【本編】act1+2 威嚇、そしてタレコミ | 魔人の記

【本編】act1+2 威嚇、そしてタレコミ

act1+2 威嚇、そしてタレコミ

「いらっしゃ~い」

喫茶・青い鳥のドアベルが鳴る。
ここは、椎葉高校から椎葉宮前駅の間にある喫茶店だった。

いわゆる通学路の途中にあるのだが、征司は入ったことがない。
そんな場所へ、彼は無理やり連れ込まれることとなった。

「あ、あの」

「ほらほら、さっさと奥行って座る! おごってあげるからさ」

征司の腕にからみつかせていた両腕を離し、茜が背中を軽く押した。
戸惑いながらも、彼は指示通り奥の席へ向かう。

彼の様子を見ているのが楽しいのか、茜は笑顔を浮かべている。
自らも奥へ向かい、彼の向かいに座った。

「おなかすいてんじゃない? ナポリタンでも食べれば」

「え? いえ、その…」

「お母さんに怒られる?」

「いや、そういうわけじゃ」

「そう? ま、あたしはどっちでもいいから遠慮しないでね」

茜は矢継ぎ早に言った後で、テーブル上のドリンクメニューを見る。

「んーと…あ、ウィンナーコーヒーあるじゃない。今どき珍しいなあ」

「…?」

彼女の言葉に、征司はふと顔を上げる。
メニューを見ている彼女を、不思議そうな顔で見た。

「あたしこれにしよ。で、征司くんは…ん? どしたの?」

「あ、いえ…」

顔が合ってしまい、征司は慌てて下を向く。
しかし茜はすぐに、彼が自分を見ていた理由に気づいた。

「ああ、ウィンナーコーヒーってなんだよ、って思った?」

「あ、はい…」

征司は小さな声で答えた。
すると茜は突然、えへんと胸を張って解説を始める。

「ウィンナーコーヒーのウィンナーっていうのは、『ウィーン風』ってことなのよ。オーストリアのウィーン、知ってるでしょ?」

「ああ…なるほど、それでウィンナー…」

ここで征司の戸惑いが消える。
どうやら素直に感心しているようだ。

その様子に茜はさらに得意気になる。
解説を続けた。

「濃く淹れたコーヒーに、ホイップクリームを乗せたヤツがウィンナーコーヒーなの。そこらのコーヒースタンドじゃ、まずお目にかかれないわ」

「へえ…」

「カプチーノと似てるんだけど、またちょっと味わいが違うのよね。あたしはこっちの方が好き。ってことでウィンナーコーヒー1つね」

「はーい」

茜がオーダーの部分だけ少し大きな声で言うと、カウンターの向こうから返事が聞こえた。
その後で、「おにーちゃんはどうするの」という声が聞こえてくる。

「ほら、待ってるわよ」

「え、えっと…アイスコーヒーで」

喫茶店のマスターと茜に急かされる形になり、征司はなし崩し的にそう答えた。
すると茜は、目を丸くして彼に尋ねる。

「えっ、それだけ? ここはあたしがおごるし、別にいろいろ食べてくれてもいいよ?」

「いや、その…そもそもなんで、オレにそう言ってくれるのかがわかんないですから」

「さっき言ったじゃない、取材させてほしいって。お話聞かせてほしいのよ」

「話って言われても…オレは何も知りませんよ」

「あ、そう」

征司の言葉を聞いて、茜は肩をすくめてそう言った。
一度小さくため息をつき、持っていたバッグの中から煙草を取り出す。

「吸ってもいい?」

「あ、はい」

「ごめんね」

茜は一度征司に謝ってから、煙草をくわえて火をつけた。
彼に煙がいかないように、少し右下を向いて煙を吐く。

「…」

(爪、キレイだな…)

煙草を持っている茜の手を見て、征司はふとそう思った。
軽く曲げられた指先が、薄暗い喫茶店の照明をてらてらと反射している。

マニキュアは薄い色だったが、爪の輝きと合わせてそれが逆に艶っぽかった。

「…ん?」

一方、茜も征司の視線に気づく。
声をかける前に、彼がどこを見ているのか目で追った。

そしてそっとつぶやく。

「指?」

「あ」

征司はまた慌てて視線を逸らす。
ちょうどそこへ、喫茶店のマスターがコーヒーを持ってやってきた。

「はい、おまちどお。ウィンナーとアイスね」

「ありがとう」

礼を言う茜の前に、ホイップクリームがこんもり盛られたカップが置かれる。
マスターは、征司の前にアイスコーヒーのグラスを置き、そっとカウンターの向こうへ帰っていった。

「ふふっ、きたきた。これがウィンナーコーヒーよ。征司くん」

「へえ…!」

実物を初めて目にした征司は、少しテンションが上がる。
カップを上から見てもコーヒーは見えず、ホイップクリームがまるでソフトクリームのように渦を作り、コーヒーを覆い尽くしている。

「これ…このまま飲むんですか?」

「さすがのあたしもこのままだと飲めないのよね。だからちょっとだけ混ぜるの」

茜はスプーンをクリームの中に入れ、そっと混ぜる。
その後で「飲んでみる?」と征司側へカップを少しずらした。

「い、いえ…いいです」

征司は当然のように遠慮した。
茜もそうくるのがわかっていたらしく、笑顔でカップを自分側へ引き戻す。

その後でカップを持ち上げ、クリームを少し混ぜ込んだコーヒーを飲んだ。

「んー…」

しばし味わう。
鼻へ抜ける香り、舌に残る風味を楽しむ。

カップを持ったまま、10秒ほどそうしていただろうか。
茜はそっとカップを置き、静かに「おいしい」と言った。

「…」

征司は征司で、思い出したように自分のアイスコーヒーにシロップとクリームを入れる。
ストローでよく混ぜ、勢いよく吸い始めた。

(…なんか、気になるな。あれ…)

アイスコーヒーを飲みながらも、茜のカップが気になる征司。
その理由は主に、完全に混ぜ切られていないホイップクリームにある。

(全部しっかり混ぜないのかな)

「征司くん、やっぱり気になるんでしょ。飲みたいなら素直に言えばいいのに」

「ち、違いますって…」

(なんだよもう。なんですぐにバレるんだ)

見ていることをすぐさま見破られ、征司はなんだか悔しい気持ちになり始める。
そんな気持ちを吐き出すように、彼は茜にこう尋ねた。

「それ…全部混ぜないんですか?」

「クリーム?」

「はい」

「うん。あたしはね、しっかり混ぜちゃうのイヤなんだ」

「なんでまた…?」

「だって、しっかり混ぜちゃったら味が全部一緒になっちゃうじゃない」

「…それが、イヤなんですか?」

「うん。だってそれじゃ面白くないでしょ」

「面白いとかそういうことじゃない気がしますけど…」

「何事もね、白か黒かはっきりさせない方がいいのよ。マーブル模様つくってるくらいがちょうどいいの。カドが立たないから」

「…そういう…ものなんですかね…」

茜の言葉が、征司にはわからなかった。
そしてふと、こんなことを思う。

(それが大人の考え方なんだろうか。それがわからないから、オレは子どもなんだろうか…)

目の前にいる茜は、征司から見て「大人の女性」という言葉がぴったりくる。
ノースリーブから伸びる両腕は、肌がキレイなせいかとてもまぶしいし、黒ぶちの眼鏡が知性的にも見えるし、なんといっても煙草を吸っている。

(この人は、いろんなものを見てきたんだろうな…だけどオレが見てきたものにくらべたら)

征司はそんなことを考える。
だがすぐに、その考えを消した。

(いやいや、何を考えてるんだ。別にオレが見てきたものと比べる必要なんかないじゃないか。オレは何を…この人に勝とうとしてるんだ?)

それは奇妙な感覚だった。
なぜ、茜に対して「自分が上でありたい」と思ったのか、その理由がわからなかった。

そして、そんな自分をにこにこ顔で見つめる彼女の心情も、彼にはわからない。
それに気づいた時、征司はやっと彼女に見つめられていること、自分が彼女を見つめていることに気づいた。

「あ…」

「なーに征司くん? そんなに熱っぽく見られると、おねーさんドキドキしちゃうな」

「そ、そういうわけじゃ…」

「そういうわけってどういうわけ? 教えてほしいな征司くん」

「う、うう…」

茜の言葉に、征司の顔は真っ赤になる。
結局彼はまた、彼女を見ていられなくなってうつむいてしまった。

「ふふ、かわいい」

「…」

笑顔の彼女に、何も言い返せない。
征司はしばらくその状態のまま、顔を上げることができなかった。


結局、その日は質問らしい質問もされず、ほとんど茜にただからかわれるという状態になった。
1時間ほどで彼女から解放された彼は、一気に疲れが出てくるのを感じた。

それからはいつもと同じように電車に乗り、貝塚駅のトイレで体を細身にしてから制服を着替えて家に帰る。
もちろん、この時にはヴァージャが起きていた。

「…セェジ? お前…今日マラソンでもやったのか?」

「いや…」

「じゃあどうしたっつーんだよ? バカみてーに疲れてるじゃねーか」

「帰ってから話すよ…ホント疲れた」

「…?」

げっそりした表情で答える征司に、ヴァージャは首を傾げる。
そして帰宅後に征司から話を聞くと、今度はいら立った表情で征司にこう言った。

「なんでそんな女にホイホイついてったんだお前は。バカか!」

「ほいほいついてったわけじゃないって…しょうがない状況だったんだよ」

とはいえ、さすがに腕を組まれて喫茶店に連れていかれた、とは言えなかった征司。
茜の両腕の感触と、もうひとつ別の感触を思い出している。

(…結構、大きかった気がする…)

女性に両腕をからみつかせられれば、自然と胸も当たる。
茜の胸は巨大というわけではなかったが、大きすぎず小さすぎないサイズだった。

「おいセェジ、お前…何をニヤニヤしてやがんだ」

「…えっ? ニヤニヤ?」

「お前にしちゃそういう表情は珍しいぞ…エロい顔してるぞお前! なんだ! その女と何かあったのか! 言え!」

「な、何もないって! 喫茶店でからかわれただけってさっき言ったじゃないか!」

「じゃあなんでそんな『ぶっぱなした後』みてーな顔してやがるんだよ! その女と喫茶店じゃなくて、ホントはラブホに行ったんじゃねーのか!?」

「そんなわけないだろ…椎葉のあたりにそんなのないし、太いオレが誘われるわけがないじゃないか」

「だったらそのニヤニヤの説明をしろ! お前のその顔は、絶対に何か『エロいこと』があったってことだ! お前の表情筋がいつもとどれだけ違うかくらいはわかるんだぞ俺ァ!」

「何の自慢だよそれ! うーん…エロいこと、か…」

「ほらほらその顔だその顔! なんだよ言えよ! 教えろってんだよ!」

「…そ、その女の人に、さ、こう…両腕をからめられてだな…」

「うん! うん!」

「ほら、両腕がくっつくと、当たるだろ。その…」

「おっぱいか!?」

「う、うん」

「おっぱい当たったのか!?」

「で、でもそれだけだぞ。それ以上のことは、何も」

「その女、おっぱいでかかったのかよ!?」

「…巨乳ってわけじゃないけど、結構、大きめ…だったなあ」

「くーっ!」

ヴァージャはベッドに倒れ込む。
それだけでは飽き足らず、ベッドを突き抜けてその下に倒れる。

ベッドの下で、倒れたままで手足をばたばたと動かしながら嘆く。

「おっぱい! おっぱいおっぱいおっぱいおー!! くそー! うらやましいじゃねーかコンチクショー!」

「お、おいヴァージャ…」

「なんでその時起こさなかった!」

ヴァージャは、バタついていた状態から瞬時に征司のそばへ戻る。
怒りが収まらないのか、彼の頭を殴りつける。

「いて」

「いてーよな! 俺からお前へ感覚伝わるよな!? なのになんでお前から俺におっぱいを伝えてこなかったんだよ!」

「お、落ち着けよヴァージャ…お前はそういうことできるけど、オレからお前に『感覚を伝える』とかできないんだって。お前もわかってるだろ」

「あーわかってるよ! 長年この生活やってんだ、わかってるよくそったれェ! でも悔しいんだよ俺ァ! おっぱいチャンスを逃したのが、この上なく悔しいんだよォォォォ!!」

「…おっぱいチャンスって…」

(まあ、気持ちはわからなくもないけど…)

ヴァージャの暴れっぷりを眺めながら、征司は困惑した表情を浮かべた。
それからもしばらくは、ヴァージャの怒りが収まることはなかった。

まともに話ができるようになったのは、夕食とシャワーを終わらせた後だった。
征司が部屋へ戻ってくると、ヴァージャは机に備え付けの椅子に座っていた。

「…」

その色は、白い。
真っ白になっている。

(怒り続けて燃え尽きたか…)

哀れな同居人に、征司はそっと手を合わせた。
するとそのタイミングに合わせて、真っ白なヴァージャは崩れ落ちる。

崩れ落ちた下から色のついたヴァージャが現れた。
それはさなぎから成虫への脱皮を思わせる。

「…落ち着いたか」

「ああ…怒り狂っても、もうどうしようもねえからな…」

ヴァージャはそう言って、大きくため息をつく。
その後からは、もう茜とのことでうらやましいとは言わなくなった。

その代わり、別の話題を積極的にするようになる。

「…取材、っつったな? その女」

「ああ」

真に重要なのはそこだった。
茜が征司に近づいてきたのは、取材のためである。

「何の取材かってのは…もちろん、ルサグスフがらみのことだよな。もちろん、あの女がルサグスフって名前を知ってるわけはねーだろうが」

「ああ…『博潮で起きた事件』ってことしか知らないだろうな。大方、博潮で先に取材しててオレのことを知ったから、今度はオレにターゲットを変えてきたってことなんだろう」

「病院や家にいる間は、警察がシャットアウトしてくれてたが…これからはそうもいかねーってことか。まあ、何も知らねえってことで通せばさっさとあきらめそうだがな」

「うん…」

「どうしたセェジ、なんか引っかかるのか?」

「引っかかるというか、今こうして話してて…なんか違和感があるなって思って」

「違和感?」

ヴァージャはそう言って首を傾げる。
もう一度自分と征司が言ったことを思い出してみるが、彼にはその違和感はわからない。

「俺にはよくわかんねーが…なんか感じるってんなら、それは大事にした方がいいかもしれねーな」

「オレもそんな気がする。だけど気にしすぎてもアレだから、そこは気をつけるけど」

「おっ、いい傾向だな。お前は妙なところで気にしすぎるからな」

「それを反省して言ってるんだよ。まあ、とにかく…」

征司は財布から茜の名刺を取り出す。
表を見ると、彼女の勤務している出版社の連絡先が印刷されている。

それを裏返すと、彼女自身の電話番号とメールアドレスが手書きで記されていた。
おまけに、自身を模したと思われるキャラクターのイラストが添えられている。

そこには


「おねーさんが恋しくなったら連絡してね」


と書かれていた。
征司はそれを見て苦笑する。

「あんまり、関わり合いにはならない方がいいよな…オレらにとっても、この人にとっても」

「まあな。妙なことになれば、一番困るのは俺らだからな」

「そうだよな…やっぱり」

征司はそう言って、茜の名刺をひょいと投げた。
それはくるくると勢いよく回りながら飛び、ゴミ箱のふちに当たって床に落ちた。


茜は翌日の放課後も征司を待っていた。
ただしこの日、彼を待っているのは彼女だけではなかった。

「おや? 週刊ディアマンテの女狐が、こんなところに何の用で?」

「あらあら、何人もの罪なき人々を自殺に追い込んできた、大手の女性ナインさんじゃないの。一体何しにこんなところへ?」

茜に嫌味を言っているのは、別の雑誌の女性記者だった。
裏門のそばで、何やら言い争いをしている。

「博潮にいないと思ったら、まさかこっちに来ているとはね…変な嗅覚だけは鋭いみたいで」

「その言葉、そっくりそちらにお返しいたしますわ。あたしの動向を調べて、後からスクープをかっさらおうとするなんて、記者の風上にも置けませんわね」

「なんですって!」

「なによ! やるっての!?」

「…」

裏門が取り付けられている壁の向こうから、そんなやり取りが聞こえてくる。
征司はそっと反対方向を向き、正門へ向かって歩き始めた。

ちょうどそこへ、昇降口から出てきた城戸がやってくる。
久しぶりに会ったせいか、彼は少し嬉しそうに征司にこう言った。

「おっ…真田じゃないか」

「!!」

その声が、裏門向こうの記者たちに聞こえた。
征司は慌てて黙るように言おうとするが、もう遅い。

「征司くーん、こんにちは。昨日ぶりぃ」

「真田くん、初めまして。お姉さんとちょっとお話しませんか?」

黒ぶち眼鏡をかけたカジュアルな格好の茜と、それとは対照的にスーツで身を固めた女性記者とが、裏門からひょいと顔をのぞかせる。
それを見た征司は、がっくりと頭を垂れた。

「見つかった…恨むぞ城戸…」

「す、すまん…」

まさかこんなことになるとは思わず、きょとんとしつつも城戸は征司に謝った。
しかしそれで征司が解放されるわけもない。

「ほら征司くん、あたしとお話しましょ」

征司の体が茜に引き寄せられる。
かと思うと、今度は別の女性記者に引っ張られた。

「私よ私! ね? あんなアバズレより私みたいにキチッとしてる方がいいわよねー」

その言葉に茜がぶち切れる。

「誰がアバズレですって!? 股間に蜘蛛の巣張ってるような女がっ!」

「だ、誰が蜘蛛の巣なんか! 張ってないわよ! あんたは言うことがいちいち下品なのよ!」

「あ、あの、迷惑になりますから…」

ヒートアップする女たちの前に、征司の声はかき消される。
まずは茜がフルパワーで仕掛けた。

「大手だからって、どんなやり方でも許されると思ったら大間違いよ! 大体なんなのよそのスーツ! ちょっと紫がかったのがおしゃれとか思ってんでしょ! クソダサいったらないわ!」

「キーッ! 言わせておけばこのっ!」

「何よ! どこ卒か知らないけど舐めんじゃないわよ!」

「ちょ、ちょっとおふたりともやめてください…ホントにやめてください」

つかみ合いになる茜たちを、征司はどうにか止める。
この時ほど、太い体が役立ったこともないだろう。

茜と別の女性記者は、せっかくセットしたであろう髪を乱し、息も乱しながらにらみ合っている。
そんなふたりに、征司はこう言うしかなかった。

「…とにかく、喫茶店に行きましょう」

「わかったわ…」

「真田くんがそう言うなら、しょうがないわね…」

そして3人は、昨日行った喫茶店・青い鳥へ向かう。
同じく昨日座った奥の席に、今度は3人で座った。

「…」

「……」

「………」

「…ご注文は…?」

張り詰める雰囲気に、マスターも恐るおそる尋ねる。
するとそれぞれ自分のドリンクを注文した。

「昨日と同じ。ウィンナーで」

「オレはアイスコーヒーで…」

「ミルクティーください」

「はい、じゃあちょっと待っててくださいねぇ…」

マスターはそう言いながらカウンターへ向かおうとする。
歩き出す直前に、彼は征司にそっとこう言った。

「やるじゃないか、にーちゃん」

「あ、あはは…」

何をやるのか、もしくはやったのか。
全く的外れな言葉に、征司はもう笑うしかなかった。

その後、注文のドリンクが来るが、3人の間に会話はなかった。
女たちは征司を取材するために来たはずだが、基本的に彼を見ていなかった。

互いをにらみ付けては、視線で威嚇し合う。
まさに一触即発の様相を呈していた。

「…」

黙り込み、たまに誰かが何かを飲み…
不毛に時間が過ぎる。

そして1時間が経った。
もはや征司も精神的に限界だった。

「あ、あの…すいません、オレもう帰らないと…」

「…」

「……」

その言葉とともに、女たちは立ち上がった。
静かに出口へ向かうのを見ながら、征司は少しホッとする。

だが、その時だった。

「征司くんの分はあたしが払うんだってば」

「私が払うの」

「あたしが払うの!」

「私よ!」

「…あちゃー…」

レジ前でまたしても始まる闘い。
結局、征司の分を割り勘にするということで、この闘いは終息した。

だが不満は大いにあるようで…

「あーあ、おかげで何も取材できなかったわ」

「こっちもよ。一体誰のせいでしょうね?」

「さあ?」

「この…っ」

店の前でにらみ合う両者。
征司はそんなふたりをどうにか引き離す。

その後で彼はこう言った。

「おふたりとも、すいませんが…オレに期待されても、オレは何も知らないんです」

「…」

「……」

「ですから、こうして取材にこられても成果というか…おもしろい話っていうのはありません。わざわざ来ていただいたのに、申し訳ないんですが」

「…そう…」

別の女性記者が、残念そうにため息をついた。

「週刊ディアマンテがキミを張ってるっていうから、何かおもしろいネタでも見つけたのかと思ってたけど…そうでもなかったみたいね」

「あったとしても、後からやってきたあんたなんかに、征司くんは何も話さないわよ」

「なんですって」

女性記者は、茜の言葉にまた怒りを露にする。
だが、その怒りがなぜかすぐに消えた。

「まあいいわ…未成年者を相手にするのはハイリスク・ローリターンだし、私は降りる」

「へーん! だったらさっさと帰りなさいよ、ほらほら」

「うるさいわね…言われなくても帰るわよ。じゃあね」

不満そうに言って、スーツ姿の女性記者は去って行った。
その後姿を、茜は勝ち誇った様子で見つめている。

「よっし…! よっしよっし! 勝ったわ! あの女性ナインに押し勝ったわよ…!」

「じゃあオレ、もう帰りますね。さようなら」

「ちょ! ちょちょちょ、ちょっと待って征司くん!」

帰ろうとする征司を、茜は慌てて止める。
両肩をつかみ、自分の方を向かせた。

「ねえ征司くん、あなた…あたしがいきなりキミのところに来たこと、不思議に思わないの?」

「…え?」

いきなり言葉に、征司は不思議そうな顔をする。
茜は得意気な顔でこう続けた。

「あのね、ここだけの話なんだけど…実は編集部に匿名でタレコミがあったのよ」

「はあ」

「その電話をとったのがたまたまあたしでね、『博潮の事件は椎葉の真田 征司が関わっている』って言ってたの」

「…!」

(名指し?)

「最初はイタズラかなって思ったんだけど、調べてみると博潮の事件当日から2週間も続けて休んでる生徒ってキミしかいないのよね。それであたし、これはイタズラじゃないなって思ったの」

「……」

征司は、茜の目をじっと見る。
彼女の目には、何か確信めいたものがあった。

そしてそれ以上に、何か猛獣の爪のようなものを感じる。
貪欲に何かを手に入れようとするオーラのようなものを、彼女から感じている。

「あたしたちも博潮に取材に行ったけど、週刊誌風情がって言われる程度の雑誌だから、詳しいことは何もわからない…だけど、誰もが門前払いをされる中、あたしたちのところにだけタレコミがあった」

「…」

「それも、フルネームで、よ? イタズラかどうかの最終確認を昨日させてもらったけど、あのタレコミはキミのイタズラじゃない…そうなると、当たりってことで間違いないのよ」

「ちょ、ちょっと待ってください、間違いないって断言されても」

「キミはきっと何か知ってる…あたしの中の何かがそう言ってる。今日は帰るけど、それを知るまであたし、キミを追いつづけるわ」

「…」

「そうそう、何かあったらいつでも連絡してね。深夜でもすぐに駆けつけるし」

「は、はあ…」

「じゃね」

茜はそう言って去って行った。
あとには征司だけが残される。

「…」

(そうか…昨日の違和感はこれだったんだ)

茜の口から語られた言葉。
それにより、征司の中にある違和感の正体が明らかとなる。

(ルサグスフを倒してから2週間、オレもヴァージャもずいぶんのんびり過ごした。誰もオレたちに何かを訊いてくることはなかった。多分、警察がシャットアウトしてくれてたからだろう)

しかし、学校に行き始めるとすぐさま茜が現れた。
彼女が言うには、編集部にタレコミがあったのだという。

(博潮の生徒たちに取材したって、オレの名前なんか誰も知らない。なのにあの人がオレの名前を知ってることがそもそもおかしいんだ。最初に気づくべきだった…オレはこのことを違和感として感じてたんだろう)

しかし、そのことで危機感を感じることはなかった。

(ルサグスフを倒した後、オレは意識をなくしたけど…その間のことはヴァージャが見てた。あの現場でオレの名前を知ってるのはルサグスフだけだったし、彼はオレの名前を言うことはなかった…)

ヴァージャが見せた「ルサグスフ撃破後の映像」の中に、征司の持ち物から身元を調べるといったシーンはなかった。
つまり、征司の名前を知っている者はあの現場にはいない。

知っているのは警察を動かしているY.N.だけなのだ。
茜の出版社にタレコミの電話をしたのは、Y.N.側の誰かだということになる。

(もし、あの現場にいたルサグスフ以外の誰かがオレの名前を知ってたら、体が太くなることとかそういう秘密もバレてたかもしれないけど、Y.N.側なら逆に安心だ…変な感覚だけど、安心できる)

征司たちとY.N.側は、戦いの秘密を共有する関係にある。
一般人に知られて大騒ぎになるより、どれだけいいか計り知れない。

だが同時に、なぜわざわざタレコミをしたのかという謎もある。
しかしその謎は、征司にはすぐに解けた。

(戦いは終わってない…次の段階に入ったってことだ)

何かが動いている。
Y.N.側によって動かされている。

茜の登場とタレコミの情報は、征司にそれを強く感じさせるに充分だった。

(どういう敵が出てくるのか、今から用心しておかないといけない。それに、あの人をできるだけ巻き込まないようにしなくては…!)

帰っていった茜が歩いた道を、じっと見つめる。
征司は両手をぐっと握り締め、来るべき戦いへ向けて気合いを入れ直すのだった。


>act1+3へ続く