心の解放・悟りの哲学 第7回 人生の転換:求める側から与える側に | 上祐史浩

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          心の解放・悟りの哲学 第7回
        人生の転換:求める側から与える側に


 悟りを得ると言えば、大げさに聞こえますが、深い心の安定、解放、成熟、広がりを得ようすると、どうしても、人生観というものが関係してくると思います。
 
 仏教の経典・哲学書を読んだり、一定の行法・瞑想をしたり、高僧の話を聞いたり、神社仏閣・聖地を巡ることは、心の安定や広がりに繋がるものだと思います。

 しかし、深い心の安定と広がりのためには、自分の人生観、生きる目的といった、根本的なところが、どうしても大事になってくると思うのです。

 では、具体的などんなところが重要かというと、それを一言で言うのは難しいと思います。しかし、いくつか相当に重要だと思うことを以下の述べたいと思います。


 第一に、苦しみからいたずらに逃げずに、苦しみを逆に恵みとして活用することだと思います。

 普通は、どうしても、苦しみはなるべく少なく、喜びはなるべく多くと考えます。それが、苦しみへの嫌悪と快楽への貪りとなる。これがあると、なかなか、心は安定しない。

 毎日毎日、「喜びは昨日よりもっと多く、苦しみは昨日よりも少なく」とばかり考えていると、なかなか、心の深い安定が得られないと思います。

 時々に、安定したと思ったら、また不安定になったりと、堂々巡りになると思います。

 よって、難しいことですが、人生のどこかで、苦しみに対する考え方を十分に転換する必要があるように思います。

 言い換えれば、人生とは、単に喜びを求める場ではなく、苦しみを喜びに変える、智恵を磨く修養の場と考えるとでも言えばいいでしょうか。


 次は、自分が、求める側ではなく、与える側に転じることではないかと思います。それを人生の目的にすること。

 人は、生まれてからずっと、育ててもらうという意味で、与えられる立場にあります。その後、親となり、子供を生むなどして、育てる側に回ります。

 また、仕事その他でも、最初は先輩から学び、そして、自分が後輩を教えるようになる。こうして、自分のために生きる部分と、他人のために生きる部分があると思います。

 そして、心の安定と広がりを深めるには、相当に思い切って、自分のための人生から、他人のために人生に転嫁する必要があると思います。
 
 
 これは、育まれる側から、育む側に回る、と言えばいいでしょうか。
 
 それは、ある意味で、父性とか、母性と言われるものだと思います。ただし、ここでの父性、母性とは、自分の子供だけに向けられるものではなくて、多くの人々、万人に向けられる、大きな父性、母性です。
 
 悟りの父性、母性というべきでしょうか。よく、仏陀、菩薩が、「慈母」と言われることがあるように。また、他の思想で言えば、ちょっと大き過ぎますが、万物を包む「父なる天」と「母なる大地」といったイメージ。
 
 自分の名誉・地位といった、自己実現のために生きるというのが、普通の意味での人生の目的でしょう。ある時点で、それを転換して、より他のために生きるということでしょうか。
  
    
 これは、一種の死と再生かもしれません。自分のための人生が死んで、他を育む人生に転換する。
 
 そのためには、例えば、自分の未来に必然的にやってくる死を意識し、自分のことばかり考える思考を十分に止め、死んだ後に、他に、世界に、何を残すべきか、残すことができるか考えて生きると言ってもいいかもしれないと思います。
 
 そういえば、「人は、死を見つめてこそ、真に生きる道を知る」という言葉があったように思います。
 
 それは、今まで見てきた人生の景色とは違った、新しい人生、世界の景色を見るといったらよいかもしれません。智恵と覚悟に基づいた、静まった、大きな心に映し出される景色だと思います。
 
 
 そして、深い心の安定を求める人に加え、例えば、心に深い傷のある人や、苦しみが多くて行き詰まっている人などは、こうした生き方こそが、突破口になるかもしれません。

 昔からの智恵で言えば、「死中に活を求む」、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」といったことでしょうか。