朴春琴を知ってますか? | 徐裕行のブログ

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徐裕行の周辺で起きたことを
無理にでも拉致問題の解決に結びつける
うまく、落とせない時もあるけどね。

日韓併合中に朝鮮出身の国会議員が二人いた。

ひとりは貴族院議員の尹徳栄。そして、もう一人が衆議院議員の朴春琴だった。

ふたりは、祖先から授かった本名のまま選挙に立候補し、多くの方に支持されて当選を果たしている。


朴春琴は東京府、本所・深川を地盤として土木業で成功し、親分肌で面倒見のいい性格から、朝鮮人だけでなく、日本人からも人気があったといわれている。



ぼくの実家の古いアルバムをめくると、朴春琴の写真を見つけることができる。



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写真の右上に、亡くなった伯父が書いたと思われる達者な字で「朴春琴」と書かれているのが認められる。

何かの記念で撮った写真なのだろう。朴春琴は和服で正装している。


この写真の上に張ってある写真の余白に、昭和十六年正月と書いてあることから、おおむねそのころの写真ではないかと推測される。

朴春琴は昭和七年に初当選を果たし、昭和十七年まで二期務めたとあるから、そうであれば、この写真は朴春琴が衆議院議員として国政に参加していたころの貴重な写真ということになる。


なぜ、ぼくの実家の古いアルバムの中に朴春琴の写真があるのか。それを説明する前に、もう一枚の写真をご紹介しよう。



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この写真は、ぼくの父が幼いころの写真だ。

右側に立っているのが、ぼくの祖父。中心に座っているのが祖母。右下が亡くなった伯父。左下の坊主頭が父。(ちなみに、祖母に抱かれているのが、子供のころに亡くなった妹、左上が従姉弟のキミちゃんだそうだ)


祖父の名は徐廷炳(日本名・田中正雄)。三十五歳の若さで亡くなってしまったが、それまでは同じ慶尚南道出身ということもあってか、朴春琴に可愛がられ深川区の区議会議員を務めていたという。


祖父母は朝鮮から日本に渡ってきた一世だったが、御覧のように和服を着ている。祖父は、自分たちは日本人なのだから、日本風の氏を名乗り、家でも日本語を話し、積極的に日本人になじむ努力をしていたという。その影響からか、祖母の写真は和服を着ているものが多い。


朴春琴は、朝鮮人ならびに朝鮮在住日本人の参政権(当時は朝鮮に在住している日本人には参政権がなかった)や朝鮮人志願兵制度を請願する政治活動をしていた。


そのようなことから祖父も朴春琴も朝鮮系日本人として、日本に貢献しようと努力をしていたようすがうかがえる。


日朝、日韓、日中と戦後の解決しなければならない諸問題はたくさんあるかもしれない。しかし、反日のステレオタイプ一辺倒では解決にはならない。確かに反日的な感情をもっていた人たちもいたが、朴春琴や祖父のように親日であり、日本人として生きていく誇りと覚悟を持っていた人たちも大勢いたのだ。

当時であれ、多種多様な価値観が存在していた。


にもかかわらず、現在、日本で生まれ、日本で育ち、日本で死んでいく在日が、拉致問題にだけは無関心でいていいわけがない。もういちど、在日という存在、歴史、自己について客観的に考えてみたいと思うのです。


※皆さんにお願いします。

北朝鮮による日本人拉致事件の解決を朝鮮総聯に求める署名にご協力ください。
国籍、思想、年齢、性別、職業などに関係なく、皆さんの熱意が日本人拉致の解決につながると信じています。
以下のアドレスにアクセスの上、署名をお願いします。


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