画をみているような山の遠景や、薄い布越しの光、王朝絵巻を再現したような美術装飾、
セリフもなければ音楽も最小限で、誰かがたたき続ける太鼓の音、虫の声、風の音などが
そこに居合わせたかのような臨場感を高めます。
背景の構図も、すべてのシーンでありえないほど完璧です。

7年前に「落下の王国」という、ひたすら美しい、世界の絶景をすべて集めたかのような映画がありましたが
これはその「東洋版」といえるかもしれません。
ほんとうに大げさでなく、すべてのシーンが息をのむ美しさなのです。

台湾・中国・香港・フランスの合作映画と聞いていたのですが、建物の形や庭のつくりが日本ぽいと思ったら
なんと日本の神社や寺院ですいぶんロケをしたようですね。
生で演奏される雅楽も、琴や笙の笛や篳篥など、
日本人には見慣れたお神楽のようで、エキゾチズムとかあまり感じなかったなぁ。
唐時代末期の8世紀後半が舞台だし、これが日本に伝わったのでしょうが、
このあたりのシーンも実は奈良で撮られたそうです。
今から1400年も前の音楽が、宮内庁式部職とかで、日本では全くそのままの形で残ってるとすると
それはそれで素晴らしいことですね。

中国は4000年の歴史とかいってるけど、歴史的遺構は残っていても、
こういう無形文化は1700年代の清の時代以降の「京劇」くらいしか思いつきませんもの。
東儀さんたちとか一族の世襲で、日本では1000年以上、
そのままの形でちゃんと残っていることにちょっと誇らしくなりました。

 


原作は岩波文庫の「唐栄伝奇集」におさめられた「空を飛ぶ侠女  聶隠娘」なのですが、
これだと、彼女は預けられたのではなく、謎の尼に誘拐され、山奥で修行を強要されて、
暗殺者、というよりは、空も飛べる、虫にも変身できる不思議な妖術を獲得し、
実家に戻されても実の親にも気味悪がられて、鏡磨きの男に出会って結婚する筋書きです。
「伝奇集」ですから、現実の世界では理解しがたいことがメインですが、
映画のなかでも、嘉誠が死んだ瞬間、彼女の持ってきた牡丹の花がすべて枯れたり、
人型の紙に呪いが功を奏したり、柱から謎の煙が湧き上がったり、
科学では証明できない「伝奇」の雰囲気もちゃんと残していました。

ストーリーが理解できなかったとしても、もうそんなことどうでもいいくらい
目を見張るような映像美に、観て損はない作品です。(でも相関図くらいはみておいた方がいいかも?)
おススメです。