先に八王子市夢美術館 で明治以来のポスター、特に多くはビールのポスターを見ましたあと、
ふと気になっていたのがビールという外来のお酒はどんなふうに日本に広まったものであるか…ということ。


ワインに関しては、例えば戦国時代の織田信長あたりが
南蛮渡来のぎやまんグラスで赤葡萄酒を嗜むといった絵柄がドラマにも使われたりしていて、
キリスト教の伝播とともに僅かながら入ってきたのだろうと想像されたりしますし、
また明治以降の日本でのワイン受容のほどは勝沼 を訪ねたりしたことを通じて
これも何となく分かっている気がしている。


ところがビールの方や如何に?と思い、

図書館の検索で探し出したのが「ビールと日本人」という一冊。


キリンビール編とあって、元来は同社の周年記念事業として書籍化されたものだそうですが、
明治・大正・昭和を通じたビール普及史を扱って自社に偏らない内容でしたので、
気になったことの解消には打ってつけの一冊でありましたですよ。


ビールと日本人―明治・大正・昭和ビール普及史 (河出文庫)/キリンビール


日本でのビール普及の前史的なところでは、杉田玄白らが著した「和蘭問答」の中にある記述。
享保七年(1724年)とは記録に残る中で相当早い段階でありましょう。

麦酒給見申候処、殊の外悪敷物にて、何のあぢはひも無御座候

まさに酷評でありまして、

時代は下ってその後にビールに接することになった通詞役の人たちなども
どうやら苦味についていけなかったようですね。


確かに子供の頃、大人の寄り合いの席でビールにちょいと口にするてな場面がありましたですが、
その苦味の凄さに辟易した経験を思い出したりするところです。


ところがそんな苦い飲み物であるにも関わらず、欧米人はぐいぐい飲んでは気分よくなっている。
幕末ともなれば欧米の事物には興味津々であって、繰り返し試すうちに

いつしか妙味と感じるようになり…といったあたりのことは

西周など海外留学生の記録などに見えるようでありますよ。


諸外国と条約が締結され、横浜が開港されるとビールも早速入ってくるようになりますし、
当初は居留地用でしょうけれど、横浜では国内生産(最初は外国人の手によって)も始まり、
ビアホールの誕生も横浜が初めてであったようで。


明治は文明開化の時代で、舶来ものが有難がられるとともに、
同様のものの国産化が目指された時代でもありますね。


輸入ビールではまずイギリスからというのが主流だったようで、
中でも「バス・ペールエール」(今でも買えますね)は人気の品であったそうでありますよ。


ちなみにエドゥアール・マネが1882年(日本では明治15年)に描いた

「フォリー・ベルジェールのバー」にはカウンターの両端に

「▲」のラベルの瓶が乗っていますけれど、これがバス・ペールエール。


エドゥアール・マネ「フォリー・ベルジェールのバー」


当時のフランスでも一般的なブランドであったのでしょう。

それが日本にも入ってきたのですなあ。


ところで、明治4年(1871年)から1年半以上をかけて各地で見聞を深めてきた岩倉使節団は
日本の殖産興業に資するものをたくさん見てきたことでしょうけれど、
その中ではイギリスのビール醸造所もつぶさに見学してきたようですから、
ビールの国産化というのも当然にして目指されたものであったろうかと。


もちろん背景には作ったものが売れるというビールの受容が少しずつでも進んできたからで、
明治23年(1890年)の第3回内国勧業博覧会の審査報告には

「麦酒ハ其出品殆ト一百に垂ラントス」とあって、
俄かにビール製造会社がぞろぞろと現われたようすが窺えるのですね。
ただし、味の方は「精良ナルモノハ甚少ナ」い状況だったようですが。


この内国勧業博覧会が開催された頃には
輸入ビールの主流はイギリス製からドイツ製 へと需要が移っていたそうで。
同年の「時事新報」にはこんなビール評が載っていたそうでありますよ。

英国ビールは濃くして苦味十分に含み
独逸ビールは淡くして呑口さらさらと好し
桜田・浅田は英の流れを汲み
麒麟・恵比寿は独の風を伝ふる

英国風ビールを作っていた桜田麦酒、浅田麦酒は歴史の中に消えていきましたですが、
麒麟麦酒、恵比寿麦酒は今にも続くものとなっていることからも、

需要の推移が偲ばれるといいますか。


と、ここで日本のビール会社の系譜に触れたいところながら、
あまりの乱立ぶりから合従連衡があり、政府主導で大日本麦酒なる大同合併があったりと
なかなか簡単には整理できそうにありません。


メルシャンが日本ワイン醸造事始めの系譜を継ぐとはいっても、
その紆余曲折には一筋縄でいかないものがありましたけれど、
ビールの方はもっと複雑な気がしますので、また別の機会に改めて探究するとしましょう。


と、ちいとも明治以降の話になっていきませんが、端折って話を進めますと、
ビールを一躍普及させたのは冷蔵庫の登場とも大いに関係がありそうだということ、
そして、需要が増えるとそれに目をつけた政府による課税が過大になり、
ビールが高嶺の花とされた時代のあったこと、あれこれ世相と関わることがでてきます。


個人的に飲んだことはないですが、

ホッピーという焼酎で割ってビール風味を楽しむ飲料というのも
ビールが手の届きにくい存在であったことから登場したのでは…思い至りましたですよ。


で、今ではどうかと言えば、いつしかやはりビールは高嶺の花状態になっているのかも。
発泡酒の登場以来、ほんとうのビールは少しく高級感が出て来ましたものね。


これも、政府の課税にからむ世相でありますから、
ビールを飲まなくても苦笑いとはこれいかに…ではないかと思うところでありますよ。


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