【本編】L.S.A.G.S.F. その6
L.S.A.G.S.F. その6
「で…」
その日の放課後。
征司はもう帰宅していた。
さらに言えば、彼は台所にあるガスコンロの前にいる。
お玉で鍋の中をゆっくりとかき混ぜているところだった。
「その城戸に助けてもらったお前が、なんで口のあたりケガしてんだよ?」
征司のそばをふわふわと浮きながらヴァージャが尋ねる。
どうやら城戸に助けられたことについて、報告を受けているらしい。
彼の問いに、征司はふふっと笑った。
「あのあと、カバンを取りに行ったんだけどさ…」
「ああ」
「宮野の血なんか、どこにもついてなかったんだよ」
「なに?」
「変だろ? 相沢がオレのカバンを窓から捨てて、それが宮野に当たったんなら、どっかに血がついてなきゃおかしいんだ。城戸のシャツには『宮野の血』がついてたんだから」
「…だよな。カバンについた血を、わざわざ城戸がシャツで拭いたりもしねーだろうし…」
つまりそれは、あの時城戸が嘘をついていたということになる。
ではなぜ城戸は、そんな嘘をついて征司のクラスに乗り込んできたのか?
「大嫌いなウソをついてまで、オレを助けてくれたのは…どうやらオレに興味があるみたいなんだよな」
「興味?」
「ああ。放課後に屋上で会った時、こう言われたんだ…『おれは他人の隠し事に興味はないが、それが強さに関係することなら話は別だ』ってね」
「隠し事…つまり、ヤツはお前の秘密を知りたがってるってことか?」
「うん。どうやらオレから感じる『血の臭い』にとても興味があるみたいだった。だから誰も邪魔が入らないように、放課後に屋上で会いたかったんだと」
「で…どうなったんだよ?」
「わかるだろ? ケガしてるのはオレなんだからさ」
そう言って、征司はまた小さく笑う。
コンロの火を止め、棚から皿を取り出した。
ヴァージャは征司がお玉でシチューをよそうのを見ている。
見ながら、見とれている場合ではなかったと征司にこう言った。
「…お前、何もしなかったのか?」
「するわけないだろ。『手』なんか動かしてみろ…相沢のいじめじゃなくて、今度は城戸につきまとわれることになる」
「そりゃそうだが…」
「城戸は『本気を出せ!』ってばかりにいきなりキックしてきたけど、オレがまともに食らっちゃったもんだからそこで止めたんだ。オレが自分から見せるつもりがないのに気付いたんだろうな」
征司はそう言いながら、シチューを入れた皿をテーブルに置く。
次に炊飯器へと向かい、茶碗にご飯をよそった。
そしてそれもテーブルに置く。
が、スプーンを取ってくるのを忘れて、また棚へ向かった。
ヴァージャはテーブルから離れないまま、征司にこう言った。
「自分から見せるつもりがないのに気付いた、ってお前…『やっぱりお前には何もないんだな』とは思わなかったのかよ、城戸のヤツ」
「そうは言わなかったな。でもなんか、あいつはそれでもいいみたいだった。なんか笑ってたよ」
「…幼なじみ思いで、熱血を秘めた野郎だと思ってたが、実はちょっと違うのか? よくわかんねーヤツだな…」
「ははっ、オレもさ。だけどなんか仲良くなったよ。初めてじゃないかな、メアド交換した友だちってのは」
「え! お前、城戸と友だちになったのか!」
「友だちっていうのか、向こうにしてみればライバルっていうのか…なんかよくわかんないけどアドレス教えてもらったからさ。オレも教えたよ」
「へぇ…そりゃびっくりだ」
「な? それじゃ、いただきまーす」
スプーンを持ってテーブルに戻った征司は、シチューとライスを食べ始めた。
ヴァージャは向かいの椅子に座り、そんな彼を眺める。
「なあ、セェジ」
「混ぜないぞ」
「…まだなんも言ってねーだろ」
「シチューライスは昨日やったろ? 今日は混ぜない」
「腹ん中入っちまえば同じじゃねーか…って、そうじゃねーよ」
ヴァージャはあきれ顔で首を振る。
彼には、城戸の行動についてまだ知りたいことがあった。
「さっき言ってたろ、城戸が乗りこんできた時、宮野の血がついたシャツを着てたって…でも宮野はケガなんかしてなかったんだろ?」
「ああ…もぐもぐ」
「じゃあその血は誰の血だったんだよ?」
「むぐ、ごくん…どっかの痴漢の血だ、って言ってたな」
「チカンだァ?」
「ああ。電車でその現場を見ちゃって、ボッコボコにしたらしい。それでテンション上がったのもあって、相沢たちもボコボコにしなきゃ治まらなかったんだと」
「なんだ、おい…いいヤツってよりか、ただの戦闘狂のような気がしてきたぞ」
「いいんじゃないか? 痴漢だって血まみれにされれば、もうそんなことしようとは思わないだろうし」
「まあな…」
「それにヴァージャのお望み通り、相沢たちも黙るだろうしさ。それに関してはオレも安心だよ」
そう言って、征司はまたシチューを食べる。
ポケットから携帯電話を取り出して、それを開いた。
別に誰かからメールが来たわけではない。
ただ征司は、アドレス帳に「城戸」の名前があるのを見てニヤニヤしていた。
そんな彼を見て、ヴァージャは正直な感想を述べる。
「セェジ…お前、気持ち悪ィな」
「うん、オレもそう思う」
そしてふたりは笑った。
それは和やかな笑いだった。
ちなみに相沢たちはその日の昼休み、宮野へ謝りに保健室に行ったのだが、宮野は具合が悪かったらしくそもそも学校に来ていなかった。
そこで城戸の嘘に気付いたのだが、3人そろっていても文句を言いに行くことはできなかった。
文句を言いにいけないどころか、城戸の嘘がどういう意味を持つのかに気付いた彼らは、もう征司に妙なちょっかいをかけようとは思わなくなった。
事なかれ主義の教師たちも、城戸が暴れたことに関して何も言わなかった。
こうして、少しばかり慌しくなっていた征司の日常は、再び静かになる。
そしてそれに合わせるように、2日後…
「ヴァージャ、来たぞ…Y.N.からのメールだ」
「やっとか。ここんとこいろいろあったから、すっげぇ久々って感じがするな」
Y.N.からメールが来たということは、ルサグスフのヒントを持つリアライザに関する連絡である。
ふたりは鮮明な画面を、敢えて目を凝らして見つめた。
内容は、また短くなっている。
『今から8時間後。JR椎葉駅・線路内。2体のうちの1体』
「今から8時間後…といやァ…」
時計を見るヴァージャ。
現在時刻は夜8時である。
「朝4時、か」
「確かにその時間なら、線路の中で戦っても誰にも見つからなさそうだな」
「…いや、セェジ。ちょっとパソコンで調べろ」
「えっ? 何をだよ」
「時刻表だ。早くしろ」
「あ、ああ…」
ヴァージャに言われ、征司はしぶしぶパソコンでJR椎葉駅の時刻表を検索する。
その結果を見て表情が変わった。
「ヴァージャ、これ…!」
「ああ、予想はしてたが…始発が5時前じゃねーか。ってことは、朝4時には駅に誰かがいてもおかしくねぇ」
「じゃあ、線路内で戦ってたりしたら…見つかるかもしれないのか」
「その可能性はある。だがそれについて何も言ってきてねぇってことは、2通りの意味があるってことだ。真逆の意味がな」
それは見つかっても心配するな、という意味と、
見つかって大騒ぎになってもこちらは関知しない、という2つの意味である。
当然、ふたりは後者の意味を警戒した。
「…今までみたいにのんびりとはできない、ってことか」
「のんびりやってるつもりもなかっただろうが、まあそんなところだな…やれるか? セェジ」
「やるしかない。ここで勝たなきゃ、ルサグスフに勝つも何もないからな」
「よし、その意気だ」
そしてふたりは終電に合わせて家を出る。
貝塚駅から私鉄で椎葉宮前まで向かい、そこで降りた。
「…本当なら、もう一駅乗って『西鉄椎葉(駅)』まで行った方が近いんだけど…」
「あっちは娯楽施設てんこもりだからな。補導されやすいってか」
「てんこもりってほどじゃないけど、まあ…こっちよりは多いからな」
無人となった改札を抜けて、駅前に出る。
ただしこの駅の場合、駅前というほど立派なスペースはない。
すぐ近くが遮断機であり、ロータリーと呼べるものもなかった。
それらはJR椎葉駅か、私鉄で言えば次の駅である西鉄椎葉駅にある。
ここは椎葉宮へ行くための駅であり、かといって大きな仲見世があるわけでもない、静かな場所だった。
「…『1人目』以来だな、ここ」
「ああ…だが今回は場所が違う。間違えんなよ、セェジ」
「わかってる」
ヴァージャの言う「間違えるな」という意味。
そこに深いものがあるのを征司も感じている。
ただ「道を間違えて椎葉宮に行くなよ」という意味だけではない。
自分たちはあの時とは違うという意気込み、そして必ず勝利するという決意があった。
「…まずは学校に向かうか」
「それがいいな。ここは静かだっつってもカラオケなんかがないわけじゃねぇ。補導するヤツがうろついててもおかしくねぇからな」
「ああ。それに今の時間なら、椎葉宮より学校の方が静かなはずだ」
静かな場所とはいえ、駅前はまだ明るかった。
ヴァージャの言うようにカラオケ店もあれば、飲み屋もあった。
しかしそこから学校へ近づくにつれ、派手な光はどんどんなくなっていく。
学校そばの川へ差し掛かった時には、もう薄暗い街灯しか光は存在しなくなっていた。
「…なかなか…雰囲気あるな」
「怖いのか? ヴァージャ」
「バカ言うんじゃねぇ。俺が何を怖がるってんだ」
「怖がってないんなら別にいいけど…」
そんな言葉を交わしつつ、川からそれていつもの登校ルートへ向かう。
そして分かれ道へとやってきた。
真っ直ぐ行けばJR椎葉駅への歩道橋へ行ける。
右へ曲がれば、椎葉高校の裏門へ行くことができる。
「どっちに行くつもりだ? セェジ」
「今は学校へ行こう。駅にはまだ近づかない方がいいような気がする」
「ああ、そうだろうぜ。今ごろが一番、補導される危険が高いだろうからな」
前までは、補導されても征司とヴァージャの体質がバレることはなく、リアライザとの戦いも誰にも説明できないことから、特に気にしなかった。
だが今はそうはいかない。
補導されればそれはすぐに、ルサグスフへ到達するヒントを1つ失うことになる。
それも2つしかないうちの1つである。
ルサグスフを見つけなければY.N.側に殺される征司たちとしては、絶対に手に入れなければならないヒントだった。
そのため、彼らはJR椎葉駅には向かわず、いつもの登校ルートで椎葉高校へ向かう。
裏門までやってくると、当然そこは閉められていた。
「よっ」
征司は迷うことなくそこを登る。
施錠されているが、それ以上の仕掛けはないので、彼はすぐに侵入できた。
「慣れたもんだな、セェジ」
「茶化してる場合じゃないぞ。早く隠れないと…」
裏門は幅4メートル、高さ2.5メートルと大きなものではない。
ただしすぐ近くに空きスペースと、それに覆い被さるように2階部分が出っ張っているため、音がとても響きやすくなっている。
すぐ近くの空きスペースは昇降口に続いているのだが、当然そこは鍵が閉められている。
征司たちは校舎を外伝いに移動していくしかない。
(…ダメだ、これじゃ走れない)
素早く裏門から移動する必要があったが、音の響き方が征司の予想以上だった。
どこかから数人分の足音が響いてくるのを聞きながら、彼は左側へ歩いて校舎の裏側へ向かう。
昇降口に直結した地面には、赤を基調としたタイルが敷かれている。
そこを走るととても大きく音が響く。
ただしタイルはどこまでも続いているわけではなく、校舎の側面にまでは敷かれていなかった。
だがそこに足を踏み入れれば、足跡を残す危険がある。
「…」
しかし征司は迷わずそこへ足を踏み入れた。
途中で小さな石を「第3の手」に拾わせる。
そして彼が校舎の柱の裏まで回った時、警備員らしき男たちが裏門へ到着した。
「なんだ、今の音は?」
「明らかに門が揺れてたな」
「誰か入り込んどるかもしれん…お前は部室側を調べろ! おれは校舎側を調べる!」
「わかった」
警備員は二手に別れ、侵入者を探し始める。
この時、征司は「第3の手」を思い切り伸ばしていた。
その距離は30メートルほど。
伸ばせる距離が増えたようである。
そしてその「手」に持たせた石を、自分が曲がったのとは逆方向…グラウンド側へと投げる。
するとその前に設置されている自販機に当たり、味気ない音を立てた。
「ん!」
当然、警備員はふたりともそれに反応する。
校舎側へ来るはずだった警備員も、音がした方へ向かった。
「……」
「…」
自販機のそばで、警備員たちは何か話している。
その会話の内容は聞き取れなかったが…
「…おっ、どうやらあきらめてくれたみてーだな」
ヴァージャがそう言ったように、警備員たちは自販機から離れた。
何か納得できる理由でも見つけたのか、もう警戒している様子はない。
「どうする、セェジ。このままここで待つか?」
「…」
ヴァージャの問いに、征司はまず足下を見る。
しばらく雨が降っていなかったおかげで、地面は乾いている。
彼はその後で携帯電話を取り出し、メモ帳機能を呼び出して短く文を書いた。
「裏まで行ってみる」という文章ができた。
「ああ、わかった」
それを見たヴァージャはうなずき、返事する。
そして征司はまた静かに移動し、柱の裏から校舎そのものの裏側へ向かった。
(こういう時、テレパシーとかで話せたらラクなんだけどな…)
土の上をゆっくりと歩きながら、征司はそんなことを考える。
ヴァージャは征司にとって精神的な存在ではないため、心で思うだけでは意志を通じ合わせることができない。
それはもう、とうの昔からわかっていたことだが、こういう状況になると今さらながら不便さを感じてしまう。
だが、テレパシーで通じ合えないからこそ気楽でもあるというのは、征司にもわかっていた。
(ま、ホント今さらな話だけどな…)
そんなことを考えながら彼は足を止める。
校舎の裏へと到着したのだ。
といっても、裏門から入って昇降口の手前を左へ曲がり、そのまま真っ直ぐ行って右に入った、というだけの話だった。
途中でタイルは終わっていたため、さらに征司も静かに歩いたため、警備員たちを再度呼ぶということはなかった。
この場所は裏門側からも直接見えないし、他の校舎からも死角になっている。
塀があるおかげで学校の外からも見られることはない。
征司はまた携帯電話を取り出し、「とりあえずここで待つ」と文章を打った。
それをヴァージャに見せると、彼も満足げにうなずく。
「ああ、ここなら大丈夫だろ。なかなかいい場所じゃねーか」
そんな彼の言葉に「どーも」と返し、彼は電話をしまった。
おあつらえ向きに石のブロックが置かれていたので、それを校舎に寄せて座る。
すると、少し離れた木の下に赤い缶があるのが見えた。
直径30センチほどのその中には、煙草の吸殻が入っている。
(こんなところで吸ってるのか…スモーカーっていうのも大変なんだな)
征司の脳裏に、煙草臭いと女性教師たちに嫌われるヘビースモーカーたちの図が浮かぶ。
少し気の毒に思ったのか、小さく苦笑した。
この時が午前1時。
それから2時間半ほど、ひたすらじっと彼らは待った。
「…セェジ、セェジ」
「う…」
眠りかかっている征司を、ヴァージャが声をかけて起こす。
征司もすぐに現状を把握し、慌てて電話を見た。
「3時半…過ぎ、か」
「お前が声出していいのかどうかは知らねーが、ぼちぼちここを出た方がよさげな時間だな」
「あ…」
思わず声を出してしまったことに気づかされ、慌てて右手で口を塞ぐ。
だが、変に声が響くことも警備員がやってくることもなかった。
それから征司は足音を立てないように校舎の裏から出て、爪先立ちでタイルも歩く。
裏門の近くまで来ると、それにそっと手をかけて一気に登った。
(速く、速く…!)
体が細いため、登るのも速い。
できるだけ音を立てないように、しかし素早く裏門を乗り越えた。
(よし、すぐに離れる!)
警備員たちの足音は聞こえなかったが、用心した征司はすぐさまダッシュでその場を離れた。
ルート的にはいつもの下校ルートと同じだが、分かれ道で彼は右に曲がる。
JR椎葉駅へ向かうには、そちらへ曲がる必要があったからだ。
曲がってしばらく行くと、線路をまたぐ歩道橋が見えてきた。
歩道橋の先は駅ビルの入り口になっており、当然ながら今は閉まっている。
それに征司はそこまで行くつもりもなかった。
(ここから入るか)
歩道橋の裏側へと回り、線路への侵入を阻む金網を上がる。
階段の裏側にある金網なので、他のものより若干高さが低いのだ。
汚れで手が真っ黒になるのも気にせず、征司は線路へと降り立つ。
しかし今の状態では駅から丸見えなので、姿勢を低くしながらホームが作り出す影へと向かう。
(こっち見るな見るな見るな…)
呪文のように心で何度となくつぶやく。
そのおかげか、誰もやってくることなく征司は影の中へ身を隠すことができた。
とはいってもホームが作り出した影に隠れているだけなので、そのホームに誰かが来ればすぐに見つかってしまう。
手早くリアライザを倒し、すぐにこの場を離れる必要があった。
(まだか…あと何分だ?)
携帯電話を取り出し、時間を見る。
3時44分と出ていた。
(あと16分か…!)
「おいセェジ、お前ひとりでどうにかしようとすんな」
焦る征司にヴァージャが声をかけてくる。
そちらを見ると、彼はこう続けた。
「お前の目だけで見てんじゃねぇ、ってことさ…『手』を伸ばせ。そっちは俺が見てやる」
(わかった)
征司は心で答え、首を縦に振ってうなずいた
そして「第3の手」をできるだけ長く伸ばす。
「んー…まだ大丈夫だな。今んとこ、駅員はこっちに来る気配がねぇ」
「第3の手」は遠くまで伸びているが、ヴァージャの報告はすぐ近くでなされる。
これは取り立てて大きなことではないが、実はとても助かる能力だった。
ヴァージャの姿は誰にも見えないし、その声も征司以外には聞こえない。
電話などの通信機器をわざわざ使う必要もないし、身ひとつで遠近両方の状況を探ることができる。
そのヴァージャは、報告だけでなくこんなことも征司に言ってきた。
「それによ、セェジ…多分もう、心配しなくてもいいと思うぜ」
(何が?)
その思いを込めて、少し厳しい目でヴァージャを見る征司。
彼の視線を受け止めつつ、ヴァージャはこう続けた。
「考えてみりゃY.N.側だってよ、リアライザが他の人間にバレるのはマズいはずだ。だからある程度はここの警備を緩めるために何かやってるはずなんだよ」
「…」
「まあ確かに? それはバレるかバレねーかギリギリ程度のことかもしれねーが、少なくともここまで来た俺らが、リアライザに会えもしねぇってことはねぇと思うぜ」
(…そうだな…そう言われてみればそうかもしれない)
征司の視線から、少し険しさが取れた。
それを感じたヴァージャはニヤッと笑ってみせる。
「おし、ちょっと肩の力抜けたな? そんくらいでいい…緊張しすぎは体に毒だぜ。でもって」
ヴァージャの手が、征司から見て右方向を指差す。
彼もすぐにそちらを見た。
「…!」
まだ遠いが、人影が見える。
そちらへ「第3の手」を伸ばしていくと…
「…お客さんだぜ、セェジ」
(ああ…それも、なんか今までとは違って強そうだ…)
征司たちはこれまで3回、リアライザと戦ってきた。
そのどれもが人間の体に獣の体のパーツがくっつけられた異形たちだったが、今回はそれに輪をかけた見た目になっている。
線路の向こうから悠然と歩いてくるのは、スーツ姿の男だった。
だがそれは首から下までの話だった。
本来、首から上は人間の頭部があるはずなのだが、このリアライザにはない。
代わりにあるのは…
「虎だな、セェジ」
「ああ、虎だ」
「でも孤児院出身のヒーローじゃねーし、プロレスラーでもねぇぜ、ありゃ」
「わかってる…! あいつを絶対に倒して、ルサグスフを見つけるヒントを必ず手に入れてやる!」
決意を込めた征司の声が、未明の空気に解ける。
それと同時に、ヴァージャに視覚を貸したままの「第3の手」が虎のリアライザへ襲いかかった!
「…!」
だが、虎のリアライザは軽い身のこなしで征司の攻撃を避ける。
そして変わらず悠然と、彼に向かって歩いてきていた。
もはや間違いなく征司の居場所を特定している。
「あんな頭つけてるだけあるなァ、大した動体視力だ」
「感心してる場合じゃないぞ、ヴァージャ。早いところ『境界線』を掴んで終わらせるんだ!」
「焦るなセェジ。あんな広いとこで狙ったって避けられるだけだぜ」
「それはお前に視覚を貸してるからだ! 返してもらうぞ!」
「おい…!」
この直後、ヴァージャには「第3の手」からの映像が見えなくなった。
そして征司は自らの視覚で、そのリアライザをはっきりと見る。
虎の頭にスーツを着た人間。
その姿は異形そのものではあったが、どこか騎士然としたものも感じられる。
だが今の征司には、そんなことはどうでもよかった。
「第3の手」を力一杯伸ばし、「人と獣の境界線」…今回は首元を掴もうとする。
「このっ!」
長く伸びた「第3の手」を、虎のリアライザは軽やかなステップでかわす。
まるでダンスを踊るようなその動きは、見えていなければできない動きだった。
「セェジ、気付かねーのか! ヤツには『手』が見えてんだぜ、俺らにしか見えねーはずの『手』が見えてる! もっと警戒すべきだ!」
「そんなことわかってる! だけど早くしなきゃならないんだ、早く倒さなきゃオレたちが見つかってしまう! そんなわけにはいかない…!」
「くっ…!」
征司は聞く耳を持たず、虎のリアライザへ「第3の手」による攻撃を放ち続けている。
一方、敵は攻撃をかわしながらも征司へと近づいてきている。
「今回はただ反撃するってんじゃねぇ…自分から戦いに来る、それもパワータイプのリアライザってことか。だったらセェジの戦い方は間違っちゃいねぇ」
だからこそヴァージャも、征司にあれ以上強く言えずにいる。
だが、いくら遠距離攻撃ができるといっても、避けられ続けていては話にならないのだ。
「セェジの野郎、焦っちまって攻撃が一本調子になってやがる。あと、ヤツが広い場所にいるせいで簡単に避けられちまうんだ…なんとか狭い場所に誘い込まなきゃならねーってのに」
線路上に電車の一両もあれば、まだ作戦を考えられたかもしれない。
だが今は全く車両がない。
つまりそれは、誘い込むべき「狭い場所」がないということになる。
「どうする…! ヤツがセェジのそばに来る前に、どうにかして『避けられない方法』を見つけなきゃならねぇ! かといってヤツの攻撃まで待つってのも、ちょっとやめておきてぇ部分がある…」
確かに攻撃の瞬間なら避けることはできないだろうが、果たしてその時、リアライザの動きを征司が上回れるかどうか。
もしそれができなければ、征司は致命傷を負いかねない。
そもそもこちらは、向こうがどういう攻撃をするのかさえ知らないのだ。
「あんな頭してんだぜ…そんな無茶な賭けはできねぇ! どうにかしてそれよりもっと前にいい方法を見つけるんだ!」
虎の頭を持ち、近接戦闘を得意とするリアライザ。
そんなものを征司に近づけるわけにはいかない。
もうやり直しはないのである。
このリアライザに負けることは、そのまま死を意味するのだ。
「そうだ、俺が…俺が見つけるしかねぇ!」
敵の動きを封じるための何か。
ヴァージャは自らの感覚をフル稼働させ、それを探し始めるのだった。
>L.S.A.G.S.F. その7へ続く
「で…」
その日の放課後。
征司はもう帰宅していた。
さらに言えば、彼は台所にあるガスコンロの前にいる。
お玉で鍋の中をゆっくりとかき混ぜているところだった。
「その城戸に助けてもらったお前が、なんで口のあたりケガしてんだよ?」
征司のそばをふわふわと浮きながらヴァージャが尋ねる。
どうやら城戸に助けられたことについて、報告を受けているらしい。
彼の問いに、征司はふふっと笑った。
「あのあと、カバンを取りに行ったんだけどさ…」
「ああ」
「宮野の血なんか、どこにもついてなかったんだよ」
「なに?」
「変だろ? 相沢がオレのカバンを窓から捨てて、それが宮野に当たったんなら、どっかに血がついてなきゃおかしいんだ。城戸のシャツには『宮野の血』がついてたんだから」
「…だよな。カバンについた血を、わざわざ城戸がシャツで拭いたりもしねーだろうし…」
つまりそれは、あの時城戸が嘘をついていたということになる。
ではなぜ城戸は、そんな嘘をついて征司のクラスに乗り込んできたのか?
「大嫌いなウソをついてまで、オレを助けてくれたのは…どうやらオレに興味があるみたいなんだよな」
「興味?」
「ああ。放課後に屋上で会った時、こう言われたんだ…『おれは他人の隠し事に興味はないが、それが強さに関係することなら話は別だ』ってね」
「隠し事…つまり、ヤツはお前の秘密を知りたがってるってことか?」
「うん。どうやらオレから感じる『血の臭い』にとても興味があるみたいだった。だから誰も邪魔が入らないように、放課後に屋上で会いたかったんだと」
「で…どうなったんだよ?」
「わかるだろ? ケガしてるのはオレなんだからさ」
そう言って、征司はまた小さく笑う。
コンロの火を止め、棚から皿を取り出した。
ヴァージャは征司がお玉でシチューをよそうのを見ている。
見ながら、見とれている場合ではなかったと征司にこう言った。
「…お前、何もしなかったのか?」
「するわけないだろ。『手』なんか動かしてみろ…相沢のいじめじゃなくて、今度は城戸につきまとわれることになる」
「そりゃそうだが…」
「城戸は『本気を出せ!』ってばかりにいきなりキックしてきたけど、オレがまともに食らっちゃったもんだからそこで止めたんだ。オレが自分から見せるつもりがないのに気付いたんだろうな」
征司はそう言いながら、シチューを入れた皿をテーブルに置く。
次に炊飯器へと向かい、茶碗にご飯をよそった。
そしてそれもテーブルに置く。
が、スプーンを取ってくるのを忘れて、また棚へ向かった。
ヴァージャはテーブルから離れないまま、征司にこう言った。
「自分から見せるつもりがないのに気付いた、ってお前…『やっぱりお前には何もないんだな』とは思わなかったのかよ、城戸のヤツ」
「そうは言わなかったな。でもなんか、あいつはそれでもいいみたいだった。なんか笑ってたよ」
「…幼なじみ思いで、熱血を秘めた野郎だと思ってたが、実はちょっと違うのか? よくわかんねーヤツだな…」
「ははっ、オレもさ。だけどなんか仲良くなったよ。初めてじゃないかな、メアド交換した友だちってのは」
「え! お前、城戸と友だちになったのか!」
「友だちっていうのか、向こうにしてみればライバルっていうのか…なんかよくわかんないけどアドレス教えてもらったからさ。オレも教えたよ」
「へぇ…そりゃびっくりだ」
「な? それじゃ、いただきまーす」
スプーンを持ってテーブルに戻った征司は、シチューとライスを食べ始めた。
ヴァージャは向かいの椅子に座り、そんな彼を眺める。
「なあ、セェジ」
「混ぜないぞ」
「…まだなんも言ってねーだろ」
「シチューライスは昨日やったろ? 今日は混ぜない」
「腹ん中入っちまえば同じじゃねーか…って、そうじゃねーよ」
ヴァージャはあきれ顔で首を振る。
彼には、城戸の行動についてまだ知りたいことがあった。
「さっき言ってたろ、城戸が乗りこんできた時、宮野の血がついたシャツを着てたって…でも宮野はケガなんかしてなかったんだろ?」
「ああ…もぐもぐ」
「じゃあその血は誰の血だったんだよ?」
「むぐ、ごくん…どっかの痴漢の血だ、って言ってたな」
「チカンだァ?」
「ああ。電車でその現場を見ちゃって、ボッコボコにしたらしい。それでテンション上がったのもあって、相沢たちもボコボコにしなきゃ治まらなかったんだと」
「なんだ、おい…いいヤツってよりか、ただの戦闘狂のような気がしてきたぞ」
「いいんじゃないか? 痴漢だって血まみれにされれば、もうそんなことしようとは思わないだろうし」
「まあな…」
「それにヴァージャのお望み通り、相沢たちも黙るだろうしさ。それに関してはオレも安心だよ」
そう言って、征司はまたシチューを食べる。
ポケットから携帯電話を取り出して、それを開いた。
別に誰かからメールが来たわけではない。
ただ征司は、アドレス帳に「城戸」の名前があるのを見てニヤニヤしていた。
そんな彼を見て、ヴァージャは正直な感想を述べる。
「セェジ…お前、気持ち悪ィな」
「うん、オレもそう思う」
そしてふたりは笑った。
それは和やかな笑いだった。
ちなみに相沢たちはその日の昼休み、宮野へ謝りに保健室に行ったのだが、宮野は具合が悪かったらしくそもそも学校に来ていなかった。
そこで城戸の嘘に気付いたのだが、3人そろっていても文句を言いに行くことはできなかった。
文句を言いにいけないどころか、城戸の嘘がどういう意味を持つのかに気付いた彼らは、もう征司に妙なちょっかいをかけようとは思わなくなった。
事なかれ主義の教師たちも、城戸が暴れたことに関して何も言わなかった。
こうして、少しばかり慌しくなっていた征司の日常は、再び静かになる。
そしてそれに合わせるように、2日後…
「ヴァージャ、来たぞ…Y.N.からのメールだ」
「やっとか。ここんとこいろいろあったから、すっげぇ久々って感じがするな」
Y.N.からメールが来たということは、ルサグスフのヒントを持つリアライザに関する連絡である。
ふたりは鮮明な画面を、敢えて目を凝らして見つめた。
内容は、また短くなっている。
『今から8時間後。JR椎葉駅・線路内。2体のうちの1体』
「今から8時間後…といやァ…」
時計を見るヴァージャ。
現在時刻は夜8時である。
「朝4時、か」
「確かにその時間なら、線路の中で戦っても誰にも見つからなさそうだな」
「…いや、セェジ。ちょっとパソコンで調べろ」
「えっ? 何をだよ」
「時刻表だ。早くしろ」
「あ、ああ…」
ヴァージャに言われ、征司はしぶしぶパソコンでJR椎葉駅の時刻表を検索する。
その結果を見て表情が変わった。
「ヴァージャ、これ…!」
「ああ、予想はしてたが…始発が5時前じゃねーか。ってことは、朝4時には駅に誰かがいてもおかしくねぇ」
「じゃあ、線路内で戦ってたりしたら…見つかるかもしれないのか」
「その可能性はある。だがそれについて何も言ってきてねぇってことは、2通りの意味があるってことだ。真逆の意味がな」
それは見つかっても心配するな、という意味と、
見つかって大騒ぎになってもこちらは関知しない、という2つの意味である。
当然、ふたりは後者の意味を警戒した。
「…今までみたいにのんびりとはできない、ってことか」
「のんびりやってるつもりもなかっただろうが、まあそんなところだな…やれるか? セェジ」
「やるしかない。ここで勝たなきゃ、ルサグスフに勝つも何もないからな」
「よし、その意気だ」
そしてふたりは終電に合わせて家を出る。
貝塚駅から私鉄で椎葉宮前まで向かい、そこで降りた。
「…本当なら、もう一駅乗って『西鉄椎葉(駅)』まで行った方が近いんだけど…」
「あっちは娯楽施設てんこもりだからな。補導されやすいってか」
「てんこもりってほどじゃないけど、まあ…こっちよりは多いからな」
無人となった改札を抜けて、駅前に出る。
ただしこの駅の場合、駅前というほど立派なスペースはない。
すぐ近くが遮断機であり、ロータリーと呼べるものもなかった。
それらはJR椎葉駅か、私鉄で言えば次の駅である西鉄椎葉駅にある。
ここは椎葉宮へ行くための駅であり、かといって大きな仲見世があるわけでもない、静かな場所だった。
「…『1人目』以来だな、ここ」
「ああ…だが今回は場所が違う。間違えんなよ、セェジ」
「わかってる」
ヴァージャの言う「間違えるな」という意味。
そこに深いものがあるのを征司も感じている。
ただ「道を間違えて椎葉宮に行くなよ」という意味だけではない。
自分たちはあの時とは違うという意気込み、そして必ず勝利するという決意があった。
「…まずは学校に向かうか」
「それがいいな。ここは静かだっつってもカラオケなんかがないわけじゃねぇ。補導するヤツがうろついててもおかしくねぇからな」
「ああ。それに今の時間なら、椎葉宮より学校の方が静かなはずだ」
静かな場所とはいえ、駅前はまだ明るかった。
ヴァージャの言うようにカラオケ店もあれば、飲み屋もあった。
しかしそこから学校へ近づくにつれ、派手な光はどんどんなくなっていく。
学校そばの川へ差し掛かった時には、もう薄暗い街灯しか光は存在しなくなっていた。
「…なかなか…雰囲気あるな」
「怖いのか? ヴァージャ」
「バカ言うんじゃねぇ。俺が何を怖がるってんだ」
「怖がってないんなら別にいいけど…」
そんな言葉を交わしつつ、川からそれていつもの登校ルートへ向かう。
そして分かれ道へとやってきた。
真っ直ぐ行けばJR椎葉駅への歩道橋へ行ける。
右へ曲がれば、椎葉高校の裏門へ行くことができる。
「どっちに行くつもりだ? セェジ」
「今は学校へ行こう。駅にはまだ近づかない方がいいような気がする」
「ああ、そうだろうぜ。今ごろが一番、補導される危険が高いだろうからな」
前までは、補導されても征司とヴァージャの体質がバレることはなく、リアライザとの戦いも誰にも説明できないことから、特に気にしなかった。
だが今はそうはいかない。
補導されればそれはすぐに、ルサグスフへ到達するヒントを1つ失うことになる。
それも2つしかないうちの1つである。
ルサグスフを見つけなければY.N.側に殺される征司たちとしては、絶対に手に入れなければならないヒントだった。
そのため、彼らはJR椎葉駅には向かわず、いつもの登校ルートで椎葉高校へ向かう。
裏門までやってくると、当然そこは閉められていた。
「よっ」
征司は迷うことなくそこを登る。
施錠されているが、それ以上の仕掛けはないので、彼はすぐに侵入できた。
「慣れたもんだな、セェジ」
「茶化してる場合じゃないぞ。早く隠れないと…」
裏門は幅4メートル、高さ2.5メートルと大きなものではない。
ただしすぐ近くに空きスペースと、それに覆い被さるように2階部分が出っ張っているため、音がとても響きやすくなっている。
すぐ近くの空きスペースは昇降口に続いているのだが、当然そこは鍵が閉められている。
征司たちは校舎を外伝いに移動していくしかない。
(…ダメだ、これじゃ走れない)
素早く裏門から移動する必要があったが、音の響き方が征司の予想以上だった。
どこかから数人分の足音が響いてくるのを聞きながら、彼は左側へ歩いて校舎の裏側へ向かう。
昇降口に直結した地面には、赤を基調としたタイルが敷かれている。
そこを走るととても大きく音が響く。
ただしタイルはどこまでも続いているわけではなく、校舎の側面にまでは敷かれていなかった。
だがそこに足を踏み入れれば、足跡を残す危険がある。
「…」
しかし征司は迷わずそこへ足を踏み入れた。
途中で小さな石を「第3の手」に拾わせる。
そして彼が校舎の柱の裏まで回った時、警備員らしき男たちが裏門へ到着した。
「なんだ、今の音は?」
「明らかに門が揺れてたな」
「誰か入り込んどるかもしれん…お前は部室側を調べろ! おれは校舎側を調べる!」
「わかった」
警備員は二手に別れ、侵入者を探し始める。
この時、征司は「第3の手」を思い切り伸ばしていた。
その距離は30メートルほど。
伸ばせる距離が増えたようである。
そしてその「手」に持たせた石を、自分が曲がったのとは逆方向…グラウンド側へと投げる。
するとその前に設置されている自販機に当たり、味気ない音を立てた。
「ん!」
当然、警備員はふたりともそれに反応する。
校舎側へ来るはずだった警備員も、音がした方へ向かった。
「……」
「…」
自販機のそばで、警備員たちは何か話している。
その会話の内容は聞き取れなかったが…
「…おっ、どうやらあきらめてくれたみてーだな」
ヴァージャがそう言ったように、警備員たちは自販機から離れた。
何か納得できる理由でも見つけたのか、もう警戒している様子はない。
「どうする、セェジ。このままここで待つか?」
「…」
ヴァージャの問いに、征司はまず足下を見る。
しばらく雨が降っていなかったおかげで、地面は乾いている。
彼はその後で携帯電話を取り出し、メモ帳機能を呼び出して短く文を書いた。
「裏まで行ってみる」という文章ができた。
「ああ、わかった」
それを見たヴァージャはうなずき、返事する。
そして征司はまた静かに移動し、柱の裏から校舎そのものの裏側へ向かった。
(こういう時、テレパシーとかで話せたらラクなんだけどな…)
土の上をゆっくりと歩きながら、征司はそんなことを考える。
ヴァージャは征司にとって精神的な存在ではないため、心で思うだけでは意志を通じ合わせることができない。
それはもう、とうの昔からわかっていたことだが、こういう状況になると今さらながら不便さを感じてしまう。
だが、テレパシーで通じ合えないからこそ気楽でもあるというのは、征司にもわかっていた。
(ま、ホント今さらな話だけどな…)
そんなことを考えながら彼は足を止める。
校舎の裏へと到着したのだ。
といっても、裏門から入って昇降口の手前を左へ曲がり、そのまま真っ直ぐ行って右に入った、というだけの話だった。
途中でタイルは終わっていたため、さらに征司も静かに歩いたため、警備員たちを再度呼ぶということはなかった。
この場所は裏門側からも直接見えないし、他の校舎からも死角になっている。
塀があるおかげで学校の外からも見られることはない。
征司はまた携帯電話を取り出し、「とりあえずここで待つ」と文章を打った。
それをヴァージャに見せると、彼も満足げにうなずく。
「ああ、ここなら大丈夫だろ。なかなかいい場所じゃねーか」
そんな彼の言葉に「どーも」と返し、彼は電話をしまった。
おあつらえ向きに石のブロックが置かれていたので、それを校舎に寄せて座る。
すると、少し離れた木の下に赤い缶があるのが見えた。
直径30センチほどのその中には、煙草の吸殻が入っている。
(こんなところで吸ってるのか…スモーカーっていうのも大変なんだな)
征司の脳裏に、煙草臭いと女性教師たちに嫌われるヘビースモーカーたちの図が浮かぶ。
少し気の毒に思ったのか、小さく苦笑した。
この時が午前1時。
それから2時間半ほど、ひたすらじっと彼らは待った。
「…セェジ、セェジ」
「う…」
眠りかかっている征司を、ヴァージャが声をかけて起こす。
征司もすぐに現状を把握し、慌てて電話を見た。
「3時半…過ぎ、か」
「お前が声出していいのかどうかは知らねーが、ぼちぼちここを出た方がよさげな時間だな」
「あ…」
思わず声を出してしまったことに気づかされ、慌てて右手で口を塞ぐ。
だが、変に声が響くことも警備員がやってくることもなかった。
それから征司は足音を立てないように校舎の裏から出て、爪先立ちでタイルも歩く。
裏門の近くまで来ると、それにそっと手をかけて一気に登った。
(速く、速く…!)
体が細いため、登るのも速い。
できるだけ音を立てないように、しかし素早く裏門を乗り越えた。
(よし、すぐに離れる!)
警備員たちの足音は聞こえなかったが、用心した征司はすぐさまダッシュでその場を離れた。
ルート的にはいつもの下校ルートと同じだが、分かれ道で彼は右に曲がる。
JR椎葉駅へ向かうには、そちらへ曲がる必要があったからだ。
曲がってしばらく行くと、線路をまたぐ歩道橋が見えてきた。
歩道橋の先は駅ビルの入り口になっており、当然ながら今は閉まっている。
それに征司はそこまで行くつもりもなかった。
(ここから入るか)
歩道橋の裏側へと回り、線路への侵入を阻む金網を上がる。
階段の裏側にある金網なので、他のものより若干高さが低いのだ。
汚れで手が真っ黒になるのも気にせず、征司は線路へと降り立つ。
しかし今の状態では駅から丸見えなので、姿勢を低くしながらホームが作り出す影へと向かう。
(こっち見るな見るな見るな…)
呪文のように心で何度となくつぶやく。
そのおかげか、誰もやってくることなく征司は影の中へ身を隠すことができた。
とはいってもホームが作り出した影に隠れているだけなので、そのホームに誰かが来ればすぐに見つかってしまう。
手早くリアライザを倒し、すぐにこの場を離れる必要があった。
(まだか…あと何分だ?)
携帯電話を取り出し、時間を見る。
3時44分と出ていた。
(あと16分か…!)
「おいセェジ、お前ひとりでどうにかしようとすんな」
焦る征司にヴァージャが声をかけてくる。
そちらを見ると、彼はこう続けた。
「お前の目だけで見てんじゃねぇ、ってことさ…『手』を伸ばせ。そっちは俺が見てやる」
(わかった)
征司は心で答え、首を縦に振ってうなずいた
そして「第3の手」をできるだけ長く伸ばす。
「んー…まだ大丈夫だな。今んとこ、駅員はこっちに来る気配がねぇ」
「第3の手」は遠くまで伸びているが、ヴァージャの報告はすぐ近くでなされる。
これは取り立てて大きなことではないが、実はとても助かる能力だった。
ヴァージャの姿は誰にも見えないし、その声も征司以外には聞こえない。
電話などの通信機器をわざわざ使う必要もないし、身ひとつで遠近両方の状況を探ることができる。
そのヴァージャは、報告だけでなくこんなことも征司に言ってきた。
「それによ、セェジ…多分もう、心配しなくてもいいと思うぜ」
(何が?)
その思いを込めて、少し厳しい目でヴァージャを見る征司。
彼の視線を受け止めつつ、ヴァージャはこう続けた。
「考えてみりゃY.N.側だってよ、リアライザが他の人間にバレるのはマズいはずだ。だからある程度はここの警備を緩めるために何かやってるはずなんだよ」
「…」
「まあ確かに? それはバレるかバレねーかギリギリ程度のことかもしれねーが、少なくともここまで来た俺らが、リアライザに会えもしねぇってことはねぇと思うぜ」
(…そうだな…そう言われてみればそうかもしれない)
征司の視線から、少し険しさが取れた。
それを感じたヴァージャはニヤッと笑ってみせる。
「おし、ちょっと肩の力抜けたな? そんくらいでいい…緊張しすぎは体に毒だぜ。でもって」
ヴァージャの手が、征司から見て右方向を指差す。
彼もすぐにそちらを見た。
「…!」
まだ遠いが、人影が見える。
そちらへ「第3の手」を伸ばしていくと…
「…お客さんだぜ、セェジ」
(ああ…それも、なんか今までとは違って強そうだ…)
征司たちはこれまで3回、リアライザと戦ってきた。
そのどれもが人間の体に獣の体のパーツがくっつけられた異形たちだったが、今回はそれに輪をかけた見た目になっている。
線路の向こうから悠然と歩いてくるのは、スーツ姿の男だった。
だがそれは首から下までの話だった。
本来、首から上は人間の頭部があるはずなのだが、このリアライザにはない。
代わりにあるのは…
「虎だな、セェジ」
「ああ、虎だ」
「でも孤児院出身のヒーローじゃねーし、プロレスラーでもねぇぜ、ありゃ」
「わかってる…! あいつを絶対に倒して、ルサグスフを見つけるヒントを必ず手に入れてやる!」
決意を込めた征司の声が、未明の空気に解ける。
それと同時に、ヴァージャに視覚を貸したままの「第3の手」が虎のリアライザへ襲いかかった!
「…!」
だが、虎のリアライザは軽い身のこなしで征司の攻撃を避ける。
そして変わらず悠然と、彼に向かって歩いてきていた。
もはや間違いなく征司の居場所を特定している。
「あんな頭つけてるだけあるなァ、大した動体視力だ」
「感心してる場合じゃないぞ、ヴァージャ。早いところ『境界線』を掴んで終わらせるんだ!」
「焦るなセェジ。あんな広いとこで狙ったって避けられるだけだぜ」
「それはお前に視覚を貸してるからだ! 返してもらうぞ!」
「おい…!」
この直後、ヴァージャには「第3の手」からの映像が見えなくなった。
そして征司は自らの視覚で、そのリアライザをはっきりと見る。
虎の頭にスーツを着た人間。
その姿は異形そのものではあったが、どこか騎士然としたものも感じられる。
だが今の征司には、そんなことはどうでもよかった。
「第3の手」を力一杯伸ばし、「人と獣の境界線」…今回は首元を掴もうとする。
「このっ!」
長く伸びた「第3の手」を、虎のリアライザは軽やかなステップでかわす。
まるでダンスを踊るようなその動きは、見えていなければできない動きだった。
「セェジ、気付かねーのか! ヤツには『手』が見えてんだぜ、俺らにしか見えねーはずの『手』が見えてる! もっと警戒すべきだ!」
「そんなことわかってる! だけど早くしなきゃならないんだ、早く倒さなきゃオレたちが見つかってしまう! そんなわけにはいかない…!」
「くっ…!」
征司は聞く耳を持たず、虎のリアライザへ「第3の手」による攻撃を放ち続けている。
一方、敵は攻撃をかわしながらも征司へと近づいてきている。
「今回はただ反撃するってんじゃねぇ…自分から戦いに来る、それもパワータイプのリアライザってことか。だったらセェジの戦い方は間違っちゃいねぇ」
だからこそヴァージャも、征司にあれ以上強く言えずにいる。
だが、いくら遠距離攻撃ができるといっても、避けられ続けていては話にならないのだ。
「セェジの野郎、焦っちまって攻撃が一本調子になってやがる。あと、ヤツが広い場所にいるせいで簡単に避けられちまうんだ…なんとか狭い場所に誘い込まなきゃならねーってのに」
線路上に電車の一両もあれば、まだ作戦を考えられたかもしれない。
だが今は全く車両がない。
つまりそれは、誘い込むべき「狭い場所」がないということになる。
「どうする…! ヤツがセェジのそばに来る前に、どうにかして『避けられない方法』を見つけなきゃならねぇ! かといってヤツの攻撃まで待つってのも、ちょっとやめておきてぇ部分がある…」
確かに攻撃の瞬間なら避けることはできないだろうが、果たしてその時、リアライザの動きを征司が上回れるかどうか。
もしそれができなければ、征司は致命傷を負いかねない。
そもそもこちらは、向こうがどういう攻撃をするのかさえ知らないのだ。
「あんな頭してんだぜ…そんな無茶な賭けはできねぇ! どうにかしてそれよりもっと前にいい方法を見つけるんだ!」
虎の頭を持ち、近接戦闘を得意とするリアライザ。
そんなものを征司に近づけるわけにはいかない。
もうやり直しはないのである。
このリアライザに負けることは、そのまま死を意味するのだ。
「そうだ、俺が…俺が見つけるしかねぇ!」
敵の動きを封じるための何か。
ヴァージャは自らの感覚をフル稼働させ、それを探し始めるのだった。
>L.S.A.G.S.F. その7へ続く