【本編】act1+4 謝罪、そして事件 | 魔人の記

【本編】act1+4 謝罪、そして事件

act1+4 謝罪、そして事件

「はあ、はあ…ふー…」

休憩を始めて10分以上たち、ようやく征司の息が整い始めた。
太股には、タオル越しにアイシング用の氷袋が当てられている。

「足はどうだ?」

城戸が少し心配そうに訊いてくる。
征司は「大丈夫」と言い、彼に持ってきてもらっていたスポーツドリンクを飲んだ。

その様子に城戸は微笑む。

「そうか。意外と回復するスピードは早いな…お前もまだ若いってことか」

「ははっ」

まだ若いという彼の言葉に、征司は思わず笑ってしまう。
「同い年だろ」と返すと、今度は城戸が笑った。

そのまま彼が笑っていると、誰かが近づいてくる。

「城戸くん…それに真田」

「あ」

征司は、近づいてきた人物を見て声をあげる。
その人物は、つい先ほどジムにやってきた彼のクラスメイトだった。

征司たちは彼が来たのを知っていたが、彼はそれに気づかないままロッカールームへ行っていた。
着替えを終え、城戸を探している時に城戸と征司を見つけたのだった。

「お前に会わせたかったのは、コイツだ」

城戸は、征司にそのクラスメイトを紹介する。
とはいえ、「征司のクラスメイト」なので征司が知らないわけもなかった。

そのため、紹介されるまでもなく征司がその名前を口にする。

「…会わせたかったって…田島じゃないか」

「そうだ、お前のクラスの田島さ。お前をここに呼ぶってことで連絡しておいた」

「…」

田島と呼ばれたクラスメイトは、征司から少し目を逸らしている。
彼は、少し前に相沢と一緒になって征司に嫌がらせをしていた、ふたりのうちのひとりだった。

その田島がなぜここにいるのか、しかもジャージ姿でここにいるのか。
城戸はすぐに、征司に説明した。

「相沢たちを少しばかり蹴り飛ばした後で…3日くらいかな、無理やりここに通わせたんだ」

「えっ?」

「いじめをするようなひん曲がった根性には、鬼の基礎トレがよく効くんだよ。で、3日たった後で選ばせたのさ…これからずっとここに来るか、来ないかをな」

「来るか来ないか選ばせた、って…じゃあ田島は、来るのを選んだってことか?」

「そうだ。どうやら他のふたりよりは根性があったらしい。で、それからはずっとここの練習生としてがんばってるのさ」

「へえ…!」

征司は驚いた様子で田島を見る。
だが田島は目を逸らしているので、目が合うことはなかった。

そこで征司も思い出す。
城戸がなぜ、田島と自分を会わせようとしたのか、という疑問を。

「で、それがなんでこういうことに?」

「…鈍いな真田、ここまで言えばわかるもんだろう。普通は」

「えっ?」

城戸に鈍いと言われ、征司は少しショックを受ける。
だが彼には、なぜ城戸がわざわざ自分と田島を引き合わせようとしたのかがわからない。

だから彼は、小さな声でこうつぶやくことしかできなかった。

「…わかるもんなのか、普通は」

「ああ、そういうものさ。だがお前がわからないとなれば、ここからはおれが言うべきかどうか…どうする、田島?」

「じ、自分で…言う」

城戸に尋ねられ、どこかおどおどした調子で田島はそう言った。
そして逸らしていた目を、征司にしっかりと向ける。

「…」

(前と…違う)

田島と真正面から向き合った時、征司はそう感じた。
彼の目には、真剣なものが宿っていた。

征司がそのことに気づいた直後、田島は勢いよく頭を下げてくる。
そしてこう口にした。

「真田、本当にすまなかった」

「…えっ」

「相沢たちと調子に乗って、おもしろがってあんなことをして…本当に悪かったと思ってる」

「…」

「だから、ずっと謝りたかったんだ…ごめん」

「…」

征司は、ポカンと口を開けていた。
田島の言葉に、どう答えればいいのかがわからなかった。

「…」

なので、田島の隣に立っている城戸を目だけで見る。
すると彼は征司に向かって、微笑みながらうなずいた。

だが征司が欲しかったのは、そんなうなずきではない。
彼は本気で困惑している。

(…うんうんじゃないんだよ城戸…どうしたらいいんだ、この状況…)

田島は頭を下げたままである。
どうやら征司が何か言ってやらなければ、頭を上げるつもりはないらしい。

それは、田島が本気で征司にすまないと思っている証でもある。
だが征司にしてみれば、彼が相沢たちと一緒になっていろいろやったことなどどうでもよかった。

今の今まで忘れていたようなことなのだ。
それを真剣に謝ってくる田島との温度差が、とてつもなく激しいのを感じずにはいられない。

(何て言ってやればいいんだよ、オレは…田島はこんなに真剣なのに、オレなんか今までそのこと忘れてたんだぞ。なんか、何を言っても軽い言葉になっちゃいそうで、それが申し訳ないっていうかなんというか…)

平たく言えば気まずいのだが、何も言わないわけにもいかない。
このままでは田島の頭は下がりっぱなしである。

(…とにかく、こっちも真面目にぶつかろう…)

征司はやっと意を決して、田島にこう言葉をかけた。

「えっと…田島、もう頭を上げてくれ」

「…」

「あと、オレはもう気にしてないし…だから田島も、そんなに気に病まないでいいから」

「真田…」

征司の言葉に、田島は驚いた様子で頭を上げる。
切羽詰まった口調で、こう尋ねてきた。

「許して…くれるのか?」

「許すも何も…」

言いかけて、征司の口が止まる。
ここで変に「許すも何もない」と言うよりは、こう言った方がいいのではないかと彼はふと思った。

「…うん、許す。だからもう気にしないでくれ」

「ありがとう…ありがとう、真田」

征司の言葉に、田島はもう一度頭を下げた。
よく見ると、その目にうっすらと涙が浮かんでいるのが見えた。

田島はそれからも、何度も「ありがとう」と言っては征司に頭を下げた。
そう言われる度に征司は「気にするな」と返した。

そのやりとりは、征司が彼に「オレのことはいいから自分のトレーニングをがんばってくれ」と言うまで続いた。

その言葉にも田島は感謝の言葉を口にし、何か吹っ切れた様子でロードワークへ出かけて行った。

彼の背中を見送りながら、征司はふとこんなことを考える。

(田島のヤツ…ずっと苦しかったんだろうな。あんなに嬉しそうにして…)

軽やかな足取りが、どれだけ罪の意識が重かったかを想像させる。
だがふと、こんなことが心配になった。

(相沢たちはどう思ってるんだろう?)

田島はかつて相沢と、もうひとりの友人を組んで征司に嫌がらせをしていた。
だが今は、田島がひとりだけ真面目にキックボクシングを始めている。

「仲間外れとか、逆に田島がいじめられてるとか…」

「そういうのはないらしいぞ」

「えっ?」

城戸の言葉が聞こえて、征司は思わず彼を見た。
驚いた表情で彼に言う。

「なんで、オレが考えてることがわかったんだ?」

「…気づいてないのか? お前、今…自分の口でしゃべってたんだぞ」

「えっ…」

城戸の言葉にキョトンとする征司。
そんな彼に、城戸は笑いながらこう言った。

「田島は、そういうことに関しては大丈夫だと言っていた。相沢たちとは絶縁状態になったようだが、ここの人たちとだんだんなじみ始めているらしい」

「そう…なのか」

友人だった相沢たちと絶縁状態になった、というのが引っかかるが、居場所がないわけではないらしい。
征司がまだ少し不安そうにしていると、城戸が続けてこう言った。

「あんなふうに体を動かせている間は大丈夫だ。新しい目標も見つけたようだしな」

「新しい、目標?」

「ああ。どうやら田島はプロを目指しているらしい」

「へえ…!」

「筋のほどはどうか知らないが、それに向けて一生懸命みたいだからな。お前とのこと以外は、全部投げ捨ててがんばっていると言っていたよ」

「…そうなのか…へえ…!」

征司は感心している。
田島が自分のことを気にしていることよりも、クラスメイトがプロの挌闘家を目指し始めたことに興味を覚えているようだ。

それを感じ取ったのか、城戸は苦笑しつつ征司を見ている。
だがすぐに手を叩き、彼に向かってこう言った。

「さあ、ぼちぼちシャワーを浴びて着替えてこい。このままここにいたら、ロードワークが終わった田島と鉢合わせするぞ」

「…あ、それはマズいな…!」

また謝罪しまくられるのは冗談ではないと、征司は慌てて立ち上がった。
シャワールームに向かうため、足を前に出そうとする。

だがなぜか、彼はすぐに座ってしまった。

「?」

(あれ?)

征司は不思議に思った。
彼は座ろうとは思っていなかった。

もう一度立ち上がる。
そして、慌てて立ち上がった時に落とした氷袋を取ろうとするのだが…

「う、お…」

(足が、プルプルする)

慣れないことをしたことで、太股が震えているようだ。
ただでさえ1.5倍に増えた体重を支えている筋肉が、キックを続けたことで悲鳴をあげているらしい。

「無理するな、真田。ゆっくり歩いていけ」

床に落ちている氷袋をすっと拾い、城戸がそう言った。
征司は彼に向かってうなずき、太股を何度か叩きながらシャワールームへと歩いていく。

刺激を与えつづけたおかげか、シャワールームに着く頃には震えも治まった。
征司はシャワーで軽く体を洗い、制服に着替えて城戸とともにジムを出るのだった。


「…で、それからどうなったんだよ?」

帰宅後、征司はヴァージャに城戸とのことを報告している。
彼はとんかつを口に運びながら、「あとはいろいろしゃべっただけ」と言った。

「ふーん…よかったな、帰りに田島に会わなくて」

「うん。田島には悪いけど、相沢たちのことは元からどうでもよかったからな…まあ、最終的にはあまりにヤバくなったから、『手』を使いそうにはなったけど」

「それにしても城戸のヤツ、まさか相沢たちを無理やりジムでしごき上げるなんてな。木場より体育教師らしいんじゃねーの」

「城戸が体育の先生か…それはそれで怖そうだぞ。アイツ、にこやかな顔で死ぬほどトレーニングさせそうな気がする…」

「相沢たちにやったみたいにか。ははっ、そうかもな」

ヴァージャは笑う。
その後で、征司をじっと見つめた。

その視線に征司も気づく。

「…なんだよ、じっと見て」

「いや、ちょっと安心したんだよ」

「安心?」

「お前、学校じゃ友だちいねーって言ってたからよ…なんていうか、よかったなって思ってよ」

「なんだよ急に」

「急に、じゃねーよ。言わねーだけでずっと考えてたんだっつの」

ヴァージャはぷいと横を向く。
そうしつつも、目だけは征司を見ている。

「ま、俺はよ…こんなだから最初からある程度諦めもついてんだ。だがお前は違う…俺の影響で体がでかくなるのもそうだけど、やっぱりいろいろとな…」

「いろいろって何だよ? オレ、別に今の暮らしで不便とかそういうのはないぞ。…Y.N.がらみのことは別だけど」

「ヤツについては俺だってそうだぜ。だがな、なんていうか…お前にはもうちょっと、スクールライフってのを楽しんでもらいてえわけよ」

「…あれだけおっぱいチャンスとか言ってたのに、今日はそんなこと言うんだな」

「うるせぇ。おっぱいチャンスは別だ」

「あははっ、やっぱり変だぞヴァージャ」

征司は笑う。
どこか神妙な様子のヴァージャに、彼は続けてこう言った。

「そんなこと言うなんて、らしくないじゃないか。何か心配事でもあるのか?」

「ねーよそんなもん。ただな、年長者としてはお前のことが心配なわけよ」

「年長者、って…オレとお前は同い年だろ。同じ体なんだし」

「いや、俺の方がちょっとだけ兄貴なんだよ。実はな」

「そうなのか? …いや、ウソだろそれ」

「う、ウソじゃねーよバカ。ウソじゃねーって」

「あからさまなウソはやめろよヴァージャ。ホントのこと言ってみなって」

「いや、ホントに俺が…」

「シチューライスやめるかどうか、賭けられるか?」

「うっ…」

「どうなんだよ?」

「…申し訳ございませんでした」

「ほらー、やっぱりウソじゃないか! びっくりさせるなよ、ヴァージャ」

「…チッ」

「何が『チッ』なんだか。ごちそうさまー」

征司は夕食を食べ終わり、食器をシンクへ持っていく。
水を張ったボウルの中へそれらを沈めた。

その後、大人しくなったヴァージャとともに2階へと上がる。
慣れないキックで痛くなった太股のおかげで、上がるのには少し苦労した。

「うっ…いてて」

「だらしねーなセェジ。城戸にもうちょっとしごいてもらった方がいいんじゃねーの?」

「いや、あれは無理だ…オレには無理」

「気合いが足りねーんだよ、気合いが」

「なんだよヴァージャ、さっきまで優しいこと言ってたのに」

「やかましい、さっきと今とは別なんだよ。ほらほら、さっさと上がれってんだ。うけけけ」

ヴァージャがわざと奇妙な笑い声をあげる。
それを聞いて、征司もなんだかおかしくなって笑う。

ルサグスフとの戦いが終わって、征司は少しだけ笑うことが増えた。
それを彼自身も感じている。

(何かが変わり始めているような…そんな気がする)

勘違いではないと、征司は思った。
だがそのきっかけを正視することはできない。

戦いが始まったからこそ、自分が笑うことが増えた…などとは思いたくなかった。
だから彼はこう考える。

(キックボクシングは無理だけど、オレも何か始めてみようかな。そうすれば、もっと楽しい毎日になるのかも…?)

超能力を持っているという自覚からか、どこか他人とは距離を置いていた征司。
それを変えてみてもいいのかもしれないと思い始めている。

しかし。

「…な、なんだって…?」

ルサグスフを倒してからちょうど3週間後の朝。
彼は、母親から受け取ろうとしたコップを落とす。

コップは床に落ち、その衝撃で割れる。
割れた音が、征司にはこう聞こえた。


”オマエに楽しい日なんて、もう二度と訪れないよ”


「なんで…なんでだ! なんでなんだ!」

「せ、征司? ちょっと待ちなさい、どうしたの!?」

母親が止めるのも構わず、征司はダイニングから姿を消した。
慌てて階段を駆け上がり、自分の部屋へと入る。

部屋へ戻ってすぐ、机の上を見る。
そこにはゴミ箱に捨てようとして床に落ち、捨てるのが忍びなくなった名刺が置いてある。

征司はそれを手に取って裏返した。
手書きの電話番号に、携帯電話で電話をかける。

「なんでだ…なんであんなことに!」

ひとりごとを言いながら、相手の着信を待つ。
だが相手…茜は出なかった。

代わりに留守番電話サービスの音声が聞こえてくる。

「く…くそ」

征司は切ろうとしたが、ふと何かを思いついてそれをやめた。
もう一度携帯電話を耳に当てると、ちょうど留守録開始の音が聞こえた。

「松井さん、あのニュースは本当なんですか! どうか教えてください、お願いします!」

征司はそう言った後で電話を切った。
すぐそばに浮いているヴァージャを見る。

だがすぐに下を向き、頭を抱えながらこう言った。

「…オレのせいだ」

「バカ言うんじゃねぇ、セェジ」

「オレのせいだよ! そうじゃなきゃなんだっていうんだ! そうじゃなきゃ、あんなことが起こるわけがないんだ!」

「バカ、声が大きいだろ…! 親に聞こえたらどうすんだよ」

「聞こえたって構うもんか! もう、どうしようもないんだ…どうしようも…うっ?」

ポケットの中で携帯電話が震えている。
征司はすぐにそれを取り出した。

「松井さ…い、いや、違う。メール?」

茜からの折り返しの電話かと思った征司だが、そうではなかった。
電話が受信したのはメールだった。

「…!」

メールの送信者はY.N.である。
征司の表情を見て、ヴァージャもそれを理解した。

「こんな時にY.N.からメールだと…? ヤツもあの事件を見たのか?」

「ち、違うヴァージャ。そんなことじゃない…Y.N.にとっては、あんな事件なんかどうでもいいんだ」

征司は吐き捨てるようにそう言った。
画面には、Y.N.からのメール内容が示されている。


『第2の刺客、オロエオスは椎葉香園でお前を待つ』


「第2の…!」

「刺客、だと!」

征司たちの驚きは、一様ではなかった。
ヴァージャは少し焦りながら征司に言う。

「な、なんだよ、いきなり刺客なのか!? 今まではリアライザが前に出てきてたじゃねーか。リアライザを何体か倒してからの刺客、っていうルールじゃねーのかよ!」

「いや、ヴァージャ…そんなルール、Y.N.は一度も示してきてない。このメールが来たってことは、オロエオスはもう待っているんだ…椎葉香園で」

「こんな朝からかよ…親吹っ切って、学校休んで行けってのか」

「…そうするしかない。だけど、今は…あの事件のことが気になる!」

征司がそう言った直後、部屋のドアが開かれた。
母親が心配そうな顔で近づいてくる。

「どうしたの征司! 大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ母さん…ごめん、あの事件がらみのことだって思って、少し混乱して」

「そうよね…ごめんなさい、母さんたちも気づけなくて悪かったわ。すぐにチャンネル変えてしまえばよかったんだけど」

「い、いや、母さんたちは悪くないよ。それで…あの事件は、本当のこと…なの」

「…ええ、本当みたい」

「そ、そう…」

母親の返答に、征司の顔は青ざめる。
そして彼はこう言った。

「少し気分が悪いんだ…寝かせてくれないかな」

「わ、わかったわ。何か欲しいものない?」

「いや…ただ寝たいってだけだから」

「そう…じゃあ今日はゆっくり休みなさい。学校へはお母さんが説明しとくから」

「うん、ありがとう」

「じゃあ…ね」

そう言って母親は出ていった。
彼女が出ていくとすぐに、征司は着ていた制服を脱ぎ始める。

シャツとジーンズという軽装に着替えた上で、ベッドに入った。
しばらくするとまた母親が上がってくる。

「征司…大丈夫?」

「ああ、大丈夫。仕事、気をつけてね」

「…お母さんついてなくて大丈夫?」

「大丈夫だよ。オレのせいで仕事休まれたら、逆に気にしちゃうしさ。だから仕事行ってもらった方がゆったり休めるんだよ」

「あなたは昔からそう言ってくれてたけど…本当に、いいの?」

「うん。変なウソはついてないよ」

「そう…じゃあ、行ってくるわね。何かあったらすぐに電話するのよ」

「わかった。気をつけて」

「うん。じゃあね」

母親は心配そうにしていたが、征司の言葉を尊重した。
ドアをそっと閉め、階段を静かに降りていく。

ちょうどその時、茜から折り返しの電話がかかってきた。

「!」

征司は反射的に掛け布団の中に潜り、それに出る。
聞こえてきた彼女の声は、今までになく真面目なものだった。

”もしもし、征司くん?”

「はい、真田です。松井さん、あの事件は…」

”ええ、本当よ。あたしもまさか、こんなことになるなんて思わなかったわ…”

「どうしてあんなことになったんですか! どうして!」

”それはあたしたちにはわからないことよ。本人に訊きたくても…それも無理だし”

「…なんで…なんで……!」

”……征司くん、今日は学校に来るの?”

涙ぐみそうになる征司に、茜は冷静に尋ねた。
征司は即座にこう答える。

「今日は休みます。のんびり学校になんて行けません…」

”そう。だったら時間あるわね? 事件について少し話しましょう”

「えっ?」

”キミから電話があったのを知ってすぐに、そっちに向かってるからもう着くわ。ご両親にはあたしから説明するから大丈夫よ”

「せ、説明って…それに両親も、もうすぐ仕事に行きますけど」

”だったら好都合ね。まさか、家にあげてくれないなんてことは…ないわよね? 征司くん”

「…そ、それは…」

”じゃ、またあとで”

茜は電話を切った。
掛け布団から顔を出すと、ヴァージャと目が合う。

「…セェジ、どーすんだお前…今の女が例の記者なんだろ?」

「ああ…まさか家まで知ってるとは思わなかった。これはマズい…」

「家のことなんかどうでもいいんだぜセェジ。一番マズいのは第2の刺客だ! ヤツを放っておくわけにはいかねえ!」

「くそっ、そうだ。それもある…! でも今家を出ていけば、母さんたちに見られてしまう。かといって少し待てば松井さんがやってくる…!」

「じゃあ今は待つしかねぇ。女記者を振り切っていくしかねぇぞ」

「…そうだな…松井さんを振り切るしかないか」

自分から電話しておいて、彼女を振り切るというのは心が痛む。
だが今は、そんな痛みを気にしている場合ではなかった。

(行くしかない…椎葉香園へ行くしかない! でも相手はどんなヤツなんだ? 能力も顔もわからない状態で、一体どうやって戦えっていうんだ…!)

第2の刺客・オロエオス。
放っておけば、征司の家族に危害が及ぶ。

自分が死ぬのも怖ければ、家族が死ぬなど考えられない征司に、刺客を無視することなどできようはずもない。
だが、時をほぼ同じくして知った事件のおかげで、心がまったく落ち着かなくなっている。

(まさか、あの人が自殺するなんて…ルサグスフ、いや『彼』の奥さんが自殺するなんて思わなかった! 一体オレはどうしたらいい? オレは…どうすればいいんだ!?)

事件とは、第1の刺客・ルサグスフこと福原 耕作の妻が自殺したというニュースだった。
世間的に福原は爆弾魔として知られており、彼女は犯罪者の妻というレッテルを貼られていた。

だが征司は、福原がどれだけ妻のことを大事に思っていたかを知っている。
彼女のために多額の保険金が下りる生命保険に入っただけでなく、刺客となったのも彼女に1億という大金を渡すためなのではないかと考えていた。

だが、夫の思いが込められた1億2千万円の受取人は自殺してしまった。
その衝撃は、征司を混乱させて余りあった。

(なんで…! なんでこんなことになったんだ! いや、なんでかなんてわかってる! だけど、戦わなきゃオレが…オレの家族が…!)

「セェジ、セェジ! 落ち着きやがれ、おい!」

ベッドの上で苦悩し、身もだえる征司。
ヴァージャが強い声で叱咤するが、彼の心にまでその声が入っていかない。

「うぐううううううううっ!」

叫びそうになり、征司は掛け布団の中に潜り込む。
それでも飽き足らず、さらに枕を顔に押し付けて叫んだ。

だがそれで、彼の心が晴れるわけもない。
征司は何か大きな手のようなものに、心臓をがっちりつかまれたような息苦しさを感じ続けている。

(全部…オレのせいなのか! オレが…オレが全部悪いのか…!?)

冷たく、薄暗いものが征司の心を侵食し始めていた。
それを吐き出そうと、彼は何度も何度も枕を顔に押し当てては叫び続けるのだった。


>O.R.O.E.O.S. その1へ続く