基礎編 の次は、人間のBIOSについて考えて行こう。

ここで言うBIOSとは本能や感情など、言語化されない部分のプログラムだ。


何故、こう言った部分をBIOSとしているのかと言えば、人間だけが言葉を使いコミュニケーションにも言葉を使う。

何かを考える時も言葉で考え、思考や意識も言葉を使っている。

しかし、言葉を使わない動物も感情もあれば行動もするし、記憶もある。

人間も猿から進化した時点では言葉を持っていなかっただろう。

言葉と言うOSを取り外した人間をを考えてみると、人間の心の矛盾を理解し易くなる。



人間の脳のBIOSを考えるには、サルからヒトへの進化を考える必要がある。


人間の脳は大脳新皮質が8割を占める。

その大脳新皮質の大きだが、ある研究のデータで面白いデータがある。

色々なサル集団の大きさと、大脳新皮質の割合をグラフにすると集団が大きい種族のサルほど大脳新皮質の割合が大きくなる。

そのグラフに人間の大脳新皮質の割合を当てはめると、人間は150人程度の集団で暮らしていたと推測され、人間の脳は多くの集団で生活する為のコミュニケーションの処理する為に脳が発達したと考えられる。


つまり、人間の脳のBIOSはコミュニケーション仕様になっている訳だ。

その為、人間はコミュニケーションを求めるBIOSが組み込まれて生まれてくる。



面白い実験がある。

生後数時間の赤ちゃんに、母国語と他国語を聞かせると母国語だけに反応し、母国語の動詞や名詞等の意味のある単語と前置詞や冠詞等の意味の無い言葉を聞かせると、意味のある言葉だけに反応する。


つまり、生まれた時には言葉を聞き分ける能力がBIOSとしてインストールされている。


まあそれは人間に限った事ではない、犬でも猫でも生まれた時から自分の親の声は聞き分けている。

人間は、言葉と言うOSを使うので気付き難いかもしれないが、動物共通の声の出し方のBIOSが存在している。


基本的には音の高低と長さと音質などの音楽的要素だ。


例えば、攻撃性は腹の底から出す様な低音が使われる場合が多い。

犬は「ウ~」と唸り、低音を出せない猫は「シャー」になる。

人間もヤクザ屋さんのように「ドス」の聞いた声が威嚇に使われる。


それに対し、悲鳴系の声は高音になる。

犬は「キャン」猫は「ギャ」、人間は「キャー」だ。


低音で怒られると怖いが、高音で怒られてヒステリックに感じるだけだ。


「呼ぶ(存在の確認)」と言う事にも共通点がある。

狼や犬の「遠吠え」は「ウォ~~」と長く伸ばし、猫も「ニャ~~~」と長く伸ばす。

猫の盛りの時は「ギャ~オ~」を繰り返す。

人間も「お~い」「どこだ~」「ここだ~」「たすけて~」と言葉を伸ばしている。


この声のBIOSは結構重要だ。


次に、視覚的なBIOSなのだが、基本的には表情の読み取り能力だ。

その基本となるのが「視線」である。

犬も、飼い主とコミュニケーションを取る時は飼い主の目を見るように、視線は他の動物にもある基本的なBIOSだ。

人間の赤ちゃんも、母親が赤ちゃんの目を見て笑顔で話をすると喜び、母親が一方的に視線をそらすと、それは赤ちゃんにとっては母親の「拒絶」を意味し不安になり泣き出す。

怒った顔で楽しく話しかけても戸惑い、笑顔で悲しい声で話しかけても戸惑う。

これが、人間の表情を読み取る基本的なBIOSである。


以前、「ダ」の発音の顔の映像に「バ」の声を合成した映像を録画したのだが、これが結構面白い。

映像を見ながら声を聞くと「ダ」に聞こえ、目を閉じて聞くと「バ」に聞える「音韻修復」と言われる脳の錯覚だ。

これを、癲癇の人に聞かせると、目を開けていても「バ」に聞えていたし、解離性生涯と躁鬱病を併せ持つ人に聞かせると、目を開けて聞くと「ダダダーダ」と聞こえ、目を閉じて聞くと「ババザーダ」に聞えていた。

そして、息子の不登校で相談に来た母親と長女に聞かせると、目を開けて聞いても、目を閉じて聞いても、二人とも「何て言っているのか分からない」と答える事すら出来なかった。


つまり、聞え方に病気の特徴が見事に現れていた。

病者でも健常者でも、自分なりの答を口にする。

それは「バ」であったり「ダ」であったり「ザ」の場合もあるし、「え?何ていっているの?」等、聞き返してくると言う選択もある。


問題はこの母娘である。

この母娘は脳内のデータ処理にエラーが出ている事を示している。

そう言った情報処理のエラーが「漠然とした不安」となり「分からない」と言う答すら口に出来なくなる。

面白いのは、ビデオが終了して、この母娘に「分かりませんでした?」と聞いても、二人とも5~10秒程度声を出す事も首をかしげる事も、振り向く事も、何の行動も出来なかった事だ。


つまり「フリーズ」である。

しかも、母娘揃って同じ反応を見せている。

ちなみに、次女は発達障害系で、末っ子の長男は不登校で、家族であっても相手の顔を見て話をする事が出来ない。

その息子を見なくても、この母娘の反応を見れば息子の現状が分かる。

少し動物の世界に目を移すと、親からはぐれると言う事は死を意味する。

その為、親からはぐれた赤ちゃんは必死に親を探そうとする。


人間にも同じ様なBIOSが備わっている。

それが別離不安(見捨てられ不安)である。

この別離不安は、幼年期だけの限定BIOSで成長すると消去される物なのだが、人間の場合、消去に失敗する人もいる。


そして、動物が生き残る為に一番必要なBIOSが危険認識だ。

危険認識は生涯アップデートされるセキュリティーソフトのような物で、危険を体験する事でアップデートされるのだが、人間は「危険の原因を取り除く」と言う方法をとる為、アップデートされない。

その為、個人個人のセキュリティーソフトが更新されず、無防備な状態になっている。

これが少し厄介なのだが、幼年期から自分で危険を体験してアップデートを重ねていれば、セキュリティーソフトは最新バージョンで、新しいパターンファイルをインストール出来るが、自分で体験せずにセキュリティーソフトのアップデートをしてこなければ、最新のパターンファイルがインストールされない。

そのパターンファイルに相当するのが、ニュースなどの報道である。



ここまでが、基本的なBIOSなのだが、これとは別に集団で生きる動物に必要なBIOSがある。

その一つが「ジェンダー」つまり社会的性別である。

まず、群れを成す哺乳類を見ると、リーダーが存在し、そのリーダーにメスはいない。

つまり、オスは群れを守りメスは子育てをする。

そして、序列がある。

それが、集団で生きる哺乳類のBIOSになっている。


人間はそこに、人間的な社会性が加わる。

それが「協力」と「分け合い」だ。

これは先の危険認識が関係してくるのだが、協力と分け合いの基本原則は相手を信じる事である。

自分が相手に分け与えても相手が自分に分け与えなければ自分が損をしてしまう。

相手に協力しても協力してくれなければ協力関係は成り立たない。

損をさせられた相手はセキュリティーソフトのパターンファイルに加えられる。

その協力を可能にする為のBIOSが人間には備わっている。

それが「人の目」である。

人目を気にすると言う感覚がこのBIOSで、空き巣が人目を避けるのも同じBIOSが働いている訳だ。


人間はこの協力と分け合いと言う概念を子供の頃の遊びの中で学ぶ。

分け合いは、「交代」や「かわりばんこ」と言う概念で、「私はやったから、次は貴方」と言う事が基本になる。

これは、人間としての社会性とって重要なBIOSになる。


自分がやりたいと言う自己主張は、生まれながらにBIOSに組み込まれているが、その自己主張を抑える為の自己抑制は、生まれてからプログラムされる。

それは、犬を見れば理解できる。

生まれたばかりの犬は母犬の乳を飲むが、我先に乳に吸い付き兄弟に分ける事をしない。

そんな犬でも、飼い主のしつけで「待て」を覚え、しつけがされていない犬は「待て」を覚えない。


先の、交代の概念に必要な事が「自己抑制」である。

子どもに一つのおもちゃを「交代で使いなさい」と与えても、独占したり共有したりしようとする。

独占した場合、誰かが注意する事で仕方なく覚えて行くのだが、共有を選択した場合誉めてしまったりすると、自己抑制のBIOSは不完全なまま育つ。

自己抑制が不完全なBIOSの人は、他人のセキュリティーソフトのパターンファイルにアップデートされる。


ここで、もう一度、基礎編で書いた事を踏まえて説明し直すが、感情は「半導体」のような物。

ONとOFFのスイッチング機能だけで、それを司るのが意識下のBIOSである。

パソコンもOSやアプリケーションからBIOSの設定が出来ないように、人間も意識と言うOSや道徳と言うアプリケーションではBIOSで動く衝動や感情をコントロール出来ない。


人間をパソコンに例えてこんなトンデモサイエンスを書いているのは、今の世の中BIOSをOSやアプリケーションでコントロールしようとしている様に見えるからだ。


生まれ持って備わっているBIOSは修正出来ないが、経験によって作られるBIOSは必要な経験を必要な量だけ体験させればバグを取り除く事が出来る。




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