「男が一歩外に出れば、7人の敵がいる」という諺がある。
最近はあまり聞かなくなったが、子供の頃はこの諺をよく耳にし、いったい外にはどんな敵がいるのだろう、などと言葉尻の意味ばかり考えていた。
「敵」などというと物騒で耳障りな言葉に思えるかも知れないが、実際に社会で生き抜くためには競争し、戦い、生きていくために腹を括って事に当たらなくてはならないことばかりだ。ましてや、昨今のような不況下においては7人どころか、何人の敵がいるか知れたものではない。
自己主張をすると、なにがしかの反応が返ってくるものだ。賛同者もいれば反対者もいるだろう。ましてや利害が関係してくれば、想像以上に反対してくるものも現れるだろう。それでも自分の信念をつらぬかねばならないこともある。
日々闘い続けていれば、ときには勝ち、ときにはズタボロに傷つくこともある。しかし、戦いを乗り越えていくごとに精神的に強くなっていくものである。若いころにはアッサリ降参していたような苦難も、年を追うごとに粘りと頑張りでそう簡単には引き下がらないようになるものだ。
近年では少子化の影響もあるのか、子供を過保護に育てることで、本人から闘う機会を奪ってしまうことがあるようだ。たとえば子供同士でおもちゃの取り合いが始めると、すぐに大人がしゃしゃり出てきて、「仲よく遊ばなくちゃダメでしょ」などといって自分で解決する機会を奪ってしまう。
はじめて自転車を乗るときは、誰だって転んだり足をついたりしたはずだ。失敗を重ねることでバランス感覚を自然と身に着けていくようになる。
中国では一人っ子政策により、過保護に育てられた子供たちが精神的に脆弱になり社会問題化しているという。社会に出て、いきなり経験したことのないような困難に直面し、自殺をするケースも顕著だという。
かわいい子には旅をさせろというが、ときには親が黙って子供の成長を見守る我慢をしなければならないこともあるといえるだろう。
閑話休題、ぼくはといえば、子供のころから闘い続けてきた。おもえば毎日が戦いだったし、今でも闘い続けている。
時には自身が身を置く環境で孤立するようなこともあったが、なにくそっ、とばかりに乗り越えてきた。
生来負けん気が強く、そう簡単にはへこたれない性格だが、嫁を迎えてからは一層強くなった。家族のことを思えば、世界中が敵にまわっても闘い抜いてやるという気概に磨きがかかったようだ。個人の力は弱くとも、男の背に負った家族への責任は重いものなのだ。
そんなぼくだが、拉致被害者のご家族の方々の強さには敬服させられる。家族が拉致されたことも知らず、失踪と思われていたころから今日に至るまで、ずっと闘ってこられた。警察や政府も問題にしてくれなかったころから闘い続けてこられた。言葉では語りつくせないご苦労の連続だったことだろう。
拉致被害者のご家族の皆さんからすれば、文字通り「敵」だらけの戦いを乗り越えてきたにちがいない。
ぼくは、ご家族の皆さんの不屈の精神と、家族の「絆」に対して敬意を払いたい。
そして、拉致問題の解決を実現するお手伝いがしたい。
嫁の寝顔を見つめながら、そんな決意を新たにした今日のお話でした。
北朝鮮による日本人拉致事件は、国籍、思想、年齢、性別、職業などに関係なく、日本に住むすべての方に関係する問題です。ぜひとも朝鮮総連に拉致問題の解決を求める署名 にご協力ください。
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