映画「歩いても歩いても」 平成20年6月28日公開 ★★★★★歩いても歩いても①

原作「歩いても歩いても」 是枝裕和作 幻冬社  ★★★★★


原作本は5月の終わりに発売されているハズなのですが、

とんとお目にかからないので、

幻冬社発刊の雑誌「パピルス」で読むことにしました。


原作のどの部分が読みたかったかというと、

阿部寛の最後の短いナレーションの部分。

映画ではいきなり数年後にワープし、

両親を見送って、家族が増えていましたが、

(別にその部分を映像で表現する必要はないけれど)

どんな別れがあったのか、知りたい気持ちでいっぱいでした。


私自身、両親はまだ健在で、

それ自体はありがたいことなのですが、

両親を見送り、もう誰かの息子や娘ではなくなった人

(同年代でもこういう人、たくさんになりました)

が、なんだかずっと大人(?)にみえてたまりません。


結婚して妻(夫)になり、子どもをつくっては母(父)親になり、

両親を見送って、最後の階段を昇るのかな、と。

若いころは、そんな日がくるのをすごくおそれていたのですが、

親とどういう最期の別れをするかが、最大の関心事、というか、

気になることではあります。


原作の中での父の死はあまりに突然で、

葬儀の日にはまだなんの実感もなく、

口を開けて棺にはいっているのがみっともない、と、

トイレットペーパーにタオルを巻いてあごに当てたら、

偶然父の頬ひげに指が当たり、

幼いころの父の頬ずりを良多は思い出します。

父のなくなった翌年の暮れ、

「母さんの具合があんまりよくないんだ。

たぶん28日ごろだと思うんだけど・・・・」

という電話が亡くなったはずの父からかかってくる・・・・

という夢をみます。

果たして12月29日の朝、

母本人から「体がうごけないんだよ」という電話。

電話の向こうの救急車のサイレンをききながら

大急ぎで病院に向かいます。

倒れて6ヶ月後、母は二度目の脳出血をおこし、

ダメとは知りつつ手術してもらい、

意識のないままさらに3ヶ月を生きる。

そのあいだに妻が女児を出産。

自分のエゴから延命治療し、

母を余計に苦しめたのか、

孫の誕生まで生きられて母は満足しているのか、

父が生きていたら、医者としてどう判断しただろうか、

兄が生きていたら、自分と同じことをしただろうか・・・・

考えても悔やんでもしかたないことだけれど、

「人生はいつもちょっと間に合わない」

まったく心残りのない別れなんてないんですね。


原作と映画はそれぞれのエピソードは

まったく同じ。

ただ、原作では時間軸が進んだり戻ったり

かなりひんぱんに動くのですが、

映画では、最期に何年も大ジャンプする以外は、

時系列順にたんたんと進みます。

回想シーンなし。

昔の写真はあったかもしれないけれど

(なかったかな?)

両親が若いころや良多の子ども時代の

子役なんかもいないし、

実家とその周辺の階段や海だけが舞台。

たった1日ちょっとの時間。

これだけの限定した切り取りの中で、

観客の頭の中には

無口で不器用な「横山先生」や

若いころの母が「歩いても歩いても♪」を

口ずさむところや、

ちょっとすねた良多少年の顔がしっかり浮かんできます。

こんな映画、見たことないです。


「パピルス」には是枝監督と主演の阿部寛の対談も

掲載されているのですが、そのなかに

「この映画は、テーマを考えずに作った。

この家族に何かをかさねてみようかとか、

何かの象徴としてこういうふうに描いてみようかとか、

そんなコンセプチュアルな設定をあえてやめて、

ディテールに徹した。

だからこの映画の説明ができないんです(笑)」

とありました。


うーん、なるほど。


ちなみに、このリアルなディテールは

監督自身におきた実話、ではなく、

まったくのフィクションなんですって!!