さまざまな安部公房 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

昨日の安部公房の紹介は、
かなり私の好みに偏っていたので、
もう少し多面的にご紹介しておこうと思います。

まず、初期の作品。
これはちょうど、
全集未収録の作品も見つかって、
新刊が発売になったばかりです。
『題未定』という、なかなか斬新なタイトルになっています。


(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集/新潮社

¥1,680
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栴檀は双葉より芳しということもありますし、
つぼみには、大輪の花にはない、独特の魅力もあるものです。
カフカにも、習作時代の『観察』という本がありますが、
これがいちばん好きという人もいます。
安部公房に関しても、
初期の作品は、また作風がちがっていて、
この頃がいちばん好きという人もいます。


そして、シュールレアリスムの時代の作品。
芥川賞を受賞した『壁』。


壁 (新潮文庫)/新潮社

¥515
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これは今でもとても人気があります。
安部公房はこれだけしか読んでいないという人もけっこういます。
シュールレアリスムの小説というのは、
絵画などとちがって、
あまり愛され続けているものがありません。
その中にあって、珍しい作品だと思います。


そして、ルポルタージュの時代の作品。
実際に、トラックの運転手に密着したルポなども書いていますが、
そうした記録の方法を小説にも活かしています。
たとえば、この作品。


飢餓同盟 (新潮文庫)/新潮社

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『壁』と比べると、その作風のちがいに驚かれる方も多いと思います。
しかし、安部公房にとっては、必然的な歩みであったようです。


安部公房は、日本SFの黎明期にあって、
代表的なSF作家のひとりでもありました。


人間そっくり (新潮文庫)/新潮社

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第四間氷期 (新潮文庫)/新潮社

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これらのSF作品は、
今読んでも面白いです。
SF作家としての安部公房を愛好する人も少なくありません。


そして、後期から晩年にかけての作品。


方舟さくら丸 (新潮文庫)/新潮社

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安部公房は若い頃には日本共産党に入っていたりしましたが、
その後は、大江健三郎とは対照的に、
あまり表だって政治的な活動や発言をすることはありませんでした。
その安部公房が、核の問題を前面に出してきたので、
発売当時、意外に感じたものです。
この本で安部公房と出会った人も多く、
取り上げられる機会も多い本です。


カンガルー・ノート (新潮文庫)/新潮社

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他の作品とはかなり作風のちがう作品です。
安部公房はいつもは、書いては直し、書いては直しで、
修正の原稿が机と同じ高さになったとか、
初校でさえ、切り貼りのあげく、原型をとどめなくなったとか、
とにかく、練りに練って、完成度の高い作品にする人ですが、
この作品に関しては、異例の早さで書き上げられ、
イメージのあふれるままに、自由にかきつらねられた感じがします。
そのため、いつもより軽みがあり、それが魅力にもなっています。
晩年ならではの軽みと言えるかもしれません。
これがいちばん好きという人もいます。


そして、ロストブックスです。
安部公房の早すぎる死によって、
未完成に終わったり、書かれることがなかった作品たちです。


飛ぶ男/新潮社

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安部公房は「スプーン曲げの少年」の話を書くと言っていたのですが、
未完に終わりました。
それがこの本です。
後に、妻の真知さんの加筆が判明して文庫化されないなど、
カフカの場合のブロートのようなことが起きました。
安部公房が書いたままの原稿は、全集のほうに載っています。


死に急ぐ鯨たち (新潮文庫)/新潮社

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安部公房全集〈28〉1984.11‐1989.12/新潮社

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生前の最後のエッセイ集と、
亡くなった後にフロッピーディスクから見つかった
「もぐら日記」と題された日記や、
評論「異文化の遭遇」「クレオールの魂」などが収録されている全集です。
これらを読むと、
安部公房がその後、どのようなことをしようとしていたかがわかります。
言語、とくにクレオールについての強い関心、
そして、アメリカ文化はなぜこんなにも浸透力があるのかについても、
書こうとしていたようです。
安部公房にしか書けないものになったことと思います。
読んでみたかったものです……。


前にも書きましたが、
また安部公房が生きていた頃、
安部公房の家の前まで行ったことがあります。
安部公房らしい変わった家でした。
窓からオブジェが見えたりしてました。
ドアのノブからして、不思議な形の、見たこともないものでした。
そのドアノブの前に立って、
かなり逡巡したのですが、
結局、チャイムを押す勇気がありませんでした。
あまりにも尊敬していたからです。
そのまま帰りました。

それから何年か経って、
テレビのニュースで亡くなったことを知りました。
泣きました……。
もう安部公房がいないということが、
残念でなりませんでした。

会っておけばよかったと、
深く後悔しました。

さらに後悔しないために、
安部公房が残したものを研究したいと思いました。
すると、偶然にも、
安部公房といっしょに文学活動もしたことがある、
玉井五一さんという編集者さんに出会うことができました。

玉井さんは、安部公房の奥さんの真知さんともお知り合いなので、
真知さんに私のことをお電話してくださいました。
真知さんは、意外にも協力を快諾してくださって、
私は真知さんとお会いできることになりました。

私は、安部公房が、
シュールレアリスム→ルボルタージュ→『砂の女』での方法
と変化していった流れの必然性について持論があり、
その点について、当時そばにおられた真知さんに、
いろいろおうかがいしたいと思っていました。

また、安部公房の残した原稿を調べて、
そこから何が生まれようとしていたのか、
できるだけ迫ってみたいと思っていました。
とくに関心があったのは、
もちろん小説の断片と、
そして上記のアメリカ文化論でした。

ところが、お会いする直前に、
今度は真知さんが亡くなられました。
これには驚きました。
玉井さんがお電話されたとき、
真知さんは、安部公房が残した原稿の整理などに、
一所懸命に頑張っておられるということでした。
その無理がたたったのかもしれません。

玉井さんとの電話が、
最後の電話だったかもしれないということでした。

私は玉井さんといっしょに、
真知さんのご葬儀に参列させていたたきました。
無宗教によるもので、
真知さんが作られた、安部公房のデスマスクもありました。

けっきょく、私が初めて安部公房邸に入ったのはそのときで、
もう安部公房も真知さんも、そこにはおられませんでした……。
とても深く後悔していることです。

もちろん、生前に安部公房邸を訪ねていたとしても、
安部公房のことですから、
冷たくあしらわれたかもしれません。
それでも、それでも、お会いしてよけばよかったと……。