先日読んだ「ダンスシューズで雪のシベリアへ
」は、
ソ連
に飲み込まれたラトビアで全く思いがけなくシベリア送りにされる人たちがいた現実に
気付かせてくれたわけですけれど、同じような状況はバルト三国で北隣にあるエストニアでも
あったことでありましょう。
今では独立を果たし、ひとつの国としてあるエストニアですけれど、
そのエストニアには言語監督庁という役所があるそうなのですね。
ひと呼んで「言語警察」とも言われているのだとか。
ソ連に支配されていた時代(表向き、エストニア・ソビエト社会主義共和国ではありましたが)、
ロシア人の流入も多く、エストニア人にも言葉はロシア語を使うよう強制されたのだそうです。
元来、エストニア語はフィン語(フィンランド語)には近いけれど、
ロシア語とは言語系統が異なるもので、方言に対する共通語とか
そういう違いのレベルではないわけですね。
ですから、エストニアは言葉の点でも苦難を強いられたわけですけれど、
(その点、ラトビアの言葉はスラブ語に近いらしい)
独立後には危機に瀕したエストニア語の復権を図ろうと躍起であるとのこと。
国内の公用語は唯一エストニア語で、
独立後も残るロシア系住民も含め、小学校、中学校でエストニア語は必修、
店の看板はエストニア語で出さねばならず、
そうでない看板が見つかると言語警察の出動となる。
こうしたことに対してロシア系住民からは
マイノリティー差別との批判の声が挙がってもいるようですけれど、
エストニア共和国としては、自国の人口が130万人ほどであるのに対して、
国境のすぐ外側にはロシア語を使う国が広がっており、
またロシア語を母語として話す人口は1億6000万人を上回るとなれば、
マイノリティーはどちらだ?との思いがあるのではないかと。
エストニアの国の中だけを見れば、確かに少数のロシア系住民に不都合を強いて、
もしかするとかつてのソ連にされたことの意趣返しか?!てなふうにも見えるかもですが、
大きく世界を見れば、130万人くらいしかいない中でエストニア語の話者が減ってしまっては…
と考えるのも無理からぬ話のような。
と、ここでふと思うのは、130万人くらいの人口というのが
偶然にも(?)沖縄県の人口と極めて近いということなのですよね。
沖縄は明治以降、日本という国に完全に組み込まれて、
いわゆる島言葉をいわゆる共通語化するように求められ(強いられ)てきたわけですけれど、
言語学者の中には「日本語と琉球諸語の間には、同じラテン語系の
イタリア
語とスペイン語以上の違いがある」という見解の方もいるそうな。
イタリア語とスペイン語が「似てはいるけれど別のもの」と位置付けられているのは
やはり互いに別の国だからということもありましょうね。
これに対して、本土の言葉と島言葉は「違うようだけれど同じもの」と受け止めるのも
結局ひとつの国の中だからとの考えからでしょうか。
ことほどかほどに「国」と「言葉」の関わりは深いものだと改めて思い知るところですが、
この深い関わりからはどうもあんまり歴史のいい面というものを見ることができなそうです。
ナチス・ドイツ
の初期の拡大過程を見ても分かりますですよね。
こんなことを考えてきますと、もしかしたら「国」という枠組み自体、
すでに制度疲労しているのでないのとも思えたり。
だからといって、代わりにこれ!という決定打はありませんけれど。
(想像の中に無いではないですが、現状では余りに理想論でしょうから)
映画「天地創造」の「バベルの塔
」のシーン。
天にも届かんという大きな塔を建てる人間を戒めるため、
神は人々の話す言葉をばらばら別々のものにしてしまったところ、
建設現場では大混乱で、争いや諍いだらけになってしまった。
今の今まで互いに意思疎通が図れていたのが、唐突にできなくなったとして、
乱闘みたいなものになるかなぁ、ちと違うんでないの…と思っていたですが、
その時その場のことはともかくとしても、言葉の違いが元となって生まれる諍いが
今もたくさんあることを神は見越しておられた…てなことになりしょうか。
ただ、それでも単に言葉が違うというだけでなく、そこに国という枠組みが
(ナショナリズムの鎧として)加わることでなお一層、酷くなってるやに。
諍い、争いあうよりは、何らか知恵を出し合うことはできないものでありましょうかね…。