東京・八重洲のブリヂストン美術館で開催中のウィレム・デ・クーニング展を見に行ってきました。
「油彩・水彩・素描、約35点で構成」されるテーマ展示という位置付けはやや小粒で、
同館に10室ある展示室のうち、デ・クーニング作品は2室のみではありましたけれど、
画家の色彩豊かな世界に触れてくることができましたですよ。


ウィレム・デ・クーニング展@ブリヂストン美術館


1904年生まれのデ・クーニングは1916年にロッテルダム の装飾会社に就職、
といってもせいぜい12~3才でしたでしょうから、徒弟的な立場かもしれませんですね。
装飾という仕事に触発されたか、翌年からロッテルダム美術アカデミーの夜間部へ通い出しますが、

こうしたあたりからも苦労人だったのだろうと偲ばれるところです。


1926年、一念発起(?)して渡米し、
翌27年にニューヨーク へと出て商業美術に関わって生業としますけれど、
やがては画業に専念することになるという。


戦間期のアメリカ、ニューヨークは相当に刺激に溢れ、
またアートの世界もていたものと思いますが、あれこれの才能が集っていたことでありましょう。


デ・クーニングにとっては1929年、アシル・ゴーキーとの出会いが重きをなしているそうな。
ゴーキーは親友にして師匠でもあるという関係であったとか。


デ・クーニングは「抽象表現主義を代表する画家」とされているわけですが、
ジャクソン・ポロック やマーク・ロスコに比べると、

その作品は遥かに具象に近いものでありますね。


本展では女性像を描いた作品を中心に展示されていましたけれど、
一見、明るい暖色系の色彩をぶつけた抽象世界のようでもありながら、
かなりはっきりと「女性像」であることが見てとれるわけです。


で、その女性像であるを知る判別ポイントがデ・クーニングの場合には
「目」ではないかと思われますね。


改めて上のフライヤーに用いられている「リーグ」(1964年)という作品を振り返ってみても、
「目」の部分ははっきり分かるのではないかと。


これが知れると「唇だな」というのも分かり、「頭の部分だから、ここは肩で…」と、
作品の下側2/3だけでは「むむ、抽象表現主義、かくありなむ」と思う所が、
全体が像を結んでくるところであります。


ウィレム・デ・クーニング「ふたりの女」(部分・同展フライヤーより)

この「ふたりの女」(1965年)の右側の女性などは、
これが「目」だろうという部分だけが余りにはっきりしていて、
しかもそこだけアニメの主人公のようになってますですね。
使われる明るい色彩ともども考えてみれば、むしろ「ポップアート」とも言えそうな。


一度そういう目で見てしまったからかもですが、
他の作品もだいたい最初に「目」を見つけようとしてしまった…。
これはちとモノの見方を制約することになってしまったやもとは思います。


そんなことを思いつつ、同館コレクションが飾る他の展示室をひと廻りしていたところ、
(普段の展示に比べても、近現代作品が多く並んでいたのはテーマ展示との統一感でありましょう)

ピカソの見馴れた「腕を組んですわるサルタンバンク」に出くわしたとき、
デ・クーニングの「目」はピカソの「目」であるか?と、ふいに。


比較的若い頃のデ・クーニングは
当時のスーパースター、ピカソを意識した作品を描いていたようでもありますので、
ついとそんなふうに思ったですが、まあ、これは気のせいでしょう。


ですが、このデ・クーニングの「目」へのこだわりには
展示解説のどこにも触れられておりませんでしたので、

これ自体が気のせいとも言えましょうけれど。


ところで、デ・クーニングを扱ったテーマ展示が小粒であったこともあって目を向けた他の展示は、

たびたび同館に立ち寄っている関係からか、ついつい流し気味にしてしまった一方で、
今までじっくり見たことのなかった古代エジプトのレリーフなどをじいっくり見てしまいましたですよ。


これも先頃に古墳を訪ねて

「古い古い時代の装飾も大したものだね」の思いを新たにした関係でしょう。


もっともその武蔵府中熊野神社古墳 で発掘された鞘尻金具は7世紀頃のものであるのに対して、

ここで見たエジプトのレリーフは紀元前1000年とか1300年とか、

「すげえな」度合いが桁違いなのですよね。

にもかかわらず、かほどに精巧にできているとは初めて気が付きましたですよ。


ということで、デ・クーニング作品に触れるとともに、
注目すべき点に思わぬ広がりを見せたブリヂストン美術館訪問となったのでありました。