文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今年は比較的涼しい夏の日々かしら!と思っておりましたら、この日記を書いております今日は台風一過の真夏日。酷暑に近い暑さ。道路からは、アスファルトに照り返された湯気が、かげろうのように揺らめいております。

そんな中、所用がありまして、ご近所の中央区役所まで暑い中押して出かける事となりました。
まだお盆明けで、世間もお休みの余韻を引きずっているのでしょう。閑散とした道を歩いておりますと、中央区役所の片隅に史跡を発見いたしました!!
何だか、ここ最近は地元のご紹介ばかりで誠に恐縮ですが、なかなかにビックリとしました史跡だったものですので、ご紹介をさせて頂きます。

 

土佐藩邸跡


じゃじゃーん!!『土佐藩築地邸跡』と書かれた史跡!!
古地図を開いてみますと、やはりこの一帯の広大な敷地が『松平土佐守』の屋敷であった事が記されております。中央区役所前の首都高速にかかる橋『三吉橋』。

 

 

三吉橋


現在はこの名がついておりますが、江戸時代は『合引橋』と呼ばれていたようです!!

さて、『土佐藩築地邸跡』にお話を戻しましょう。
かいつまんで、記載内容をご紹介いたしますと!

この地は、江戸時代前期に埋め立てられ、武家地や町人地となりました。文政9年(1826年)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にしていたようで、幕末までこの地にありました。土佐藩は初代山内一豊(やまのうちかずとよ)から16代豊範(とよのり)まで続きました。幕末の変革期に有名な山内豊信(容堂)は15代で、ここに屋敷を構えていたとこに藩主でした。 ~中略~ 幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半兵太(たけちはんへいた)は、ここから程近い士学館道場(京橋公園辺り)に通っていました。また、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政3年(1856年)から同5年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです


幕末ファン、特に坂本龍馬ファンには、垂涎の地ではありませんか!!
こんな江戸の下町で、江戸幕府の終焉に奔走した人々が生き、活躍していたなんて!!
彼らが見ていた景色、土地の名残がもっと鮮明に残っていれば嬉しいのですが、幸いにもあまり区画が変わっていないこの下町。

まずは、私の目でそして足で確かめてみたくなり、区役所から武市半兵太が通った士学館道場まで意気込んで歩いてみました!!目指すは、京橋公園。
まずは、合引橋こと今の三吉橋を渡り、川沿い(現在は高速沿い)に進軍いたしました。

 

高速越しの中央区役所


すると、橋を渡ったとたん、目指す京橋公園が見えてきて、拍子抜け。歩いてほんの2分ほどで到着いたしました。

 

京橋公園


中央区役所は、1969年に竣工したレンガ作りの建物。
私が生まれてから、ずっと変わらずにこの姿でおりますので、もうだいぶ年季の入った風情になって参りました~。

それでは、ぜひ皆様も、機会ありましたら、「土佐藩邸跡~中央区役所」をブラブラしてみてください!!


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江戸時代になると、ろくろ首や一つ目小僧などと妖怪の名前が定着していきました。人々が想像した奇怪な姿や現象が、カタチと名前を獲得していったのです。

今月は、江戸東京博物館(東京・両国)で開催されている「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」の作品を紹介しながら、妖怪の誕生についてご紹介します。
 

■今週の一枚:北斎漫画 十二編(※1)■

―ひと魂で ゆく気散じや 夏の原―

 


上記は、江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎(かつしか ほくさい)(1760-1849)の辞世の句です。

「気散じ」とは、今でいうピクニックのようなものだとか。
「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしにでかけようか」といった意味で、飄々とした北斎ならではの句ではないでしょうか。

葛飾北斎といえば、アメリカのライフ誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれた唯一の日本人。
世界的に知られた画家です。

しかし、生前の北斎はといえば、金銭に無頓着でいつも貧しく、行儀作法を好まず、社交辞令を一切せず、歌舞伎の人気役者が招いても、一国の藩主が招いても、歯牙にもかけなかったというような変わり者エピソードが豊富な浮世絵師。

部屋が汚れれば引っ越しをし、その数なんと90回以上。

ひたすら画法を探究し続けた彼は、晩年になっても、「猫の一匹すら描けねぇ」と涙を流したなどともいわれます。

「富嶽三十六景」とともに、北斎の名を世界中に広めることとなった作品のひとつが、「北斎漫画」ですが、その十二編には、妖怪の姿が描かれています。

※1 北斎漫画 十二編


なんとも粋に煙管をふかすろくろ首。

※1 北斎漫画 十二編(部分)


三つ目の入道はどうやらメガネを新調しているようです。

※1 北斎漫画 十二編(部分)


ここに描かれている妖怪たちに恐ろしさはみじんもなく、滑稽味に溢れています。

「北斎漫画」は、北斎が55歳の時に初版を出した絵手本です。画学生などのための教本として発表されたものでしたが、評判となって広く普及し、北斎が亡くなった後の明治11年に15編が出るまで続きました。

「北斎漫画」の“漫画”は、「折に触れて筆の赴くままに描いた画」という意味で、あらゆるものを描いたスケッチ集ですが、丹念な観察や躍動感溢れる動き、思わず笑ってしまう滑稽味など、北斎の才能を堪能でき、今でも人気があります。

北斎の手にかかれば、妖怪たちもすっかりリラックスした様子で、まるで生活の一部を切り取ったかのよう。

江戸時代後期になると、妖怪たちはすっかりキャラクター化し、時には妖怪の婚礼や化物の年中行事など、恐ろしさよりも可笑しみの方に重点がおかれた作品がたくさん描かれました。

※2 妖怪図 ※展示は終了しています。



北斎の描いた妖怪がなじみのある姿をしている一方、こちらの作品の妖怪は、実に奇妙な姿をしています。

この絵を描いたのは、現在の長野県小布施の豪商だった高井鴻山(たかいこうざん)(1806-1883)。江戸時代の儒学者でもあり、北斎の弟子でもあります。

見れば見るほど珍妙な姿ですが、緻密な筆致で描かれているため、生々しい存在感が感じられます。

※2 妖怪図(部分)


交流のあった北斎が、小布施の鴻山のもとを訪れたのは83歳の時でした。
鴻山は北斎にアトリエを提供する一方で彼に入門。
北斎にとって鴻山は、弟子でありながらパトロンでもあったようです。

今でも鴻山の隠宅は、北斎が滞在したアトリエも含め「高井鴻山記念館」として残っていて、鴻山が得意とした妖怪画も見どころの一つになっています。

京都、江戸へ遊学した際に知己を得た佐久間象山とも交流があったという鴻山は、幕末の激動の時代を目の当たりにした人物。

そんな彼は、晩年に多くの妖怪画を描きました。
その大半は、見たこともないような独自の不可思議な姿をとっています。
その心中にはどのような思いがあったのでしょうか。

※3 みみずく土偶


こちらは縄文時代の土偶です。みみずくに似ているということで「みみずく土偶」と呼ばれています。

頭部はまるで河童の皿のようで、丸や直線の模様が描かれています。

それにしても何とも奇妙な姿です。

女性を模した姿とも、精霊を表現したともいわれる土偶。

妖怪ではありませんが、人間の表現力の不思議さを感じさせられます。

存在しないはずなのに、「妖怪」という名で存在する不思議なモノたち。
ありそうで現実にはない姿から、思いもよらない姿まで、人々はたくさんの妖怪を生み出してきました。
なぜ妖怪ブームは何度も繰り返されるのでしょうか。
人々の畏れ、執着、想像力と可笑し味、そして文化と歴史を内包した妖怪たちは、これからも人々を魅了し続けるのかもしれません。


参考:「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」図録 発行:読売新聞社

 

 



※1 葛飾北斎「北斎漫画 十二編」天保5年(1834)序
東京都江戸東京博物館蔵

※2 高井鴻山「妖怪図」江戸時代(19世紀)個人蔵 撮影=大屋孝雄
※展示は終了しています。

※3 重要文化財「みみずく土偶」縄文時代
(前2000-前1000年)兵庫・辰馬考古資料館蔵



<展覧会情報>
「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」
2016年7月5日(火)~8月28日(日)
会場:東京都江戸東京博物館 1階特別展示室(東京・両国)

開館時間:午前9時30分~午後5時30分
(金曜と土曜は午後9時00分まで)
※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜

展覧会サイト:http://yo-kai2016.com
問い合わせ:03-3626-9974(博物館代表)

 

 


 


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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

お盆時期。皆さまも帰省されたり、ご旅行に行かれたりされていたのではないでしょうか。
こんな時、東京生まれの私は、実家も東京。江戸の町から出ることが無く、毎年、地元でダラダラ過ごすのが日課でございます。

今年も例年に習い、産土(うぶすな)神の『富岡八幡宮』のお祭りに出た以外は、築地界隈をのんびりしておりました。
そんな中、いつもと違う道を通り、辺りに目をやって見つけたものを今回はご紹介したいと思います。

銀座の外郭、昭和通りより外側にあるこの通り。年号にちなんで、平成通りと通りの名は付いております。最大片側4車線にも渡る昭和通りに比べると、こちらは2車線。
そんな通りに面し、本願寺よりほど近いこの場所。
まずは、史跡を発見しました。『桂川甫周屋敷跡』と書かれております。
え!週のうち、何度かここを通るのに~と思い、足を止めました。やはりOFFの日に眺める光景は、日常とどこか違う。
いつも見えていても認識していなかったものが、ちゃんと目に入ってきます!!

 

 

桂川甫周屋敷跡


桂川甫周は、蘭方医。桂川家は、初代の甫筑(ほちく)が6代将軍徳川家宣に仕えて以降、代々、将軍家の脈をとる、奥医師の家系でした。
甫筑が正徳元年(1711年)にこの地に屋敷を拝領してから後、幕末まで桂川家の屋敷があったと、その史跡には記されておりました。

桂川家の中で、抜きんでて才が有り、名を広く知られた人物が、4代当主の甫周。
杉田玄白に蘭学を学び、『解体新書』の翻訳に参加したと申せば、ピン!!とくる方もいらっしゃるのではないでしょうか!
そのため、この場所は一番有名であった甫周の屋敷跡として史跡が残ったようです!!

さて、この史跡をあとに、ほんの50メートルほど進んだところに、巨大な獅子の顔が在ります!!これも、このビルの置物か何かだろう!といつも見過ごしていたのですが、獅子の顔の横に『波除獅子 流正之作』とあるではありませんか!!
波除獅子とは、この一帯の産土神で祀られております築地 波除稲荷神社に由来する獅子であることは、すぐに分りました。

 

波除獅子


神社の例大祭では、大きな獅子が神輿の上に乗って担がれる『獅子祭り』が有名です。
築地の波除神社は、明暦の大火の後に建てられた神社。しかしながらその工事は容易なものではなかったのです。江戸の湾に面する築地、押し寄せる大波で、堤防はすぐに決壊しました。ある夜、海面に大きな光がたなびき、不思議に思った人々が海に出てみると、その光るものこそが、稲荷大神のご神体だったとの事。
この出現以降、大波に襲われることもなく、工事は無事に進んだそうです。

雲を従える「龍」、風を従える「虎」、一声で万物を威伏させる「獅子」の巨大な頭を担いで回ったのが「つきじ獅子祭」の始まりと、波除稲荷神社のご由緒にございました。

さて、なぜここに獅子が在るかはお分かりになったと思いますが、この作者。「流正之」氏とはいったい誰なのか?
興味が湧き、調べてみました。すると、世界的な彫刻家、作庭家。御年93歳。
長崎に生まれ、海軍予備兵の零戦 搭乗員として終戦を迎えます。独学で彫刻を学び、1967年には、TIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれたそうです。


この下町に、世界的な彫刻家の作品があるなんて~!!と驚きながら拝見しておりました。

それでは、ぜひ皆様も、機会ありましたら、「桂川甫周屋敷跡~波除獅子」をブラブラしてみてください!!
 


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