【遠藤のアートコラム】新・風景画?vol.3~預言者になったゴーギャン~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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ポスト印象派の巨匠ゴーギャンは画家仲間の様式を盗んだ盗人!?印象主義の逆をいく天邪鬼?若い画家を導いた預言者?象徴主義、総合主義とされ、タヒチを描いたゴーギャンが求めた風景とはどのようなものだったのでしょうか。

今回は、パナソニック 汐留ミュージアム(東京・汐留)で開催されている「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展」の作品を紹介しながら、ゴーギャンの描いた風景についてお届けします。

※1 タヒチの風景

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―要点は、自然をあまり素直に描きすぎてはいけないということだ。芸術は抽象なのだ―

上記は、ポール・ゴーギャン(1848-1903)の手紙に遺された有名な一文です。
ゴーギャンは「ポスト印象派」、つまり“印象派の後の世代”の代表的な画家です。
彼らは、印象派の影響を受けたり、印象派が開いた新しい絵画のありかたを享受したりしながら、一方で、印象派に反発し、超えようとしました。

ゴーギャンはもともと証券取引所に勤めていました。
同時代の絵画をコレクションしたり、日曜画家として活動したりしていましたが、31歳のときには「第4回印象派展」に彫刻を出品、「第5回印象派展」には絵画を出品し、その後仕事を辞めて絵画に専念します。しかしすぐに絵が売れるわけもなく、貧困にあえぎ、家族は彼のもとを離れてしまいました。

新天地を求めて滞在したのが、ブルターニュ地方のポン=タヴァンという村でした。
ケルト文化から続く伝統が残る地で、多くの芸術家を惹き寄せていました。

※2 2人のブルターニュ女性のいる風景

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こちらは、ゴーギャンが描いた、ブルターニュの伝統的な恰好をした女性のいる風景です。
この作品は、ゴーギャンが革命的な画風へ辿りつく一歩手前の作品とされます。

筆跡が点々と並ぶ描き方などには、印象主義の影響が残っています。
しかし、青い空、ピンクの道、紫のスカートといった大きな色のかたまりで画面が構成されているあたりが、後のゴーギャンの作品を思わせます。


「印象主義」の画家たちは、色を分割して細かく置き並べることで、屋外の明るい光や印象を描こうとしました。「色彩分割(=筆触分割)」と呼ばれる技法です。
その影響を受けた「新印象主義」は、まるで3原色で成り立つテレビ画面のように、さらに細かく、理論的に色を並べる点描画を生み出しました。

しかし、光や印象を追求した結果、モネの作品から「かたち」がなくなってしまったように、「色彩分割」は、ものを本物らしく自然に描くことを解体してしまいました。

また、印象主義の画家たちが描いたのは、「屋外の風景」「近代的なもの」「光」といった外部刺激。基本的には、目に見える風景を表現しようとするものでした。

一方では、人間の内面や観念を描こうとする動きもありました。「象徴主義」と呼ばれる画家たちです。彼らは「夢」や「苦悩」、「精神」といった目に見えないものを、神話や文学のモティーフや、シンボリックなものに置き換えて表現しようとしました。

絵を描き始めた当初、印象主義の影響下にあったゴーギャンは徐々に象徴主義になっていきます。
彼にヒントを与えたのは、画家仲間のエミール・ベルナールでした。

※3 会話(ステンド・グラスのエスキス、サン=ブリアック)

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この作品は、1887年にエミール・ベルナールが描いたステンド・グラスの習作です。

彼は、上の絵のように、くっきりとした輪郭線で、形や色を単純化する「クロワゾニスム」という技法を考え出します。

印象主義や新印象主義とは正反対。
「形」を輪郭線によってはっきりさせ、輪郭線の内部の「色」はほぼ一色です。

エミール・ベルナールは、こうした技法によって、「現実の世界」と「人間の内面」、「写実」と「抽象」を一つの画面に表そうとする「総合主義」を考案しました。

「抽象」とは、ものごとからある特定のことを抽出して他を捨てることとされます。

見た人に理解されるためには現実を描く「客観的な観察」が必要です。
画家の印象といった主観的なものを描くには、伝えたいものを取り出し、不要なものを捨てる「抽象化」が必要です。
人の内面や観念といったものを絵にして目に見えるように表すには記号やシンボルが必要です。
さらには、絵は「装飾的であるべき」という絵画のありかたに対する考え。
これらを「総合(統合)」するには、ステンド・グラスや浮世絵のように、線と色を単純化する「クロワゾニスム」はぴったりでした。

エミール・ベルナールと出会ったゴーギャンは、クロワゾニスムと総合主義の考え方を実践していきます。

※4 2人の子供

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こちらはゴーギャンの作品《2人の子供》です。
モデルは親しかった画家仲間の子どもたちだと思われますが、後ろにいる赤ん坊はまるで人形のようで、当時の子どもたちの年齢ともずれがあり、不思議な点が多い作品とされています。

子どもたちの顔や体には陰翳がありますが、くっきりとした色で単純化され、黄色とピンクの背景はどこからが床でどこからが壁か分かりません。

このように、ゴーギャンは印象主義から完全に抜け出した新たな境地へ進みます。
しかし、ベルナールとは、「総合主義」のスタイルをゴーギャンが盗んだとして仲たがいしてしまったようです。

その後、総合主義を確立したゴーギャンは若い画家たちに大きな影響を与えていきます。

※5 呪文或いは物語 聖なる森

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こちらは、ポール・セリュジエ(1864-1927)の《呪文或いは物語 聖なる森》です。

彼は、ポン=タヴァンのゴーギャンを訪ね、指導を受けます。
その際ゴーギャンは、「あの樹はいったい何色に見えるかね」と彼に問いかけ、そして、「多少赤みがかって見えるなら、画面には真っ赤な色を、樹の影がどちらかといえば青みがかっているのなら、最も美しい青を画面に置きたまえ」と助言したといいます。

新しい表現に感銘を受けたセリュジエは、この教えを若い画家仲間に広めていきました。
そして、ナビ(=預言者)の神託のようにゴーギャンの言葉を受け止めた彼らは「ナビ派」を結成するのです。

上の絵はユエルゴアという森に滞在していた際に描かれたものです。
絵の中の神秘的な儀式は実際に行われていたものかどうか分かりませんが、セリュジエは、ブルターニュの多くの伝説に注目していたようです。
連続する赤い幹が、リズムと不思議な雰囲気を生んでおり、装飾的で神秘的な作品です。

ゴーギャンやエミール・ベルナールや、彼らを慕ってポン=タヴァンに滞在した画家たちは「ポン=タヴァン派」とも呼ばれます。

※6 森の中の3人のビグダン地方の女性

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上の作品を描いたジョルジュ・ラコンブ(1868-1916)もポン=タヴァン派の一人です。

総合主義を強く意識した彼は、強い輪郭と平面的な色の面を用い、つや消しされた独特の画面をつくりあげました。
民族的な雰囲気漂うこの作品は、「ブルターニュ地方」そのものが表されているかのようです。

※7 小舟のブルターニュの女性

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ナビ派の代表的な画家が上の作品を描いたモーリス・ドニです。

浪間に漂う舟の上の女性は、ブルターニュの伝統的な衣装を身に着けているそうですが、幼い子どもを抱きかかえる様子は、聖母子をイメージさせます。

彼はセリュジエとも親しく、ポン=タヴァンを訪ねてゴーギャンにも会っています。

1890年、20歳のモーリス・ドニが芸術雑誌に寄せた論文の一文、「絵画というものを想起するに、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、それは本質的に一定の秩序で寄せ集められた色彩に覆われた平面である」という言葉は、近代絵画に影響を与え、彼の作品は、モダンアートの大きな出発点とされます。


※1 タヒチの風景

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西洋文明を厭い、原始に憧れたゴーギャンは、楽園を求めてタヒチへと渡ります。
上は、最初のタヒチ滞在時に描かれた1893年頃の作品と考えられています。

印象派の時代は、蒸気機関車や鉄橋、リゾートといった近代的なものが新鮮な題材でした。
新印象派は、科学的な見地から色を扱いました。
ゴーギャンは、反対に原始へと向かっていきます。
熟練された技術よりも、感覚や感情に従って扱われた形や色の原始的な美しさや、神秘的なものに惹かれたようです。

ゴーギャンは、パリ、ブルターニュ、タヒチなどの熱帯の間を移動し、貧困にあえぎ続けました。

1895年、彼は再度タヒチに上陸しますが、そこでも貧困と病気が彼を襲います。
さらには、最愛の娘の死の知らせが届き、ついには自殺を試みます。
その時の遺言として「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか」という作品を制作しました。

ゴーギャンは一命をとりとめますが、その後は植民地政策によって激減する原住民を擁護する活動を始め、役人や宣教師と争いを起こすようになります。
そして、そのまま祖国フランスの土を踏むことなく、1903年にマルキーズ諸島のヒヴァ・オア島で亡くなりました。

19世紀、20世紀の画家たちは、次々と現れる新しい技法や理論に注目し、取り入れ、自分独自の表現を求め続けました。

絵画の歴史や画家の作品の変化を見ていくと、先達の作品に感銘を受け、真似し、そして反発、共感する仲間を得ながら独自の作品を生み出そうと闘う画家の姿が浮かび上がってきます。

参考:「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展」カタログ 発行:ホワイトインターナショナル



※1 ポール・ゴーギャン[タヒチの風景]1893年(?)
ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館、コペンハーゲン
Ny Carlsberg Glyptotek, Copenhagen

※2 ポール・ゴーギャン[2人のブルターニュ女性のいる風景]1888年
ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館、コペンハーゲン
Ny Carlsberg Glyptotek, Copenhagen

※3 エミール・ベルナール[会話(ステンド・グラスのエスキス、サン=ブリアック]1887年
ブレスト美術館
Musée des beaux-arts de Brest, France

※4 ポール・ゴーギャン[2人の子供]1889(?)年
ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館、コペンハーゲン
Ny Carlsberg Glyptotek, Copenhagen

※5 ポール・セリュジエ[呪文或いは物語 聖なる森]1891年
カンペール美術館
Musée des beaux-arts de Quimper, France

※6 ジョルジュ・ラコンブ [森の中の3人のビグダン地方の女性]1894年
カンペール美術館
Musée des beaux-arts de Quimper, France

※7 モーリス・ドニ [小舟のブルターニュの女性]1891-92年
カンペール美術館
Musée des beaux-arts de Quimper, France


<展覧会情報>
「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展」
2015年10月29日(木)-12月20日(日)
会場:パナソニック 汐留ミュージアム (東京・汐留)
開館時間:午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)
休館日:11月4日(水)、11月11日(水)

展覧会サイト:http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/151029/
問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600



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