鹿児島の西田橋は参勤交代の行列がとおる本道。これらの橋には、ひとつ秘密があったらしい。
中央の一つの石を取り外すと重力の関係で次々と石が崩れ落ち、簡単に取り壊せる仕組みになっていたという。
敵が攻めて来たときに橋を落として城を守る仕掛けだったのです。
こうした秘密を守るために工事が終わると肥後の石工たちは全員永送りになった。
「永送り」というのは、人目につかないように刺客をつかわして国境で斬捨てるということです。
石工は主として肥後の国の八代の東にある種山村に住む人たちで石工頭は岩永三五郎、その技術は加藤清正が熊本城を築いた時のその流れをくむものであるという。
鹿児島の甲突川の5つの橋の記録には、はっきりと岩永三五郎の名が残っているのに、肥後に残る石橋には、宇助(弟子)をはじめ、土工、大工の名は残っていても三五郎の名は残っていない。
三五郎は自分の身代わりに罪のない乞食が殺され、沢山の石工を失ったことを生涯忘れることができなくて、表には立たなかったからだといいます。
明治維新になって新しく東京が首都になったとき、人々の目にもっとも江戸の町を新しい都、東京らしくしたのは、二重橋をはじめ、日本橋、万世橋など、どこか西洋風な石のアーチ橋であったといいます。
これらの橋をかけたのは、すべて三五郎の弟子の肥後の石工たちであります。
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