時系列から言うと話は多少前後することになりますけれど、
最上義光歴史館
のお隣に山形美術館があったものですから、
やっぱり立ち寄ってしまいましたですよ。
訪ねたときには特段の企画展もなかったんですが、実はこの美術館には
吉野石膏コレクションというフランス近代絵画を中心とする作品群が寄託されていて、
年に一度くらいでしょうか、このコレクションを大放出することがあり、
去年あたりも見に行こうかなと思っていたくらい。
で、山形美術館とは建物の形からして「山形」であったか…などと思うくらいに
その施設の目の前まで来たとなれば、立ち寄るにしくはなしということで。
館内にいくつかある展示室の中で、大き目のところは企画展用、
従って小さめの展示室を4室ほどが常設展として見られる範囲でありましたですが、
その中では一番大きめの展示室が吉野石膏コレクション室となっておりました。
「珠玉のフランス近代絵画」と銘打たれているだけあって、
展示されているものはどれもこれも目を奪われる感あり、大した品揃えです。
中にはホテル・オークラで夏に開催されるチャリティー展で見たことのある作品もあったものの、
今では東京の会社になっている吉野石膏株式会社が1901年に山形県吉野村(現南陽市)で
石膏原石の採掘を始めたことを発祥として、山形への恩返し的に寄託しているとなれば、
多くは山形美術館でこそ見られるもの。
覗いてみた甲斐のあるものでありますなあ。
ポストカードを何枚か買ってきましたので、部分的にもご覧いただくと
行ってみたい度が弥増すかもしれんですねえ。
まずはこの一枚、ピサロの「ロンドンのキュー・ガーデンの大温室前の散歩道」です。
これは1892年の作品で、明るい点描が散歩道の心地よさを窺わせますですね。
特に手前側に寄せ植えされたあたり、印影を作る紺が印象的でありました。
これに並んで制作年代の異なるピサロ作品があり、見比べるとピサロの作風の変遷が
実に分かりやすくなっているのもポイントかと
お次の一枚はコローの…ではなくって、ルノワールなんですね。
「森の散歩道(ル・クール夫人とその子供たち)」という1870年の作。
こう言ってはんですが、ルノワールで思い浮かぶ作品は暖色系が勝っているので
いささか暑苦しく思うこともあるんですが、これは温度差がありすぎるくらい。
とっても透明感があって、ルノワールもこういう絵を描いていた時期があるんですなあ。
続いてはちと定番ぽいですが、モネの「テームズ河のチャリング・クロス橋」(1903年)。
似た感じの作品はよく見かけるところですけれど、これは薄靄のかかった中、
テムズの川面に反射する陽光の妙が何とも言えぬものとなっておりますよ。
じっくり見ればただ絵具をささっと掃いたようながら、こうした効果が得られるとは。
そして、こちらはミロの「シウラナ村」、1917年なのでミロ20代の作品です。
これを見た時にはあの抽象表現主義のジャクソン・ポロックが若い頃に描いた
「西へ(西部へ)」を思い出してしまいましたですよ。
ミロもやがては抽象に至るわけですけれど、若い頃の試行錯誤を偲ばせるとともに、
ミロらしいミロではないながら、すでにして誰のものとも違う惹きつける個性が
あるものだなと思いますですね。
とまあ、どれもこれも「テイクアウトお願いします!」と言いたくなるものなんですが、
取り分けこれは!という2点がいずれも裸婦とは偶然です…。
ボナールの「靴をはく若い女」とキスリングの「背中を向けた裸婦」、
多くを語ることはせず、じっくり見ていただきたいところですが、
名品目白押しの展示室にあって、ひときわ存在感のある絵でありました。
他にも日本画の方で長谷川コレクション記念室というのも、なかなかの見もの。
(この長谷川さんは「紅の蔵
」とも関係がある方ではないかと)
分けても与謝蕪村が芭蕉の「奥の細道」全文を屏風に書き、かつ絵も描いたというのは
うっかりすると全文読んでしまいそうになってしまうという。
月日は百代の過客にして…と言っても、達筆すぎてたちどころに判読不能になりますが。
判別のついた句は「五月雨の降り残してや光堂」くらいかも…。
それにしても、常設展だけで気分的にこれだけ盛り上がれるのはそうあることではないような。
ご覧になられた方は「行ってみたい度が弥増すかも」と言いましたですが、
こうして振り返ってみて自分自身がそうなってきてますですよ。
次の「吉野石膏コレクションのすべて」展は12月13日から翌年1月25日までだそうです。
蔵王でスキーがてら、山形再訪しますか…ね…。