弊ブログにようこそ。


ぼくがブログを始めた動機は冒険をやってみようという一篇に集約されています。「冒険をやってみよう」が当ブログの核であり、他の記事は核に対する周辺部分にすぎず、極論すれば、読まれなくてもぜんぜんかまいません。その意味でタダの駄文にすぎない。だから、他の記事は読まれなくてもプロフィール欄にある「冒険をやってみよう」だけはぜひご覧になっていただければと思っております。

そこでの主張を要約すれば、まさに光陰矢のごとし。ポール・フレッスの、主観的時間経過は年齢の3乗に反比例して進行するから、人生とは、加速をつけて猛スピードで地上という死に向かっている隕石にたとえられよう。あるいはジャネの法則(注1)でもいいだろう。人生とはことほどさように短い。その短い限られた人生をいかに生きるべきか。おカネのための人生なのか。

衣食が足りて礼節を知るというではないか。衣食が足りればそれ以上のことは望まないことだ。では何をやるべきか。

サミエル・ウルマンの有名な詩「青春」の一節を、あえて引用しておきましょう。

「青春とは人生のある時期のことでなく、心のありようをいう。強い意志、豊かな想像力、燃えあがる情熱、ひるまない勇気、あくなき冒険心、そういうありようが青春なのだ。年を重ねただけで人は老いない。夢を失ったとき、初めて老いる。歳月は皮膚のシワを増すが、情熱を失ったとき、精神はしなびる」


(注1)「ジャネの法則」ウイキペディアより
ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。

  • 24 May
    • ツイートとかフェイスブックとかの拡散力はすごそう

      別サイトで記事を公開しました。こちらです。元記事ですが、書いた本人でも理解不能な箇所があって、これはまずかった。これを読んだ人はもっとわからなかったと思います。わかりやすくしました。 それにしても、別サイトの本日のアクセス数がすごい。どなたか複数の方がフェイスブックとツイートで1か月ほど前に公開した記事をとりあげてくれたため、ふだんの倍以上のアクセス数だ。本日かぎりの現象だとおもうけれど、ツイートくらいはやったほうがいいのかも。

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  • 23 May
    • 受傷機転でどうにもひっかかるのだけれど

      受傷機転でどうもひっかかる判決があった。推測を交えたものなので、話半分というくらいでごらんになっていただきたい。こちらです。 お前の推測のほうがおかしいという意見もあるかもしれないので、もしそうでしたら、ご意見ください。

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  • 22 May
    • 評価損の記事を移動させました

      こちらにあった評価損の記事を移動しました。紛争処理センターの裁定例を加えましたが、あといくつか加えるつもりです。たくさん加筆したわけでもありませんが、興味があればどうぞ。こちら。

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  • 21 May
  • 19 May
    • 後遺障害の記事を公開した

      本日、後遺障害の記事を公開しました。こちら。ふだんよりも毒舌かもしれませんが、そこは辛抱されてください。すいません。

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    • ヘイトスピーチの法規制にはやはり反対だ

      ヘイトスピーチの法規制について、以前、在日の方と議論をしたことがある。その方は司法修習生だったか司法試験の受験生だったが、ぼくは法で規制するのは疑問だみたいなことを述べた。「みたいな」とは、はっきり疑問だとしたのではなくて、現実に被害にあわれている在日の方だったので、遠慮してアイマイな疑問のしかたをしたからだ。しかし、彼女はそれでも納得せず、在日韓国・朝鮮人は今命の危険にさらされている。法に副作用があるとしても、それは将来あるかもしれないということだ。現にある危険と将来あるかもしれない危険とを天秤にかけるのはおかしいといわれてしまった。 そこまで言われるとぼくはますます強くいえなくなった。それであなたの言いたいことはぼくも理解できると述べたのだが、それ以降、読者登録を一方的に解除されてしまった。なんだか、厳しい対応だなあとぼくは残念に思ってしまった。 そういうやりとりがあったけれど、やはり法規制には反対だ。ヘイトスピーチ規正法はまるで毒饅頭だからだ。表面のあんこがおいしそうにみえるし、実際においしいのだろうが、それでガブリとやると、いずれ、あんこの下に隠されていた遅延性の毒が全身を覆い尽くすことになる。そういうものだと、ぼくは思う。迂遠かもしれないけれど、言論には言論で対抗するという原則を破ったらいけないと思う。   

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  • 18 May
    • 書き方が間違っていたので訂正しました。

      本日書いた記事の中で、意見書による妨害行為などないとうけとられる表現があったので、訂正しました。相手損保としては妨害行為などという作為的な意思はないという意味で書いたのですが、いずれにしろ、その旨のご指摘をうけたため読み返してみたら、やはりご指摘のとおりでした。すいません。訂正しました。

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    • 認知症による交通事故について

      本日、別サイトにもうひとつ記事を公開しました。若干の加筆を行っただけです。3年前の記事なので、もし古いところがあったら、本日中に最新情報を新たに付け加えるつもりです。認知症と交通事故。

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    • 被害者請求する際に注意すべきこと

      新しい記事を書きました。被害者請求する場合の添付書面についてです。こちらです。

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  • 17 May
    • 路側帯の計測方法、どこからどこまで?

      路側帯は、どこからどこまでなのか。路端から白線の中心までか、それとも白線の内端まで、あるいは外端まで? 資料でそこのところを調べていたら、A資料では「中心」まで、B資料では「内端」までとなっていた。どっちが正しいのだろう。前に路側帯のことを記事にしたとき、B資料に基づいて書いた。A資料のほうが正しいなら、前の記事は間違っていたことになる。そもそも、内とか外とか、それにかわる左とか右とか、いずれの表現もわかりづらい。 路側帯には2本線のもあるが、それだとどこからどこまでか。2本線なら、ある資料では「中央よりその線の中間地点から路端まで」となっているのだが、この表現もさっぱり意味がわからない。 路側帯の幅なんかどうでもいいと思われるかもしれないが、広路狭路で問題になってくる。また、路側帯は最低でも50センチ(通常は75センチだが例外規定あり)ないと路側帯にならないから、狭い路側帯は路側帯ではなくて、車道外側線外になる。 本日は、路側帯を走行しているバイクとその右を走行している車の左折時の巻き込み事故について書こうと思った。ぼく自身、バイクを運転して巻き込まれそうになったことが何度かある。 バイクは路側帯を走行してはいけない(車道外側線外なら問題ない)。その点が過失割合にどう影響するのか。事故調査ではふつうにある事故だ。・・・で、とりかかったのだが、最初のこんなところでつまづいてしまった。こういう、細かくてそれでいて基本的なところがいいかげんなんだなあと痛感する。だれか教えてください。

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    • Maria Mena - All This Time

      心を鷲掴みにするというのはときどきあるけれど、鷲掴みにしたまま離さないというのはめったにない。そういうのは、「ロック」の「女性」分野に関していえば、ジャニス・ジョプリンとか、一時期のジョニ・ミッチェルとかくらいしか記憶がない。若い時は感受性が旺盛だから受け入れやすいが、年をとると感受性のハードルがすごく高くなって、ますます「鷲掴みにしたまま離さない」というのがなくなる。 Maria Menaは、ぼくにとってそのめったに起こりえない人のひとりだ。ノルウェーの ポップ歌手だが、日本ではまったくの無名。ネットで検索しても日本語ではひとつもひっかからない。アメリカ進出もやったものの売れなかったようだ。こんなに才能がある人なのに、売れていないのはともかく評価されていないのは残念だ。ぼくがMaria Menaを取り上げるのは今回が3度目だ。3回も取り上げた人っていたかなあ。 上のユーチューブの映像は「 Pinkpop 2009」とあったから、ネットで検索したらオランダで行われたコンサートだった。北欧だと有名らしい。ちょっとほっとした。 Cause & Effect/Colum ¥1,887 Amazon.co.jp

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  • 16 May
  • 15 May
    • 日本人の価値

      加藤周一さんの本を読んでいたら、人間の盾のことについて書かれていた。人間の盾というのは、自分の命を盾にして、軍事行動を阻止しようという考えであり、まさに命がけの行動である。パレスチナやイラクで人間の盾をやって軍事行動を阻止しようとしていたことを思い出す。加藤さんの本では、イラクでの人間の盾で平凡なドイツ人のおっさんが参加されていたことを紹介されていた。引用しよう。 人間の盾というのは、確か英国で始まったと思います。英語ではHuman Shieldsです。爆撃が始まる前に各国の市民たちがバクダッドに入る。爆撃をすると、その人たちは殺されるわけでしょう。だからこれはちょっとしにくいんじゃないかと思うんですが、実際にそういうことが行われた。ことにバクダッドの子どもを救いたい人が、幼稚園とか小学校があるところに行くわけです。そこに座っていれば、幼稚園を爆撃すると、座っている人も殺されてしまいます。そうすれば、攻める側も子どもがいるところを避けるだろうという考えなんですね。これはもちろん命がけの行為です。よほど勇気がないと、ちょっとできない。 日本からも、イラクに入ろうとしていた人がかなりいた。いろんな国から出ている。イラクはアラブ系の人が多いわけですから、そういう人たちに対しては、攻撃をしかける側は人命を大事にしない。米国人が殺されるとたいへんだけれど、イラク人が殺されるのは平気だ。攻撃者の姿勢にはそれが見える。だから、アメリカの市民が行けば非常に有効なわけでしょう。実際に何人が行っているわけです。西欧人が行けば、それはアラブ人とかアジア人が行くよりも、人種的偏見がありますから、より躊躇するだろうという考えがある。 その1人、50歳ぐらいのドイツ人で、・・・(政治)運動もやっていない。投資アドバイザーで大きな会社になれば投資信託ですが、個人でそれをやっている。だからふだんは金儲けのことを考えていて、それ以上は別に何という経歴もない。そういうドイツ人なんですね。その人が急にイラクに行こうと言い出したわけです。インタヴューで、なぜイラクへ行くのかと訊ねられると、理由は簡単で、イラクの子どもの命を助けたい、(殺されるのを)防ぎたい。イラクの人たちがやるよりも、私たち西欧人が行った方がより効果的だと思うから行くというんですね。・・・ しかし、(イラクへ)行くためには手続きがいろいろ必要なわけですね。彼にはよく知っている友人がいて、その人は活動家で、いろんな運動をしている人です。医者ですが、その人に電話をかけてイラクに行きたいと言うと、その友人は、いろんな組織とかかわりがありますから、ヨルダンから入る方法を教えてくれる。ヨルダンまで飛行機で行ってそこから地続きに入るんです。その友人が、彼は勇敢だからひとりで行くと言うんだが、私は自分の友人がHuman Shieldsでバクダッドに行くことを、誇りには思わない。しかし彼のために喜ぶと言っているんです。なぜ喜ぶのかというと、生きていることの意味を見つけたからです。投資をして儲かっても、それだけじゃなぜ生きているのかという意味がはっきりしない。自分の人生に意味を見出す道を発見した。だから彼のためにそれを祝福する。犠牲者という感じではなくて、彼自身のためにたいへん喜びますと言っているんです。 つまり、英雄的なたたかいということではないんです。特別な人ではない。おとなしい家庭の主人で、商売をしていて、息子が13歳という普通の人で、住んでいるのは西ドイツの小さな町です。その人生が変わる。変わることによって、生きていることの意味を見出す。生命を危険にさらすことを通じてですけれども、これはひとつの積極的な戦争反対のあり方だと思います。・・・ デモは大勢でするものです。何千人だって多いでしょう。ところがHuman Shieldsというのは、大勢で行きましょうというものではない。友達を誘うといったって命がけなんですから、帰ってこられるかどうかも分からない。だからこれは個人的な問題になります。個人の決意にもとづくものです。この問題は小さいように見えるけれど、戦争反対ということと個人との関係を鮮明に表している。それと、友達があなたのために私は喜ぶと言ったということですね。何でもないおとなしい人が、突如として命がけの積極的な行動に転じるということを深く考えたい。(P33-37 個人というのは、あるとき決心して生まれる。自由な個人というのは決断の結果です。生まれたときから自由なんじゃない。ある日、ある種の決断をすると人間が自由になる、つまり個人になる。個人というものは当人が作るものです。当人が作らなければ個人ではありません。(P38) 常識と非常識 (加藤周一講演集)2,808円Amazon この文章を読んでいろいろ考えさせられた。その中のひとつが日本人が人間の盾になったときどれくらい有効なのだろうかということです。日本人といってもエライ日本人ではない。ふつうの、ぼくやあなたが人間の盾になったばあいです。たぶんですが、ふつうの日本人は、たいして有効にはならないのではないか。西欧人と比べたら確実に有効ではないし、20年前の日本人と比べても、これも確実に有効ではない。ぼくはそう思います。 下にあるのは、落合陽一さんという方が、2015年末、ネット上でつぶやいた内容です。ちょっと読んでください。    「日本人のセルフイメージって2010年のGDPのままな気がする.中国に抜かれたって大きく報じられたから今でも僅差だと思ってる人多すぎる.今日本のGDPはアメリカの約1/4 だし,中国の半分以下だし,一人あたりは世界27位の貧しさだ。」 「2015年1人当たりのGDPって中国は80位、アメリカ11位、日本は27位ってよくね、とか、GDPがアメリカの1/4あれば世界の10%=すげー!とリブが来るんだが・・・2000年は一人当たり4位、全体2位だったんだよ・・・」 政治は三流だが経済は一流だというその経済が、日本はもうここまで落ちこんでしまったわけです。27位にとどまっていられる今はまだ幸運でしょう。来年はさらにどれくらい落としていることでしょうか。ところがそのことを認識している日本人はごく少数です。日本はいまだに経済大国で金持ちの国だと思っている。現実は、ふつうの日本人レベルでみるともう違います。まだ気持ちは2010年のままなんですね。 つい最近のことです。韓国からの50歳くらいの男性旅行者と話をする機会がありました。ぼくは韓国語ができませんが、あちらが日本語ができたからです。でも片言の日本語なのです。最初に、自分は日本語はできないと断ってきて会話が始まったのですが、なにしろ片言の日本語なので、よくわからないところが方々に出てくる。それで、あなたの日本語はわかりませんと正直に言ったら、怒り出しました。なにぃ、わからない・・・なんでわからないの・・・とか言って、怒りだす。10年前だったら、彼はこんなに怒ったでしょうか。たぶん、もっと謙虚だったと思います。 外国人による爆買い現象。今、日本のいたるところで見られます。昨年、ぼくの家に友人の外国人家族が2組来ましたが、ぼくの前だから遠慮せずに、日本のほうが安いとはっきり言っていました。ぼくの家族をみてそう思ったのかもしれませんが、日本人は思っていたのとは違って余裕もなく貧乏そうだとも言っていました。この二家族の関心は日本製の商品ではありません。日本で何がよかったかと聞いたら、日本の自然だよ、海や山やとにかく日本の自然はすばらしいということでした。 20年ほど前の日本人はアジアの各地を訪れて爆買いし、現地でも日本人は金持ちだと思われていました。ぼくのような貧乏旅行者でさえそう思われていた。しかし、今度は安いから爆買いされるアジアの各地のひとつに成り下がっているし、いまどき、ふつうの日本人が金持ちだと思ってくれる外国人もほとんどいないでしょう。傲慢不遜だった日本人が、今度はそれをやられる番に回っている。因果応報というべきです。 さて、これから日本はどうするかです。日本の国力をあげてかつてのようなジャパンアズナンバーワンの復活ですか。いまの日本では、少なくとも経済でいえば、それは成立しない、ということです。それが現実です。 爆買いをやれば爆買いでやり返される。傲慢不遜でやれば傲慢不遜でやり返される。こういうつまらん連鎖はもう断ち切るべきでしょう。日本人はこういう価値感を捨てて、もっと高みにのぼることだと思います。その高みも、日本を取り戻すというような偏狭なナショナリズムに走る方向でなくて、他民族と対等・平等の方向への高みです。 溝口雄三氏がこんな話をしていたので、もういちど引用させてください。 日本にとっての問題は、しかし、それよりもいつ中国が日本を凌駕する経済大国になるか、ということであろう。単純に計算して、中国人1人当りの生産高が日本人の五分の一になれば、人口で十倍強の中国は、総生産高で日本の二倍強になり、日本人と同等になればそれは十倍強になる。 日本のどこかの研究所で、そうなった時の日本人の社会心理の変化などを今から予測できているのだろうか。 経済力だけを誇ってきた日本人が、これまで見下してきた中国から逆に見下される時の劣等心理を、想像してみるのも悪くない。しかも悪いことに相手は四千年来の筋金入りの中華意識の持主である。生半可の優劣関係ではなくなる。・・・ だから、わたくしは今から事あるごとに中国の友人にこう呼びかけている。経済や文化を優劣の関係でみるのはもうやめよう。人類としての普遍的価値に立って、相互の価値を認めあおう。たとえば道徳性、人権の確立、平等と博愛などに立って扶助しあおう、と。 考えてみると、これは中国の友人によりも、目下の日本人に呼びかけるべきことである。(P141) 中国思想のエッセンス II―東往西来3,024円Amazon 溝口氏が20年ほど前に言われたことです。進むべき道はこちらではありませんか。

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      テーマ:
  • 14 May
    • 間違っていたらごめんなさい

      本日は、時間もないため、疑問に思っていたことを雑文として書き飛ばしました。もし間違っているようでしたら、ぼくの蒙を啓いていただけると助かります。ぼそぼそと書いたことなので、あまり怒らないでください。お手柔らかにお願いします。まちがっていたら、 すぐに削除します。記事はこちら。

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      テーマ:
  • 13 May
    • ぶつかってもいない事故なのに、どうすれば事故にできるのか

      別サイトに記事をアップした。こちらで書いた記事に判例を4つ追加して、さらに加筆した。まとまりがよくなったと思う。この手のまとめ記事はアクセス数が稼げるため、今後も意識して書いていこうと思う。こちらです。 ついでといったら悪いのだが、そういえば、ジャクソン・ブラウンを一度も取り上げたことがなかったように思う。最近のは別にして、だいたいのアルバムを持っている大のお気に入りの1人だったのに。こちらもどうぞ。

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      テーマ:
  • 12 May
    • 一生後悔するなら、吐き出してしまえ

      こんなことを書き公開したらある層からにらまれるのはわかっている。しかし、それでも書かずにいられない。交通事故にかかわった者としてここで黙っているなら、なんのためにこんなことにかかわってきたのかと後悔する。そんな後悔をするくらいなら、いっそのこと吐き出してしまえと思った。→新しい記事。  

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      テーマ:
  • 11 May
    • 雪道の事故のこと

      記事をひとつ移動させた。こちら。この記事はかなり反響があった記事だった。加筆して別サイトで公開した。

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      テーマ:
  • 10 May
    • 記事を2つ公開しました。

      交通事故に関する記事をふたつ書いた。ひとつはとりあえず記事にしただけ、もうひとつはイマイチ完成している気がしないが、とりあえず書かないと溜まるばかりなので、吐き出した感が強い。外傷性頸部症候群の打ち切り時期についての記事、こちらにあったものにかなり加筆したのだが、まとまりがないというか、まだ手直しが必要だと思います。溜め込まないで、とにかく何でも吐き出してしまえということで公開することにしました。いいかげん。

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      テーマ:
  • 08 May
    • リベラルからも大人気の半藤一利の「昭和史」を読了した。

      辺見庸という人は、海外特派員の経験が長かった元新聞記者だったから、ものの見方が横に広がるという特徴がもともとあった人だ。海外の経験と日本のそれとを比べてものを言う。考える。そういうタイプの人だった。 その対極にあるのが、海外との比較ではなくて、日本の過去との比較に徹する人たちだと思う。横へは少しも広がらないで、日本の過去へと遡ろうとする。そして過去の遡りも明治維新までくらいで、それよりも過去に遡ろうとしないのがその特徴だ。そういう人たちのものの見方はえてして偉い人の視点でものごとをとらえることになっていて、それだけに立脚して、きわめて細い糸でたぐりよせるような歴史観になっている。最近読んだ半藤一利の「昭和史・1926-1945」は、そのひとつ、いやベストセラーで、昭和史の第一人者だと言われているのだからその代表格だろう。 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)972円Amazon  横へ広がるのと過去に遡るのと、どちらにも一長一短があるだろう。しかし、辺見の場合は、これまでの横への広がりにくわえて、最近の書「1937」で、自分の父親に自分自身を投影することで1937年の日本の過去へと遡ろうとした。そのため、そこでの描写は、細糸をたらすような歴史観ではなく、もっと立体感のある骨太なものになっていると、「1937」を読みながらそのように強く感じた。  増補版 1★9★3★7(イクミナ)2,484円Amazon  日中戦争からアジア・太平洋戦争へ。これが通常の歴史書の描き方である。半藤氏の「昭和史」もまたその部類である。そして、たいていの歴史書はアジア・太平洋戦争の書き出しが真珠湾攻撃から始める。半藤氏の著書もまたその類なのだが、たいていの歴史書とはちがって、歴史学会ではトンデモ説の部類のひとつして完全に否定されている真珠湾攻撃陰謀説へと傾くのである。歴史修正主義の信奉者がアメリカがわざと日本に攻撃させたという類の「陰謀論」に、半藤氏は見事に乗っかるのである。 アジア・太平洋戦争は真珠湾から始まったのか。 一般向けの書、岩波新書「アジア・太平洋戦争」(吉田裕著)ではこうなっている。 1941(昭和16)年12月8日午前2時15分(日本時間)、日本陸軍のタクミ支隊は英領マレー半島のコタバルへの上陸を開始。続いて3時19分には、日本海軍の機動部隊から発進した第一次攻撃隊が真珠湾への空爆を開始、ここにアジア・太平洋戦争の幕が切って落とされた。(P9) アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)886円Amazon  日本政府はイギリス政府に対して何ら宣戦布告をしていない。「真珠湾」が「だまし打ち」だろうとなかろうと、たとえ陰謀説どおりに、アメリカが「やらせた」のだったとしても(そんな証拠はないが)、少なくとも日本はイギリスに対しては完全な一方的奇襲を敢行したのである。オランダや中国に対しては、宣戦布告の対象にすらならなかった。 たいていの歴史書は、その立場にかかわらず、戦争を「真珠湾攻撃」から語り始める。そして12月8日といえば「真珠湾の日」と記憶されている。しかし、時間の順序からいえばマレー半島侵攻から始めるべきなのだ。このあたりが、陰謀説が流布される下地になっているように思う。アジア・太平洋戦争は「真珠湾」からではなく、「マレー」から始まった。半藤氏の「昭和史」がベストセラーになり、リベラル界隈でも一定の評価を得ている現象は、この事実を認識している人がどれほど少ないのかを物語る現象ともいえる。     

      4
      テーマ:
  • 07 May

プロフィール

リュウタ×2

性別:
男性
自己紹介:
HNの「リュウタ×2」は中国語の溜达溜达【liūdaliūda】から借用した。「ぶらぶらする」とか「...

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なお、当ブログと無関係と思われるコメント、誹謗・中傷の類は基本的にはぼくの一存で表に出しません。それ相応の扱いを受けることをご了承下さい。

ところで、当ブログに個別の相談をされてこられる方がおられます。以前はそのような相談にもできるだけ応じておりましたが、メールだけの対応では、何か疑問があってもその場で聞き返せないし、資料の精査もできず、明らかな限界があるため、自信を持って回答することは不可能だということがわかりました。簡単な相談事ならともかく、複雑なものについては今後一切応じられませんので、ぼくのような無資格者よりも有資格者の方に直接お会いして事情を詳しく説明しご相談されてください。

最後に。現在、アメンバー登録については当ブログでは受け付けておりません。ぼくの書く記事にアメンバー限定のものは過去にひとつもなく、すべて「全員に公開」です。したがって、これまでアメンバーという制度を利用したことが一度もありません。将来的にはたとえば後遺障害とか休車損害とか、有志を募って意見交換をできればいいかなあ、その場合はアメンバーだけに限定するのがいいのかもと思いつつ、今のところそのような有志の方もおられないので、その必要性も感じておりません。そのため、アメンバーの募集はしていないのが現状です。将来的にはアメンバーを利用するかもしれませんが、現状はこのようなので、登録をご希望される方には申し訳がありませんが、現在、募集をしていないことをご了承願います。


(小出裕章)
私は単に原子力の専門家にすぎません。その私はもちろんみなさんに対して原子力に対する専門的な知識を出来る限り提供するというのが、私の役割だと思いますけれども、原子力の問題というのは、単に原子力発電所という機械のテクニカルな問題だけではないのです。地域の問題であったりするわけですし、労働者の問題であったりもするわけですし、もちろん健康の問題でもあったりする。
「私たちがどのような社会を作りたいのか」という、むしろ一番根本的にはそれがあるわけですから、どなたにとっても「自分にとって本当に切実な問題」として関わってくる場所があると思います。そういうところにお一人お一人が関わって下さって、そしてそれが横に繋がっていくというやり方がいいのだと思います。


たかしズムのたかしさん作成




3・11。あれからまだ4年しかすぎていないというのに、原発事故はまるでなかったかのようだ。ぼくは期待した。あの日から日本が少しは変わるのではないかと。しかし、何も変わっていないように思える。停電が嫌だ? 電気料金の値上がりが嫌だ? そんなことが命よりも大切なんかい!子供の未来がどうなってもいいんかい!いい加減にせいよ。

のど元すぎると熱さを忘れるとはよく言ったものだ。もう忘れちゃたのか。原発を推進してきた連中は、国民のこの度しがたい忘れっぽさにきっと安堵していることだろう。これならまた原発を再開できる。また同じような事故が起こっても、次も自分たちの責任は追及されることなどないだろうときっとタカを括っていることだろう。

そうさせないためにも、反原発の流れを止めてはいけないと思う。







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