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前のお話→179.襲撃者達~その紅い唇をアヒルみたいに曲げて可愛く拗ねてそっぽ向くのは… 作戦なの?
本日は 177.激渦~貴女がお遊びで放った石で出来たほんのささやかな波によって溺れてしまいそうになる に次ぐシン目線です
俺とチェギョンとユルを守る為には計画を急ぎ進めようという 母上の強い意志により
茗禪堂の建て替えは決定したものの 工事の期間が雪深い季節に掛かってしまうため 秋に解体を済ませ 春を待ってから建設に入る事が決まる
俺の心は幾分軽くなったものの…
あの朝は確かに 俺とチェギョンを気遣い「シンの言う通りにしなよ」と言ったユルが 蓋を開ければ掌を反すように反対に回った
ユルの中で 何か変化が有ったことは間違いない
俺の中の ユルへの懐疑心は膨らみ 猜疑心へと変わって行く
王族の爺さんたちには靡かなかったユルが 同世代のソ・ジテとキム・ミルに心を操られているのでは…コン内官に入る報告によれば相変わらず密に会っているらしい…
あるいはやっぱり女官達の言うようにチェギョンに好意を…
チェギョンにも ユルにも 俺の傍に居て欲しいと望むのは そんなに贅沢な事なのか?
パビリオンで 長椅子の端にちょこんと腰かけて俯くチェギョンは
長椅子の端に細い指先をかけて 白い花びらの浮いた水瓶を ぼんやりと眺めていた
カシャリ… 俺の頭の中で シャッター音が響いた…
最近の俺は 何故だか 彼女の何気ない表情を いちいち覚えておきたくて
知らないうちに これが癖になっているようだ…
愛しくて傍に置いたのに…こんな哀しい顔をさせているのは お前なんだ…忘れるなイ・シン…そう戒め 心に刻むかのように…
俺は一呼吸置いて 沈んでいる彼女にわざと明るく声を掛けた
「ご機嫌は如何ですか妃宮媽媽」
ゆっくりと此方に顔を向け なんとか作ったような笑顔を向ける彼女
「お帰りなさい…」
作った笑顔は長く続かない
「ふぅ… やれやれ… ご機嫌は麗しくないようだ…
食事はちゃんと摂ってるのか? 顔色が良くない…」
「食べてるよ…」
水瓶に視線を戻して つまらなそうに唇をゆがめて言った
チェ尚宮からちゃんと報告は挙がっている
昼はアワビ粥を少し口にしただけでろくに食べなかったし
お茶の時間にも フルーツの盛り合わせに手を付けなかったらしいじゃないか…
「お前の食欲が戻らないので 料理長も頭を悩ませているらしいじゃないか…」
彼女はなにも言わずに唇をすぼめて頬を膨らませ 肩をすくめている
夕食を摂りながら 以前だったら これはなあに?何の味付けかしら?と
おしゃべりの止まらない彼女も ここ数日めっきり沈黙だ…
学校を休んでいるのは正確には…十日か…だが 二週間にも三週間感じられる…
その間 妃教育を休んだり 出席する予定の公務を二つキャンセルした
世論は厳しかったが… 宮中では 俺は勿論 他の誰もチェギョンを責めはしない
だが もう俺も いい加減限界に来ていた…
「いったい何がそんなに気に入らないんだ?」
俺はついにそんな言葉を口にしてしまった
「…別に 何も… ただ… 気持ちが浮上しないだけだよ…」
「どうしたら浮上するんだ?俺にどうして欲しい?うん?」
「そんな… 殿下は別に何も…」
せっかく少しずつ食べていたのに 箸を置いてしまった…
はぁ… 俺は何をやっているんだ…
「そろそろ… お妃教育を再開しなきゃね…
このままじゃいけないのは わかってるの…
でも 本当に どうしたらいいのか 自分でもわからなくて…」
「出された薬は ちゃんと飲んでいるのか?」
「飲んでるよ… すっごく苦いの…」
鼻に皺を寄せて笑うが 次の瞬間にはもう消えてしまうほどの微笑
「でももう飲みたくないな… 明日からお妃教育再開するから
お薬 止めて貰えないかな?」
「ダメだ… 妃教育なんかまだいいから 食事をちゃんと摂って薬を飲め
減りすぎた体重を戻して 医者からお墨付きを貰うんだな」
「もういいのに… 体重だって 減ってちょうど良いくらいなのに…」
減って良いわけが無い やせ細って 表情もうつろで お前の愛らしさが半減したぞ
「聞き分けがない妃宮は 少し お暇を頂いて 実家にでも帰ってくるか?」
本当は言いたくなかった最後の切り札を出したつもりの一言だったのに
彼女は何を思ったか とんでもないことを言いだした
「あたし とうとう ここを追い出されるのね」
なんて…
ちょっと待て そうなのか?
お前は未だ やっぱり俺を置いて出て行くつもりなのか?!
「はぁっ?!」
「だってそうでしょ?あたしなんてなんの取り柄も無い小娘が
たいして具合悪くもなさそうなのに 寝込んで いつまでも部屋から出ないで 学校休んで
お妃教育までサボって…
不仲だと噂されるのを引き攣りながら なんとか取り繕う事なんて
いつまでも続けられないよね? もうあたしなんてさっさとお払い箱にして
今度こそちゃんと 王族のご息女をお妃様にすればいいんだもの
そうしたら お妃教育なんて殆ど必要ないしね」
「お前… 本気で言ってるのか?」
「そ…そうよ…だって…」
だってなんだよ? もう死にそうだっていうのか?
「俺は!…元気だけが取り柄のお前が いつまでも臥せっていたんじゃ つまらないし…
不仲説も消えないままだし…
家に帰って好物でも食べて 弟と戯れでもすれば
少しは気が紛れるかと思っただけで…
帰ってこなくていいなんて ひとことも言ってないだろう?
なにを勝手にいじけているんだ?」
「い!…いじけてなんか ないもん…」
「いじけてるだろう?!
チェ尚宮は お妃教育の進み具合よりも お前の体調を重視してくれているし
女官たちが お前の好きな花を生け 果物を剥き お茶を入れて
お前の気分を変えようと気を使っていることぐらい お前も解っているんだろう?
なのに一向に東宮殿(ヘヤ)を出ようとしないお前は
こんなに皆を困らせてるじゃないか…」
こんな事言わなくても… 頭ではそう思うのに 動き出した口が止まらなかった…
「わかってるよそんなの… 腫れ物に触るみたいに優しくされても…鬱陶しいの!
ちょっと一休みするつもりが 立ち止まったら歩けなくなっちゃったんだもん!」
彼女もいっぱいいっぱいだったんだろう…
俺に投げつけるように言うだけ言って 自室へ逃げ込んだ
「待てよ!…」
部屋の前まで彼女を追ったが ガラス戸の向こう 窓枠に凭れて空を見上げて
泣くのを我慢しているようなその姿に 俺は掛ける言葉が浮かばなかった
彼女の脚は 完治しないかもしれない…
お前は自由の翼を持っていたというのに 飛ぶことはおろか 歩き方も解らなくなって戸惑っているんだな…
お前の翼を捥いで 宮中に閉じ込めた俺が憎いか?
お前に愛されたい俺が お前の他に どんな女を愛せると思ってそんな事を言うんだ…?
またあんな噂に縛られているのか?
そう… いつの間にか 俺達はいつか離婚して 皇太子は王族と再婚するなどと噂され始めていた
ユルが掌を返し… チェギョンも また…俺を置いて行くのか?あの時みたいに?
追二兎不得一兎
二兎を追うものは一兎をも得ずとは…まさにこのことかもな…
じゃあ… どっちに 俺のそばに居て欲しい? どっちなら 俺の傍に居てくれる?
馬鹿げてる…いくら考えても…答えなんか出ない