三井記念美術館 で開催中の「春信一番 写楽二番」という展覧会を見てきたのでありますね。

なんとまあ、これがフィラデルフィア美術館のコレクションだということで。

世界中に浮世絵は相当出回っておるようですなあ…と今さらながらに。


「春信一番 写楽二番」展@三井記念美術館


それにしてもいろいろな周年行事(?)があるもので、

今年2015年は「錦絵誕生250年」でもあるそうな。

何でも、明和六年(1765年)に絵師・鈴木春信を中心とするグループが

多色摺木版画の新しい技術を考案し、これが何とも色鮮やか。

さぞやきらびやかに見えたのでしょう、「錦絵」と呼びならわされるようになったそうな。


当時としては、モノクロ映画しかないところへ総天然色映画が登場したような驚きをもって

迎えられたことでありましょう。


ちなみに錦絵の前史ですけれど、

元来は極めてシンプルに一色の墨摺りであったわけですね。

やがてこれに筆で彩色を施すようになりまして、元禄・正徳の頃には「丹絵」の、

享保期には「紅絵」や「漆絵」の作品が多く見られるのだとか。


これが宝暦年間になりますと、版を重ねて着色する「紅摺絵」が盛んになるのですが、

「墨に加え、紅・黄・草色を基本」としていたそうです。

後に北斎や広重 が空に海に藍を使うようになりますけれど、この時期にはまだないのですねえ。


とまあ、こうした動きを受けて鈴木春信の登場となるのでありますね。

ですが、どうも出立ての頃の作品は今からみれば「これ、錦?」と思うほどに落ち着いたふうながら、

例えば春信の「やつし芦葉達磨」(1765~67年頃)などは、

衣も部分だけで3版を用いる手の掛けよう。

新機軸だけに入る力も相当であったと想像されるところかと。


鈴木春信「やつし芦葉達磨」(フライヤーより部分)


実物で見ないと判然とはしませんが、

なるほど衣の細かな描きようにはひとしきり目が釘付けになる一枚でありますよ。


ところで、展示室とは別室のビデオコーナーで見た、

喜多川歌麿の「ビードロを吹く娘」を制作過程を再現するようすの映像では

とかく絵師にばかり注目してしまうところながら、彫師、摺師をお忘れではないかえ的な思いを

新たにすることになりましたですね。


彫師は摺師の仕事を考えて彫りを入れ(ただ絵が出るように彫ればいいものではないようで)、

摺師は自ら手作りのばれんにも工夫を凝らして、摺りの効果の違いを出すてな具合で。


ですから、取り分け錦絵に取り組んだ初めの頃には絵の隅には

絵師、彫師、摺師の三者が連名で(特に絵師を強調するでもなく)その名が記されているものも

見られたのですなあ。


春信らによって考案された錦絵がその後、文字通りに「錦のような」色彩を手に入れるには

取り分け摺師の力量あらばこそのような気もしたですが、

どうも歴史には絵師ばかりが名を残すことになってしまったようで。


とまれ、どんどん鮮やかさが追求されていったのは

何しろ当時の人たちには見たことのない表現をどんどん打ち出すことで

絵を買ってもらおうとのことであったろうかと思うわけですけれど、

これも後付けで後世の者が考えれば、必ずしも極彩色であることがよいとは言えずの気も。


(気に入ったものですからまたしても引き合いに出しますが)先程の「やつし芦葉達磨」などは

本当にきれいなものでありまして、これがもっとたくさんの色を使えたとして

さらに感嘆すべきものになったかというと、そうでもなさそうですし。


とまれ、版画の中でも木版は技巧的な点で

いちばん素朴なのではと思ってしまってましたが、どうしてどうして。

職人技の粋が注ぎ込まれてこその作品であることを再認識した展覧会でありました。


と、春信だけで話が終わってしまいましたですが、

写楽、北斎、広重などなどの作品群、会場でお楽しみくださいまし。