…ということで 、足利から戻ってまいりました。


今ではスカイツリーラインなどという肖りものの名前になってもいるようですけれど、
要するに東武伊勢崎線に乗って行ったのでありますよ。


埼玉県を通り抜け、群馬県に入ったかと思うと、
ほどなく到着する東武足利市駅は栃木県…。


隣接している館林市、太田市、桐生市がいずれも群馬県であることからして、
足利は栃木県の南西端に位置していることが分かるわけですが、

足利尊氏父祖の地であるここ足利荘と後に大敵となる新田義貞ゆかりの新田荘とは

ほぼ隣どうし(だから仲が悪いでしょうなぁ…)で、新田荘の方は今の群馬県なのですよね。


このあたり、国境の話 ではありませんが、

行政上の区画と人心とはどう折り合いがついているのか、いないのか…

気になるところではありますですねえ。


ところで、室町将軍家の出身地とあって足利は大事にされてきたようで、
江戸の世には小さいながらも足利藩として譜代が治める土地柄であったそうな。


明治の廃藩置県(1871年)で足利県となるも、

藩=県の置き換えでは数が多過ぎるからでしょうか、
同年中に足利県は栃木県に編入されてしまいます。


もっとも、このころには宇都宮県というのもありましたから、
今の栃木県に近づくのは1873年に両者が合併した結果。


当初は県庁は今の栃木市の方にあったようですが、やがて宇都宮に移されます。
「県の名前はおまえんとこのでいいから、県庁はこっちに寄こせ」と
宇都宮側が言ったかどうかですが、名を捨てて実を取る作戦が奏功したのか、
今や宇都宮が県内随一の大都市であることは疑いないところでありますね。


とまれ、足利は地理的にははしっこの地でありますけれど、
それを実感できるのが沿線の眺め、足利市駅から眺めでしょうか。


東武足利市駅から市街を望む



北側は目の前に滔々と流れる渡良瀬川を挟んで市街地の先には山々が連なっており、
奥へ行くほど険しさを増し、やがては日光連山に至る入口という感じです。


が、南側(足利市駅南側にはビルが建って開けてませんが、そこに至るまでの沿線)は
ひたすらに田畑が並ぶ、何とも平らな土地がずうっと続いているのですね。
まさに関東平野だなぁと思う瞬間でありますよ。
その北縁に足利は位置しているのでありました。


ところで、上の写真に写っている看板?に「美人証明」の文字が読めましょうか。

足利市にある厳島神社は美人弁天の別名を持っとりまして、

参拝者には「美人証明」(美人であることを証するお守り)をくれるのだとか。


どうも八王子にある萌え寺と同じような路線にも思えますけれど、

背景として足利は美人の多い町として有名ということがあるんだそうです。


この手の話は「しかして、その実態は?…」みたいなことでもあろうかと思われるわけですが、

実は「意外にも本当かも…」と(注:感想は個人のもので、万人に保証されるものではありません)。


実際に美人弁天に出向いてみることまではしませんでしたけれど(笑)、

まあ、そうした足利で見聞きしてきたあれこれを何回か分けて
(例によってそればかり続くと飽きが来ましょうから、別の話も挟みながら)
記してまいろうかと思っておりますですよ。

しばしお付き合いをいただけましたら幸甚でございます。