阿蘭陀異聞よりマダム貞奴
2001年制作
マダム貞奴(川上貞奴)
東京・日本橋の越後屋の娘。生家の没落により、
芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女となる。
1894年、自由民権運動の活動家、川上音二郎と結婚。
1900年、音二郎一座はパリのロイ・フラー劇場において公演を行い
「マダム貞奴」の通称で一躍有名になった。。
パリの社交界にデビューした貞奴の影響で、キモノ風の「ヤッコドレス」が流行。
フランス政府はオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与した。
1908年、後進の女優を育成するため、
川上音二郎とともに帝国女優養成所を設立。
川上音二郎とともに帝国女優養成所を設立。