【本編】act1+3 申し出、そしてキック | 魔人の記

【本編】act1+3 申し出、そしてキック

act1+3 申し出、そしてキック

松井茜が現れるようになってから3日目の放課後…
ではなく、昼休み。

学食から教室へ帰る途中、征司は城戸に呼ばれた。
この日は雨が降っていたのもあり、屋上ではなくその直前のドア付近に連れてこられる。

「…昨日は、なんか悪いことをしてしまったが…あれから大丈夫だったか?」

「え? ああ…まあ、ね」

征司は、昨日の茜と別の女性記者との大喧嘩を思い出す。
それだけで一気に疲労の色が濃くなった。

城戸はそれを見て、征司の言葉が「言葉通りではない」ことを感じ取った。

「なかなか大変だな、お前も」

「うん…なんでか、博潮の事件でオレが爆弾を止めた、みたいな話が広がってたからなあ…」

「違うのか?」

「オレがそんなことできるわけないじゃないか。クラスメイトにいじめられてたのに、爆弾魔なんて相手にできるわけがないよ」

「…ふむ…」

城戸はどこか含みのある笑いを浮かべる。
だがそれ以上、征司を追及することはなかった。

彼は話を変え、征司に要件を伝える。

「わざわざ呼んだのは、今日の帰り…ちょっと付き合ってもらいたいと思ってな」

「付き合う? 何に」

「それは後のお楽しみだ。どうせ昨日の記者、今日もいるんだろう? 昨日の詫びに、記者をシカトする口実を作ってやるよ」

「…口実?」

「まあ、記者は女のようだから、いちゃつきたければ断ってくれて構わんが」

「ああ…なるほど、わかったよ。付き合うよ」

城戸なりの気遣いであることがわかり、征司は笑顔でうなずいてみせた。
その反応に城戸も「決まりだな」と笑顔を返す。

城戸の申し出は、征司にとって願ったり叶ったりだった。
自分や茜の安全のためにも、彼女とは距離を置くべきだと征司は思っているのだが、ひとりだとどうも彼女の勢いに負けてしまう。

だが、用事があるとなれば話は別である。
シカトするのは申し訳ないとも思ったが、そうでもしなければ彼女はどんどん自分に近づいてくるような気がして、それが怖くもあった。

(これはあの人のためでもある…それに、城戸がわざわざ付き合えっていうのも気になるし)

口実とはいえ、城戸は用もないのに人を呼び出すタイプではない。
彼が自分に何を見せようとしているのか、その点も征司は気になった。

そして雨は止み、放課後がやってくる。
廊下で合流したふたりは、仲良くそろって昇降口を出た。

するとすぐに

「征司くぅーん」

甘ったるく作った茜の声が聞こえる。
どうやら待ちに待っていたようだ。

(すいません、松井さん…)

女性が自分に会いたがっているという構図が嬉しくもあるので、征司は本当に申し訳なく思う。
思うが、だからこそ彼女がいる方向へは行かない。

彼女に呼ばれても何も言わず、黙ってそっと正門方向へと向かった。

「あれっ? 征司くぅーん、征司くんってばー」

自分の方へ来ない征司に向かって、茜は呼びかけ続ける。
背中に甘ったるい声を聞きながら、征司は渋い顔をした。

(すいません、ほんとすいません…)

「せーいじくぅーん! うぉーい!」

(お願いですから、大きな声で呼ばないでください…恥ずかしいですから)

「お話聞かせてよー! そしたらおねーさんとイイコトできるよー?」

(う…うぅ)

彼女の下品な軽口に、心がドキリと音を立てる。
だがそんなはずはないと頭を横に振った。

(ダメだダメだ、何をその気になってる…バカかオレは)

そして征司は、ついに茜を振り切ることに成功した。
首を横に振った後は、彼女も征司に向かって何か言ってくることはなかった。

「…本当に大変だな、お前も」

征司と茜の様子を見て、城戸が苦笑まじりに言う。
その言葉に征司は何も言えず、ただ小さくため息を吐くばかりだった。


正門から抜けた後で、ふたりは学校の周囲をぐるりと回って通学路を歩いていく。
ここからの最寄り駅は裏門と同じくJR椎葉駅、もしくは西鉄椎葉宮前なのだが、裏門の方が近い。

出ていく方角が真逆なので、裏門の場合は左に曲がるところを正門では右に曲がる。
正門のすぐ向かい側には、椎葉高生御用達の駄菓子屋があるのだが、放課後は部活生に占領されるのが「毎日の風物詩」だった。

角まで歩き、また右へと曲がる。
右手には小さな川が現れ、申し訳程度のガードレールが生徒たちを守る。

道は狭く、車がぎりぎりすれ違える程度の広さしかなかった。
そのくせ川側に電信柱があったりするので、征司と城戸はたびたび縦になって歩かなくてはならなくなる。

「…」

「……」

会話など弾もうはずもない。
征司はただ、城戸の後について歩いていくだけだった。

その途中、茜が自分を追ってくるのではないかと恐怖していた部分もあったが、どうやらそういうことはないようだった。
征司を追い続けると彼女は言ったが、それはしつこくするということではなかったらしい。

(そこらへんはちゃんとわかってる人でよかった。四六時中つきまとわれたんじゃ、たまったもんじゃないからな…)

そこには、生活を茜に侵食される心配というよりかは、戦いに彼女を巻き込まずにすみそうだという安心感の方が大きかった。

(週刊誌の記者なんだもんな、あの人…リアライザがらみのことなんか知ったら、黙っていられるわけがない。そうなったら、Y.N.側がどう出るか…わかったもんじゃない)

自分をリアライザと戦わせてはその体を回収したり、
さらには刺客としてルサグスフを送り込んできたり、

ルサグスフをただの爆弾魔として処理したり、
そのために警察を動かしたり…

Y.N.側のやっていることは謎だらけであり、事実だけを見れば征司たちの人生を弄んでいるようにしか考えられない。
人間ひとりを「処理」することなど、なんとも思っていないように感じられるのだ。

(松井さんは悪い人じゃないし、何より女の人だ。そういう危険には遭ってほしくない。だからできるだけ早く、オレを探るのをあきらめてくれればいいんだけどな…)

しかし彼女には、しつこくつきまとわない代わりに絶対にあきらめない、というような気概も感じている。
それこそ、征司を獲物として見ている部分もあるようだった。

(あの人の目には、とても強いものがあった…きっと必死に仕事をしてる人なんだろうなって思う。おちゃらけてるように見えて、芯はとても強そうだ…だけどだからこそ心配なんだ)

心配なので、征司はまず彼女から離れることを選んだ。
そのために今、城戸の後をついて歩いているのだが…

「…あれっ、宮前?」

気がつけば、椎葉宮前に来ていた。
驚いている征司に、城戸は「ああ」と返事をする。

「最寄りは次の西鉄椎葉なんだが、記者をまく必要があっただろ? だからこっちに来たんだ」

「そうか…城戸も西鉄だったんだな。知らなかった」

「ん? 真田もそうなのか。偶然だな」

城戸はそう笑いながら切符の自販機へ向かう。
2区間分の切符を買い、自動改札を抜けた。

「あ、城戸は向こう側なのか」

城戸がわざわざ切符を買ったのを見て、征司が言う。
彼は定期で改札を抜けた。

「そうか、真田は貝塚方面なんだな」

「ああ」

城戸は貝塚方面とは逆のホームへ向かい、征司もそれについていく。
ホーム同士は向かい合っており、線路はそれぞれ1本ずつ敷かれていた。

間に独立した線路はない。
JRとは違い、この路線には特急あつかいの電車はなかった。

放課後すぐということで、双方のホームにはある程度の生徒がいる。
だがどちらかというと博潮の生徒が多いようだ。

「…」

「……」

(う…)

征司は、少しばかり視線を感じる。
椎葉ほどではないが、事件の現場である博潮にも征司の顔と名前を知る者がいるようだ。

征司がもともと博潮の生徒ではないため、椎葉に比べればその人数も反応も小さなものだったが、ゼロではないことが征司にとっては重要に思えた。

(やっぱり、知ってる人がいるんだな…そうだよな、先生だったもんな『彼』は…)

ルサグスフこと、福原 耕作は博潮で日本史などを担当していた。
彼の人となりを知っている生徒なら、彼が爆弾魔などになるわけがないと確信していてもおかしくない。

(…でも、『彼』を倒さなきゃオレたちがやられてたんだ。やるしかなかったんだ…)

戦いの記憶は、暗い記憶でもある。
それが心にまざまざと蘇るのを感じて、征司の表情は沈んだ。

そんな彼に、城戸は声をかけてくる。

「…かなり、情緒不安定なようだな」

「えっ?」

「望みもしないのに騒がれて、精神的に疲れているんだろう?」

「……そうかも…しれない」

「そういう時は何も考えないに限る。無心になるのは難しいが…手がないわけじゃない」

「無心?」

「まあ、ついてこい。会わせたいヤツもいるしな」

「う、うん…」

城戸の発言が意味するところが、征司にはよくわからない。
そのことについて考えようとすると電車が来た。

ふたりで乗り込み、いつもとは逆方向に景色が流れていくのを見つめる。
窓ガラスに映る征司の顔からは、少しだけ暗さが消えていた。


椎葉宮前と西鉄椎葉、そしてその次の駅である椎葉香園(しいばかえん)駅。
この3つはこの沿線で「三椎葉」と呼ばれており、「椎葉」という名前がこの路線でどれだけ重要かがうかがえる。

ただし西鉄椎葉と椎葉香園はかなり離れており、町名も違う。
つまり、椎葉という名前を借りているに過ぎない。

ちなみに椎葉香園というのはこの私鉄が経営する遊園地であり、大きなものではないが地元の人々にはなじみ深い場所だった。

しかし征司たちはそこでは降りない。
さらに先へと進み、次の唐原(からばる)駅で降りた。

「うわー…」

ホームは椎葉宮前よりも広く、周囲が開けているので解放感がある。
少し離れた場所には、ラブホテルの派手な看板が見えているが1軒しかない。

「こっちまで来たのは初めてか?」

征司が声をあげたのを見て、城戸が尋ねる。
うなずきながら征司はこう返した。

「貝塚から出かけるっていったら、椎葉香園までか逆の天神とかだからさ…ここは来たことなかったな」

「そうか。まあ、この辺には何もないからな」

城戸は笑いながら歩いていく。
改札そばの精算機まで行くと、切符と定期を使って料金を精算した。

征司もこの駅では定期が使えないので、城戸と同じように精算する。
そして改札を抜けると、そこには少し古めの住宅街があった。

(背が低い…っていうのか、平屋が多いんだな)

マンションも見えないことはないが、駅の周囲は平屋に占拠された状態である。
駅前というとさまざまな建物が乱立しているイメージがあるが、ここはそうではない。

だが考えてみれば、貝塚駅周辺も建物が乱立しているということはなかった。

(貝塚の場合は大学がすぐそばにあるからだけど…それにしてもここは『背が低い』って感じなんだよなあ)

「こっちだ」

「あ、ああ」

平屋ばかりの光景に目を奪われていると、城戸に呼ばれた。
駅近くの踏切を歩き、今電車でやってきたばかりの線路を垂直に横切る。

城戸が歩いていく方向はまさに、「背が低い」住宅街へ突っ込む形になっていた。
さびれているのか昔のやり方で商売できているのか、昭和時代の看板を現役で使っている商店があったりもする。

その近くを通りがかると、中から老人が出てきた。
親しげな様子で城戸に声をかける。

「よう、英ちゃん。今帰りかい?」

「ああ。これからジムだよ」

「そうかい。…お? そっちは友だちかい?」

「ああ」

城戸が言うのに合わせて、征司は老人に会釈した。
老人は笑顔を見せ、嬉しそうに言う。

「珍しいな、英ちゃんが友だちつれて歩くなんてよ」

「友だちがいないヤツ、みたいに言わないでくれよ。じいさんは相変わらず元気そうだな」

「ああ、元気だよ。最近はまた、ガキんちょどもが買いにきてくれるようになったしねぇ」

「そりゃ張り合いがあるな。じゃあ、またなじいさん」

「おう、またな英ちゃん」

そして城戸はまた歩き出し、老人は店へ戻った。
窓越しにまた征司を見たので、征司はもう一度会釈する。

すると城戸がこう言ってきた。

「真田、別に気を遣う必要はないぞ」

「え?」

「一度あいさつすればそれでいいさ。あのじいさん、おれが友だちをつれてきたのが珍しいから、ジロジロ見てるだけなんだ」

「そんなに珍しいのか?」

「おれはあんまり誰かとつるむタイプじゃないからな」

「…」

「何か言いたそうだな?」

「いや、別に」

「ははっ、お前は別だよ。真田」

「別、って言われてもなあ…」

「お前は妙におれの興味をそそる。血の臭いも少し濃くなった気がするしな」

「…えっ」

城戸の言葉に征司は驚く。
だがそれに構わず、城戸はさらに言葉を続けた。

「だがお前にはどうやら、精神的なもろさがあるようだ。それはマズい…おれがお前の秘密を知る前に、お前に壊れてもらっては困るんだよ」

「…どういう意味だ?」

「詳しくはあとで話すさ。さあ、行こう」

「あ、ああ…」

歩き出す城戸に、征司はついていくことしかできなかった。
やがて彼らは、平屋の中に現れた3階建てビルの前で立ち止まる。

もう少し進めば旧国道に出るらしく、車がそこそこの速度で走っていく音が聞こえる。
この道路には川があり、それを隔てた向こう側にはJRの線路が敷設されている。

そのため、車の音と電車の音が代わるがわる聞こえてくる。
だがそこに出る前に、ふたりの足は止まっていた。

ビルには大きく「鮫島キックボクシングジム」という看板が出ている。
城戸は短く「ここだ」と言い、中に入っていった。

「…こ、ここなのか…」

おおよそ、ジムなどというものに縁がなかった征司は、恐るおそる城戸について中に入る。
するとすぐに、威勢のいい声が聞こえてきた。

「ほら遅いぞ遅い! もっと早く! 早く!」

「はい!」

「蹴れ蹴れ! 蹴れ蹴れ蹴れ蹴れェェ!」

「うおおおおああああ!」

リングに上がってミット打ちをやっている者や、サンドバッグを必死に蹴り続けている者、基礎トレーニングに励む者など、誰もが厳しい練習で汗を流している。

「おお、英一! 来たか!」

城戸の姿に気づくと、リングのそばでミット打ちを見ていた50代くらいの男が近づいてきた。
手を差し出すと、城戸はすぐに握手を交わす。

「お久しぶりです、会長」

「ここに来たということは、アレについてはオーケーしてくれたということだな?」

「いえ、そうではなく…今日は友だちをつれてきたので、ちょっと見学してもらおうかなと思いまして」

「そうか…」

会長は残念そうな表情になる。
だが気を取り直し、城戸にこう言った。

「わかった。器具は好きに使っていいからな」

「ありがとうございます」

「だから、というわけではないが…例の事、前向きに考えといてくれよ」

「わかりました」

「じゃあな」

そう言って、会長は城戸から離れた。
征司が不思議そうにしていると、城戸が振り向いてくる。

「さて、じゃあ早速やろうか」

「や、やろうか、って…何をどうするんだよ?」

「お前、何かいろいろ考え込んでるだろう? だから、無心になる方法を教えてやろうと思ってな」

「え…? でもオレ、ジャージとか持ってきてないんだけど」

「そうだな、いきなり連れてきといて着替えもないんじゃアレだな…」

城戸はそう言った後で、ジム内をきょろきょろと見回す。
ロッカールームの方向を見た時、彼の動きが止まった。

「会長」

「ん?」

城戸は会長を呼んだ後、征司から離れてリングサイドへ向かう。
そこで何やら話をし始めた。

「…」

征司は放っておかれたまましばらくその様子を見ていたが、1分ほどたっても終わる様子がないので、あらためてジム内を見回してみる。

「ハッ! ハッ! ハッ!」

「ダメだダメだダメだ! そんなんでチャンピオンに勝てるか! もっと足上げろ! へばってんじゃねえ!」

「はい! ハッ! ハッ! ハッ!」

(うおお…キツそうだ…)

汗だくの上に、筋肉が悲鳴を上げているのか顔を歪めているジム生たち。
中には選手と呼ばれる者たちもいるのだろうが、この場所にいるほぼ全員が苦しい表情を浮かべている。

そして、苦しみながらもトレーニングを続けている。
その姿を見て、征司はこんなことを感じた。

(苦しいのに、がんばってる…なんだろう、とっても『健全』だ。すごく健全に思える…真っ白っていうか、キレイっていうか)

同時に思い浮かぶのは、戦ってきたリアライザたちの姿。
人間の体に動物のパーツをくっつけた、人獣一体の魔物。

それは明らかに自然のものではなく、人工的な臭いしかしない存在である。
征司には、それらリアライザの存在がやけに薄暗く思えた。

(とってもキツい思いをして、体を鍛えてるっていうのとは全然違う。体をいじって簡単に強くなろうとした名残りっていうか、なんか…リアライザは『ズルをした残りカス』みたいに思える)

その感覚が正解なのかどうかはわからない。
だが、虎のリアライザなどを思い出すと特に、強くなろうとして人体改造を施したという感覚がしっくりきてしまう。

(確かにどんなに訓練したって、虎に丸腰で勝てる人なんてほとんどいないけど…だけど、強さってそういうことじゃないような気がする。そう思いたくない、ってだけかもしれないけど)

自らに課題を与え、それを積み重ねていくというのは人間にしかできない行為である。
征司はうっすらと、それこそが人の強さなのではないかと感じていた。

(動物は、この場所で痛いことをやってるって思ったら、その場所には近づかないようにするものだ…でも人間は違う。ただ痛いことをやってるとは思わない。目的を持てるっていうのか…それが人間と動物の違いなのかも…)

リアライザが動物の体のパーツをくっつけているということから、征司の考えは「人と動物の違い」へと流れていく。
そこからさらに思索を広げようとしたところで、彼は城戸に呼ばれた。

「真田、ちょっと来てくれ」

「…えっ?」

「早く」

「あ、ああ…」

思索をやめ、城戸に近づく。
そのまま彼はロッカールームに向かい、征司もついていく形になった。

そこに到着すると、城戸から鍵を手渡される。

「このロッカーに、大きいサイズのジャージが入っているはずだ。それに着替えてくれ」

「大きいサイズのジャージ、って…他人のじゃないのか、それ」

「他人のだったが、今はもういない。戻ってきた時のために洗濯して入れといてやったんだが、どうやらもう戻ってもこないようだし、お前が使っても問題ないだろう」

「問題ない、って…まあ、わかったよ」

他人のジャージとはいえ、洗濯されていれば問題ないと征司も考えた。
どうやらそのあたりは無頓着らしい。

なにより、城戸が何を考えているのかが気になったし、断ったところで自分に何か別の用事があるわけでもない。

それに、城戸とのこういう時間は「友だちとのひととき」を感じられて、それほど悪い気はしなかった。

「じゃあ、また後で会おう」

「ああ、わかった」

城戸はロッカールームからいなくなり、征司は鍵が示す番号のロッカーを探す。
ロッカーを見つけると、すぐに鍵で開けた。

中には綺麗に折りたたまれた上に、透明なビニール袋に入れられている灰色のジャージがある。
ビニール袋にはボタンがついており、それを外して中身を取り出す形になっていた。

(思った以上にきっちりしまいこまれてたな。これなら問題なさそうだ)

臭いを確認するが、悪臭はまったくない。
ただ洗濯されてしばらくたっているのか、いい香りもしなかった。

征司は学校から持ってきた荷物をロッカーに入れ、そのジャージに着替える。
どうやら太めの彼よりさらに横幅が大きなジム生がいたらしく、少しぶかぶかだった。

(今のオレよりでかいって…ダイエットにでも来てたのかな? 城戸は知っているみたいだったけど…)

そんなことを考えながらロッカーの鍵を閉める。
そして城戸がいるであろう、ジムの練習スペースへと戻った。

「城戸」

名前を呼ぶと、城戸が振り返る。
リングサイドにいた彼は、笑顔で征司に近づいてきた。

「早かったな。…少し大きいか?」

「みたいだ」

「まあ、小さいよりはいいよな。じゃあ行こう、こっちだ」

「ああ」

城戸は征司を、サンドバッグが並ぶ場所へと連れてくる。
開いているサンドバッグの前に陣取って、征司にこう言った。

「じゃあ、無心になる方法を教えるぞ」

「ああ…いや別に、無心になりたいわけじゃないけど」

「まあ聞けって。いい気分転換にもなる」

「わかった」

征司がうなずくと、城戸はサンドバッグを指差す。

「無心になるには、ひたすらこいつを蹴りまくることだ」

「…蹴ればいいのか」

「ただ蹴るんじゃダメだぞ。ちゃんとサンドバッグにダメージを与えないとな」

「サンドバッグに、ダメージ?」

「まあ見てろ」

そう言うと、城戸はすぐさま構えをとる。
征司がサンドバックから離れると同時に、蹴りを繰り出した。

その直後、重い音がジム内に響く。
リングサイドにいた会長が、ちらりとこちらを見た。

「……」

他のジム生たちは、それまでの動きを止めてサンドバッグを蹴った城戸を見ている。
この中にいる全員が黙り込むほどの音を、城戸は文字通り「叩き出した」のだ。

「…ほらァ、ボーッとしてんなァ!」

我に返ったコーチたちの声で、ジム生や選手もまた練習に戻る。
会長は、満足げに笑顔でうなずいていた。

一方の征司はというと…

「す…」

(すごい)

言葉にならなかった。
それほど、城戸が起こした「重い音」は、征司を驚かせた。

それもただ驚かせただけではなく、興奮させ、夢中にさせるものがあった。
気がつくと彼は、城戸にこう言っていた。

「もう1回、頼む」

「ああ、いいぜ」

城戸はうなずき、今度は逆の足でサンドバッグを蹴る。
この音はさらに重く、征司の胸に響いた。

「す、すごい…」

「こんな感じで、ひたすら蹴るのさ」

「こんな感じって、オレにあんな音出せるわけないじゃないか」

「ははっ、おれと同じ音を出せなんて言ってないだろう。お前はただこれを蹴りまくって、無心になればいいんだよ」

「無心に…か」

征司はサンドバッグを見つめる。
城戸は、征司の準備ができたと感じたのか、構えを解いた。

今度は逆に征司が、城戸を真似て構えをとる。
そして、全く同じ動きでサンドバッグを蹴った。

「あれ?」

同じサンドバッグかと思えるほど、軽い音がする。
征司は首を傾げ、もう一度サンドバッグを蹴った。

「…うーん…」

だが、重い音の「お」の字さえ感じさせないほど、軽い音が漏れるばかりだった。
そのことに征司は疑問を抱く。

(おかしいな…城戸と同じ動きをしているはずなのに)

もちろん、城戸レベルの音をいきなり出せるとは思っていない。
だが彼の動きを参考にすれば、それに近い音は出せるのではないかと思っていたのだ。

しかしその結果は、自分が予想していたものとは程遠い。
そして蹴れば蹴るほど、蹴った足の甲がやたら痛くなってくる。

「…」

納得いかないのと痛いのとで、征司は無言で足の甲をさすり始めた。
そんな彼に城戸は言う。

「真田、おれは蹴り続けろって言ったんだぞ。とにかくやってみろ…その間にあいつも来るだろうしな」

「あいつ?」

「ああ。ちょうどいい機会だから、今日会わせてやろうと思って連絡しておいたんだ。さあ、それまでがんばれ!」

「が、がんばれって言われても…」

城戸の後というのもあり、小さく軽い音しか出せない自分がなんだか恥ずかしい。
しかしこのまま何もしないというのも、男としてどうかと思う。

「…よし」

さすっていた足の甲から手を離し、征司はあらためて城戸を真似た構えをとった。
そして自分なりに、思い切りサンドバッグを蹴る。

「ハッ!」

征司のキックで、サンドバッグはわずかに揺れる。
音は相変わらず城戸には及ばないが、彼は構わず蹴り続け始めた。

「ハッ! ハッ! ハッ!」

「いいぞ真田。その調子だ」

「ハッ! ハッ! ハッ!」

「よし、次は逆の足でやってみるか」

「わかった。…うお?」

「おっとと」

征司の体がよろける。
今まで蹴っていた右足を軸足にしたことで、筋肉疲労から体重を支え切れなかったようだ。

城戸は慌ててそれを受け止めた。

「わ、悪い…足が、震えて…」

「ははっ、蹴り続けるのに慣れてないんだろう。あとでアイシングしてやるから、もうちょっとがんばれ」

「わかった…よしっ」

気合いを入れてどうにか立ち上がる。
軸足にした右足は震えているが、どうにか立つことはできている。

「ハッ! ハッ! …おっと、ハッ!」

左足でのキックは、時にしっかりとサンドバッグに当たり、時によろけてキックが打てなかったりした。
だがそれでも一生懸命、征司は蹴り続ける。

蹴ることに夢中になる中で、体は悲鳴をあげる。
呼吸が苦しくもなるし、太股の筋肉も痛くなってくる。

しかしそれによって何も考えなくてもよくなってきた。
平たくいえば、体がキツすぎて考える余裕がなくなってきた。

普段あまり運動をしない征司にとっては、それは新鮮な感覚だった。

「ハッ! ハッ! ハッ!」

城戸が見ている中、ひたすらに蹴り続ける。
20分それが続いたところで、征司の体に限界がきた。

「はーっ、はあっ、はあっ」

「よーしよくやった。ここに座って…そうそう」

城戸は彼をベンチに座らせ、スポーツドリンクを持ってきてやる。
それを受け取り、飲んでいるとジムのドアが開いた。

「…?」

ジムに入ってきたのは、椎葉の制服を着た男子生徒だった。
思わず城戸を見ると、彼は小さく笑う。

「ああ。あいつが、お前に会わせたかったヤツだよ…あいつにお前を会わせたかった、ということでもあるんだがな」

「…はあ、はあ、はあ…?」

城戸の言葉にどういう意図があるのか、征司にはわからない。
荒い呼吸を続けながら、じっとその生徒を目で追っていく。

入ってきた生徒は、征司と同じクラスの生徒だった。
彼は征司の視線に気づかないまま、着替えのためにロッカールームへと消えていくのだった。


>act1+4へ続く