埼玉県立近代美術館の話で引っ張って恐縮ですが、もうひとつだけ。
屋外のオブジェ と企画ものの「カッサンドル・ポスター展 」を見て終わりでなくして
MOMASコレクションも忘れずに見ておきませんとね。
「MOMAS」とはThe Museum of Modern Art, Saitamaの頭文字を集めたもの。
それだけで何となく「ニューヨーク?」みたいな気にさせるマジカル・ワードですなあ(笑)。
以前訪ねたときにもコレクションの一端は見ておるわけですが、
どのくらいの収蔵品があるのは知らぬところながらも折々に展示替えがあるとなれば、
見たことの無い作品との出会いもあろうかというものですね。
このときの展示は「セレクション:フジタとかパスキンとか」と銘打たれておりましたことからして、
エコール・ド・パリを中心に選び出されたというところでしょうか。
フライヤーでいちばん上の左側はまさにジュール・パスキンの「眠る裸女」(1928年)ですし。
小さな画像では窺い知れないものの、パスキンの画風を思い出してくだされば、
そのおぼろにふわふわした印象がまどろむ女性の夢見心地と同時に
肉体の丸みと弾力を感じさせるところでありますね。
パスキンのお隣はユトリロ の「旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院」(1919年)。
これまた小さい画像で見る限り、旗で飾られたようすが何やら賑やかっぽく見えて
アンリ・ルソーのような楽しさが見て取れる…かと思ってしまうところながら、
そこはそれ、やっぱりユトリロですなあ。
基本的にユトリロの作品には人の気配がありませんね。
もちろん中には人が描き込まれている作品もありますけれど、どうも人肌が感じられない。
この作品も光景としては、第一次大戦終結の一周年と
サクレ=クール寺院の完成という年のパリ祭とあって祝祭ムード満点なはずなのですが。
軟禁状態の部屋の中から絵葉書を参考に描いていたりもしたユトリロだけに、
仮に実物の景色を見て描いたとしても絵葉書に固定された世界を写すように
描いてしまうのでしょうか…。
これから先は画像がありませんので、さらにイメージしにくくなると思いますがご容赦を。
まずは藤田嗣治の「横たわる裸婦と猫」(1931年)ですけれど、
乳白色の肌を持つ裸婦と猫とは全開の藤田節でありますよ。
先に読んだ本で平松礼二画伯 が書いていましたなあ、藤田の作品は洋画であるか?てなことを。
いろんな要素はあるものの、そうしたふうに受け止める一つが輪郭線でして、
細くはあってもしっかりとした藤田の輪郭線は基本的には日本画用の面相筆で描かれたのだとか。
読後感として必ずしも平松画伯の本を全面賛成で受け止めることができなかったのは
先にも書いたとおりですが、終の棲家でも広沢虎造の浪曲のレコードを聴いていた藤田 は
印象とは異なって日本人をやめてしまったわけではないと思える一面でもありますね。
と、このような調子で佐伯祐三 やキスリングなどにも触れていきますと切りがないような。
何しろコレクション展はエコール・ド・パリのセレクションの他にも
日本画のコーナーに横山大観やら川合玉堂、鏑木清方などが並んでいましたし。
また、コレクション展とは別の展示室で現代作家を紹介していたり、
館内にも随所に彫塑作品や同館固有のコレクションであるデザイン性の高い椅子も並んでいる。
アマチュアの方のグループ展なども行われていたりするのですな。
やはりある程度の規模の美術館に出向くときには
そこで一日たっぷり過ごすくらいのゆとりを持って臨みたいものだなと
自戒を込めて改めて思ったものでありますよ。