昨日実家を出る前に、
父親が私に言いました。
「じゃ、頑張って」
頑張って・・・・・・・・・
つい使ってしまう言葉なのですが、
この言葉を聞くとき、
もしくは自分が言うときも、
いつも何かひっかかりを感じます。
意地悪い私は、父に聞きました。
「頑張れって、何を?」
わかっているのです。
頑張れって言葉は必ずしも、
言葉そのものの意味を伝えたいときに用いられるばかりではなくて、
「応援している」という気持ちを表わしてくれているものなのだと。
(おとん、言いたいことはわかってるからね、ごめんよ)
がんば・る 【頑張る】
(動ラ五[四])
〔「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。「頑張る」は当て字〕
(1)あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。
「―・って店を持とう」「負けるな、―・れ」
(2)自分の意見を強く押し通す。我を張る。
「ただ一人反対意見を述べて―・る」
(3)ある場所を占めて、動こうとしない。
「入口には守衛が―・っている」
誰かを励ましたいとき、
締めの言葉としてよく
「頑張ってね」と言いたくなってしまうのですが、
事と次第によっては、
「頑張って」という言葉が逆にプレッシャーになることもある。
大人になれば特に、
力を入れることだけでなく抜くことも同じ位、
励ましになるのだから・・。
背中を押すのも、頭を撫でるのも、
同じ位大切なこと。
もちろん、これからやるぞ!という気持ちになっている人には、
心置きなく「頑張って!」と声を掛けてあげることができます。
だけど、
励ますつもりで言った言葉が
かえって相手のプレッシャーを強くしてしまうこともあります。
言葉って、難しい。
少しの言葉で人を
心の底から勇気づけられるなんて、
こんな未熟者にはまだまだな話なのでしょうが。
でも、少しでも自分が相手を想う気持ちを、
言葉という目に見えるもので表わすことができたなら。
今だって、良い文句は思い浮かびません。
だけど、もしかしたら
自分が語学力や表現力を磨きたいと思うのは、
ここぞというときに大切な誰かを
「本当に」励ましてあげられるような言葉を
言いたいから、
なのかもしれません。
最終的には気持ちが伝われば
どんな言葉だっていいのかもしれませんけど・・・。
・・・・・・修行ですな。