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(回顧録:2007年10月23日の出来事(1))
2007年10月23日(1)
まともに呼吸ができていないことを知った私は、震撼(しんかん)する。
そう言えば、あばら骨の下の辺りが痛いような気がする。
これも関係あるのだろうか。
この日、朝、起きた時、息苦しさが、前日より酷くなっているように感じた。
体温は、37度、脈拍103 回/分。
通常より高い。
息苦しく、身体が弱っている私は、朝一で、家内と病院へ行く。
向かったのは、いつもの呼吸器内科の待合室。
うつむいた患者達で溢れかえっていた。
受付を済ませると、
「大久保さん、どうしたの・・?体調、悪いんですか・・?」
事務の彼女に訊かれる。
私の事をよく知っているひとだ。
「は、い。いき、が、苦しく、て、、つら、く、て、、」
ハアハアと肩で息をして、とぎれとぎれにしか話せないを私をみて、彼女の顔が曇った。
緊急度が高いと察したのだろう。
直ぐに、担当の皆川先生と相談したらしい。
「大久保さん、先生が、まず、胸のレントゲンを撮るように言われてます。場所わかりますよね」
退院してから何回か行ったことのある外来棟のレントゲン室。
家内と一緒に廊下の長椅子に座った。
ここには、レントゲン撮影室が7室もある。
私の名前が呼ばれ、撮影が終わり、技師よりレントゲン写真の入った袋を手渡された。
その時だ、、レントゲン技師と眼が合い、彼が言った。
「大丈夫ですか・・」
普段、そんな事を言わない技師が、そんな事を言った。
彼は、既に何かを知っている証拠だ。
プロだから検査段階で、何が起きているのか画像判断出来るのかもしれない。
全てが恐ろしくてたまらないのだが、ヨタヨタと、また、呼吸器内科の待合室に戻った。
そして、待つこと1時間、ついに呼び出された。
「大久保さん、35番の部屋にお入り下さい」
家内と私は無口のまま、皆川先生の部屋に入った。
彼は、デスク乗り出すように座り、肘をつきながら両手を口にやり、眼の前のレントゲン写真を睨んでいる。
壁に貼られた2枚のレントゲン写真は、後ろからピカーっと投影されていた。
そして、チェアの背もたれに背中をつけ、のけぞりながら、言った。
「大久保さん、どうしちゃったんですかー」
「肺が、真っ白ですよ・・」
これ以上ない嘆きの表現をした。
2枚のレントゲン写真は、両方とも私の肺で、一つは1ヶ月前、もう一つは今日のもの。
今日のレントゲン写真は、冬の吹雪のように、真っ白で、目を覆いたくなるような惨憺(さんたん)たる画像だった。
正直、こんなひどい画像は、観たことが無い。
白さのあまり肺の形が変わってしまっていたのだから。
そして、続く検査から、大変な事実が明らかになっていった。