水のサインを定位置とする4ハウス、8ハウス、12ハウスは外部から見ることのできないハウスです。
その1つ前の3ハウスはコミュニケーションだし、何なら自分から歩き回る。そして7ハウスは人間関係だから、誰からも見える。そして11ハウスも人間関係に近く、信頼関係と言っても良い部分なのでやはり人から見える。あるいは本人の才能としても、よく見える部分です。
ところが4ハウス、8ハウス、12ハウスというのは周りからは見えません。
家族も、遺伝や遺産も、頭の中も、本当の意味で周りの人が知る術はないんですよね。
4ハウスは、丁寧に作っていくべき場所だしあるいはそもそもその人の中では当たり前のこととして横たわっている部分。
外に出ると「あれっ、うちとルールが違う…」なんてことに気づくわけですが、これは要するに4ハウスのことは外と比較ができない、つまりは隠されている場所だからです。
家の中のルールなんて、外で話すものでもないし、悩みとしても人に言いづらいし、逆に踏み込まれたらちょっと嫌な気分になる人もいるでしょう。これはかつての嫁姑問題にも通ずるものがあるのではないでしょうか。あくまでもそこで作られた家庭に、いくら家系は同じとは言え、首突っ込むなよ、と。
8ハウスも当然外から見えるものではありません。
父親を知っている人からは「お父さんに似てるね」と言われるし母親を知っている人からは「お母さんに似てるね」と言われる。あるいは、遺産相続みたいなものは外にオープンにするものではありませんから、これも外からは見えないし、見せないようにする部分。その人がもらい受けているものは、よっぽどの資産家でない限りは見えないし、本人も見せないわけです。これは恵まれている部分にしても、そうでない部分にしても同じです。
4ハウスから見れば5ハウスめに当たるわけですが、4ハウスがあるから8ハウスの表現ができると考えれば、遺産などは分かりやすい例です。しかしその性質はもちろん引き継がれるので、オープンではないという性質がそのまま継承されます。
12ハウスで言うと、本人の頭の中ですから、そこに何が眠っているのか、知ることはできません。何なら、本人もまだわかっていない部分もあるでしょう。
今年の前半に坂本龍一が亡くなりましたが、彼の頭の中にはいろいろな構想があったかもしれませんよね。もしかしたら次のコンサートはこうしたいなという希望があったかもしれないし、人知れず絶望的な気持ちになっていたかもしれない。こうしたことは、外には漏れようがないわけです。もちろん、鬼籍に入った人の気持ちなどもう誰も知ることはできませんが、それだけではなく本人も自覚していないこと、あるいは人には言いたくもないことなど、いろいろな側面があります。
8ハウスから見て5ハウスめということも、大事ではないでしょうか。
8ハウスの結果もらったものについて、あるいはリソースについて考える。それをいかに使うか。いかに大事にするか。いかに処理をするか。そうしたことの計画は、12ハウスで行われ、それはその人独自の「表現」として頭の中に発生するわけですね。
12ハウスはよく「隠れた部屋」と言われますが、4ハウスも8ハウスも隠れた部屋です。
そしてもっと言うなら、4ハウスによって個を保護され、8ハウスで保護してくれた人をさらに保護してくれていた人達の存在を知ることになり、そこから脈々と続いてきたものを知り、12ハウスで個の意識に戻るわけです。4ハウスには個の意識はありません。ここは小さい社会性であり、対向には10ハウスがあります。だから、小さいとは言え集団の中の個でしかないのです。
そして個の意識を取り戻した12ハウスから、また同族の中にいる安心感を求めて4ハウスへと意識をつないでいきます。
12ハウスの5ハウスめ、つまり表現をするのが4ハウスと考えれば、家庭では個々人の意識や考えが保護されてしかるべきだと考えます。
しかし、これらのハウス…家庭や、介護施設や介護をしている現場、病院などでは立場的に弱い者が発生するために、虐待などが起こりやすいのもある種密接な関係を築けるからこそなのかもしれないと思うと、切なくもあります。