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サラは『緑の乙女亭』のビスケットが入った籠を


エームに預けると、


近くの棚から木箱を引っ張り出し、蓋を開けた。


中には、ビスケットが無造作に入れられていた。



「ほら、これがうちの店で扱ってる不味いビスケット。


 食べてみて」



白っぽいビスケットだった。


エームとイチは一口かじると、顔を見合わせた。


「なんていうか、あんまり美味しくないわね」


「ええ。不味くはないのですが」



「『緑の乙女亭』のビスケットと、随分違う味でしょ」


サラが木箱をしまいながら聞くと、


イチが考え込みながら答えた。



「そうですね。全然違います。


 『緑の乙女亭』のビスケットは、木の実をたっぷり練りこみ、


 薄く、パリッとしていて、甘い。


 でも、このビスケットは、あまり木の実が入っていないですね。


 分厚くて、ぽそぽそして、ほとんど甘みがない」



サラは肘掛け椅子に座り、うなずいた。


「でしょ。でも、これが、


 ハルテルの町の伝統的なビスケットの味なのよ」



エームが、驚いたように不味い方のビスケットを見つめた。


「それじゃあ、これが、うちのビスケットの元になった


 あれなの?


 父さんから聞いた事があるわ」



「そう。これが、それよ」


サラはうなずき、訝しそうな顔をしているイチに向かって説明しはじめた。



「昔、ハルテルの町は小さくて貧しかったの。


 だから町の人たちは、こういうビスケットを家でつくってたのよ。


 でも、船での貿易が盛んになってくると


 人や物やお金が沢山入ってきて、


 町は急に大きくなっていったの。


 

 そしたらね、ちょっと裕福になった町の人たちは、


 家でビスケットをつくるのをやめて、


 お店で買ってくるようになったの。



 町中にビスケット屋が出来て、


 この伝統的なビスケットを売りはじめたそうよ。


 でも、その時にね・・・」



 急にサラは、にやっと笑い、


 顔の前で人差し指をぴんと立てると、


 こう続けた。


「一人の天才料理人が現れたのよ」



「やめてよ」


 エームが笑いながら言った。



「本当の事でしょ」


 サラはにやにや笑いながら話を続けた。



「もちろん、その天才料理人っていうのは


 エームの父さんよ。


 煮込み料理の店を開いてたエームのお祖父さんから


 『緑の乙女亭』を継いだ途端、


 伝統的なビスケットを改良して、


 『緑の乙女亭』のビスケットをつくったの。


 それがあんまり美味しかったものだから、


 そこら中のビスケット屋が真似しはじめちゃって、


 今では、伝統的な方のビスケットは、ほとんど絶滅しちゃったのよ」



「ねえサラ」


ふいに首をかしげたエームが、サラに尋ねた。

「ほとんど絶滅したビスケットを、


 おじさんは何処から仕入れてきてるの?


 それに、どうしてこのビスケットが『秘密の店』のヒントなの?」



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