「邪魔しないで」
娘のエームは、そっけなく答えた。
イチを見つめたまま、視線をそらそうとしない。
(昨日は、見世物になるのに飽きたと言って騒いでいたのに、
今日はどうしたっていうんだ?)
『緑の乙女亭』の主人は戸惑いながらも、
エームの気を引こうとした。
「ちょっと休憩した方がいいんじゃないか?
ビスケットが焼けたんだ。よかったら持ってこようか?」
「いらないわ。昨日、サラの所で沢山食べたもの。
今日は食べたくない」
『緑の乙女亭』の主人は、
昨日、娘に持たせた大量のビスケットを思い出した。
「まさか、あれを全部食べたわけじゃないだろ」
「全部食べたのよ」
「あんなに沢山?」
「食べたのは、ほとんどサラよ。
でも、私もイチがサラの絵を描いている間、
店番しながら沢山食べたの。
食べ過ぎたから、もう今日はビスケットを食べたくない」
「そうか。イチは絵を描いたのか。
よしよし。
それで描いた絵はちゃんと雑貨屋に飾ってきたのかい?」
これから小金を持って押し寄せてくるかもしれない
絵画教室の生徒達の事を思い、にんまりした父親を、
エームは横目で冷たく睨んだ。
「そうよ。だから邪魔しないで」
「分かった分かった」
不機嫌な娘の側を離れ、
今度はイチの絵を覗きにいった。
イチは目を上げ、近づいてきた『緑の乙女亭』の主人を見ると
いきなり立ち上がった。
『緑の乙女亭』の主人は、うろたえ、両手を上げた。
「なんだ?邪魔をしたのを怒っているのか?」
しかし、イチはくすりと笑い、こう言った。
「違いますよ。出来ました」
「え?なんだって?」
「絵が完成したんです」