年明け初回のTV東京「美の巨人たち」はなかなかに面白かったですなあ。
ゴッホの「タンギー爺さん」を取り上げて、何ゆえ肖像の背景に6枚の浮世絵に配されたのか、
そしてそもそもタンギー爺さんは何者であるや。
まあ、よく伝えられるところによれば、まだまだ売れない画家たち(当然にゴッホもまた)を支援し、
慕われた画材屋のおやじ…というのがタンギー爺さんでありましょうけれど、
果たしてその前歴は?というわけでありますよ。
画中画の分析と併せ、肖像画に描かれたモデルの人となりに迫るというのは、
「絵を見る」ときのアプローチをまたひとつ、増やしてもらったようにも思うところです。
そもそも肖像画は苦手としていたものでありまして、
ロンドン のナショナル・ポートレート・ギャラリーという肖像画専門美術館に行くときにも
いささかの気後れ気分を以前のブログではこんなふうに書いていましたし。
ただ、見る側からすると、なかなかに鑑賞するのはむつかしい。 だいたい「世界史」の授業で教わるような人物ならいざしらず、 いかに英国史に名を刻むにせよ、そうそう「○○卿」やら「△△公爵」やらと言われましてもねえ、 ぴんと来ないわけです。
ですが、実際に行ってあれこれ見ているうちに「それなりの楽しみもある」という
漠たる思いが湧いてきて、それ以来毛嫌いすることはなくなりましたが、
見方という点では描かれた人物の来歴を気にかけてみるようにすれば、
楽しみもまたひとしおというわけですなあ。
てなことを思ったときに読んだ本というのが「印象派のミューズ」でありまして、
何たる符合?!と思ったりしたのでありますよ。
ルノワール描くところの「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」。
本書のカバーを飾るこの絵に描かれているがイヴォンヌとクリスティーヌというルロル姉妹でして、
パッと見では「ああ、いつもながらふくよかな…」(服は来てますが)との印象と、
もちろん色遣いやらタッチやらでルノワールらしさ全開!の絵てな印象かと。
ですが、世紀末パリのブルジョワのお嬢様であるイヴォンヌとクリスティーヌは
どんな生涯を辿ったか…。
先の「美の巨人たち」を見ていれば、そうした探究心も出てこようかと思うところながら、
かの番組とは関わりなく(言わでもがなですが)著者はずいずいと探究してくのでありますよ。
先に触れた画中画という点では、この「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」には、
背景の壁に2枚の絵が飾られており、いずれもドガの作品とはっきりしている。
これは姉妹の父親アンリ・ルロル自身も画家であると同時に、ドガの理解者であり、友人であり、
という関係があるのですな。
俗に言えば「お金持ち」家族であったルロルの一家には、いつも気のおけない友人が集い、
友人が友人を呼び、賑やかに和やかに芸術の輪が広がっていたのだそうな。
王侯貴族のサロンにも比すべき気がしますが、そこに渦巻く野心の嵐てなところよりは
ずっと親密な友人付き合いといった関係であったようです。
そこには、ドガ、ルノワール、ドニといった画家もいれば、ドビュッシー、ショーソンら音楽家、
またアンドレ・ジッドやポール・ヴァレリーといった文学者などが出入りして、
クロスオーバーな芸術談義に花を咲かせていた…とは、
単なるブルジョワだからとは異なる世界であったようにも思われるところです。
そんな中にあって、イヴォンヌとクリスティーヌという姉妹は来客から可愛がられ、
余興にピアノを披露したりすることもあったのでしょう。
そんな幸福感に満ちた日常の一こまをルノワールは切り取って仕立てたのでありましょう。
と、まさに絵に描いたような幸福感なわけですが、
では姉妹のその後の人生は…となりますと、いやはや何とも。
たまたまにもせよ、姉妹が結婚した相手はいずれもルアール家の兄弟であって、
結びつけるのに一役買ったのもドガだったらしい(自らは独身なのに…)のですが、
これが「どうよ…」なのですなあ。
ルロル家と同様にといいますか、やはりブルジョワであるルアール家はやはり芸術通が多く、
両者に共通点があったのは確かながら、本書で解き明かされるように人の育ちには
さまざまな要素が絡み合うもので、人となりの出来上がりは一面を見ただけでは分かりませんね。
(というだけで、どのような先行きかは漠と想像がつくものと思います)
本書では、姉妹とその結婚相手のみならず、たくさん(本当にたくさん)の登場人物たちの
来歴が詳しく語られますけれど、興味深い一方でげんなりするところもないではない。
ここではそれを逐一辿るのでなしに、ちと別の面を見ておこうかと。
それは「印象派」とそれに続く新しい絵画の受容といった点でして。
ルロルの家も、ルアールの家も芸術通と言いましたけれど、
それぞれに世間に左右されない審美眼の持ち主たちであったようで、
印象派を始めとした当時の現代作家たちの作品を自らの目を信じて購入していったのだとか。
紆余曲折を経て、両家ともに当主が亡くなって後、コレクションはオークションに掛けられますが、
元々画家から直接に大した金額でもなく買い入れたりした作品の値が100倍にもなったり。
かつては誰も見向きもしなかった画家たちの作品に目が向けられるようになったわけですな。
それでも、その段階ではかなりアメリカの美術館、コレクターが持っていってしまったようですから、
印象派作品がアメリカに充実している のは、部分的にもこの家族に依っているようで。
そして、その段階でもフランスそのものはかなり頑なな印象でありますね。
本書に書いてあるわけではありませんけれど、
要するにルーヴルにはどうしても入れたくないから、オランジェリーを作ったのでは…
てな気もしてくるわけですね。
と、触れているのが部分的なので、全体像が分かりにくい話になってしまいましたが、
ひとつ言えるのは「作品の裏側が実は興味深い」ということ。
ですが、シューマン の例のように「知らなかった方が…」てなこともありますから、
悩ましいところのなのですけれど。