元祖オネエ知識人・藤原頼長 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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去る4月10日に発売されました「週刊女性」の、私も監修を担当いた

しました「平安時代のHあれこれ」のコーナーで、平安時代きっての

知識人といわれました藤原頼長についても扱われました。


私はこの頼長に関して担当ではありませんでしたが、東大准教授の

本郷和人先生が彼の熱烈ホモぶりについて、語っておられました。


まあ、『台記』という書物というか著書に、男相手専門の実体験を赤裸々

に綴っているのだから、彼が「超」のつくほどの男狂いだったことは、間違

いないところです。内容は、たとえば


「今夜、三位中将と宮中で出会い、本意を遂ぐ。可喜可喜。余感極まり

て為すところを知らず」

「彼の人はじめて余を犯す。不適不適」


といったところで、これ、文体やノリからして、現代語訳するなら、


「やっと、三位中将とやっちゃったわ!もう、最高!私嬉し過ぎて何が

何だかわからなくなっちゃった!」

「彼ったら、初めて本性を見せて、荒々しく私を犯してくれちゃったわ。

あのワイルドさ、たまらない!」


てな感じでしょう。そう。まるっきり、オネエ言葉で訳すのが、相当と思われ

ます。


日本の歴史上において、ホモは全然珍しくありません。そして、かなり盛ん

過ぎた人も、彼の他にいました。ただこの人の場合、「ホモ」というより、「オネエ」

といった方が、しっくり来る気がするのです。


ノリが完全に、「おすぎとピーコが淫乱になった」感じです。具体的描写か

らすると、受け身がはるかに好きだったようですし。


今出てきた三位中将は特にお気に入りだったようですが、彼一人で満足

するはずもなく、低い身分の人達にも積極的にアプローチして、見事「本意」

を成し遂げています。


というのもこの人、激しくされるのが好きなようで、低い身分の方が品

もやや落ちるので、好みだったみたいなのです。


彼の書いたこの『台記』ですが、戦後まで封印されておりました。あまりに

露骨過ぎるからということでして、確かに、ここでもそのまま引用し過ぎると、

アメブロさんに削除されてしまうことは、確実です。


ただ、今の時代に生きたら、オネエタレントとして、大いに活躍したと思われます。

いや、当時もそういう活躍はしたわけですから、学者であって「元祖オネエ

タレント」といえるでしょう。


今日は、関根組ホモ系映画のアフレコ。ちなみに、オネエ言葉は使っており

ません。気持ちを切り替えて、しっかり臨みます。が、その前に、もう一寝入り

します。夜中に目が覚めたための、こんな時間の更新でした。