実は今、
ふとした成り行きがきっかけで、
あるグループに、《ある事》を教えている。


そのグループとは、

将来再起を目指している若者たちだ。


若者と言っても、
あくまでも私よりも年下を指しているのだが(笑)。


彼らは今まで、
多くの会社や事業で失敗してきた。


人生に置いて、
どん底を味わった人たちの集まりだ。


全財産を失い、
家庭を失い、
希望を失い、
残されたのは自分の命だけ。


皆、4年生の大学で経済学なり経営学を学び、

ちゃんと卒業してそれなりの企業に勤めたり、

会社を興してきたが倒産…。

 

今ではアルバイトや夜勤で、
何とか今日一日の命を繋いでいる。


「もう自分の命以外、失うものは何もない…」
と、彼らは口を揃えて言う。


そんな彼らに対して私は、
かなり厳しく接している。


「なぜ自分はそうなってしまったか…」を、

考え続けるための《課題》を毎週出し続けた。

 

甘えは一切許さない。

 

今まで培った、
私なりの経営の考え方全てを、

彼らに叩きこもうとしている。


こうやって経営学を教えるのは、
会社経営をやりながら、

映像の専門大学で講師を1年間引き受けた時以来である。


それは20年ほど前になるが、
今でもその当時の生徒から近況報告の手紙が届く。


現在では経営者は元より、
NHKや民放のディレクター、
造船会社の経営陣、
あの六本木ヒルズに住んでいる者もいる。


なぜか、
全て無一文からスタートして、

《自分に課題を出し続けた者》達ばかりが生き残っている。

 

今の日本経済では、

起業して20年生き残ってる会社は、

1,000社中で3社のみ。

 

997社は倒産の憂き目に遭っているか、

事業を整理したかのいずれか。

 

当社JESグループは法人登記では創業30年、

私が実際に独立してからもう31年も経った。

 

30年ともなるとその生存率は0.02%…、

つまり、5,000社中1社しか存続できないのが現状だ。

 

※「会社生存率統計」による。

 

 

倒産はである。

 

社員やその家族を初めとして、

取引先や銀行、

そして何よりもお客さまに迷惑を掛ける。

 

どこかの国では、

実際に懲役を科す場合もあると聞く。

 

また、

会社の目的として「社会貢献」を挙げている所が多いが、

実際には10年ほどでほとんどが倒産し、

社会に迷惑を掛けているのが現実なのだ。

 

私自身、

貧乏の中で大学まで行かせてもらい、

最初に就職した会社が1年目で倒産、

次の会社も1年目で倒産、

そして3社目も1年で…。

 

こんな経験も珍しいとは思うのだが、

ただ、どれだけ倒産というものは、

惨めで辛いものだという事を肌で知った。

 

大学で学ぶ経営学など、

何の役にも立たない。

 

むしろ「弊害」になるかもしれない。

 

よって、

先ほどの私が教えていた専門大学では、
学校で事前に用意された「マネージメント論」の教科書など、
1ページも開くことはなかった。


全て私が経験した失敗談、
そして多少の成功談、
そして物事の《捉え方や考え方》を教えた。


以前ブログにも載せた、
『砂漠の旅人』の話もその一つ。

 

※参考:「砂漠の旅人の答」
http://ameblo.jp/jesmotoi/entry-12140532110.html#main

 

今この若者たちにも、
その当時と全く同じ講義をしている。


一番最初に私が彼らに教えたのが。。


『あなたの欲しいものは何ですか?』

…のレクチャーだった。

 

※参考:「あなたの欲しいものは何ですか?」

http://ameblo.jp/jesmotoi/entry-12131966622.html


以前のブログでも紹介したが、
今回はその詳細をお話ししよう。

 

二人でペアを組み、
30分間、
この質問を相手に浴びせ続ける。


真っ先に出てくる言葉は皆、
予想通り、
「お金」


一つ答えると、
すぐにペアの相手がまた同じ質問を投げかける。


『あなたの欲しいものは何ですか?』


「マイホーム…」、「車」…、「高級なスーツ」…


しかし10分もすると、
ほとんどが考え込み、
何も言葉が出て来なくなる。


そこで私は、
こう言い換えるよう指示する。


『あなたが、
《本当に》欲しいものは何ですか?』


ただ、
『本当に』を質問に付け加えただけだ。


すると皆また答え出した。


ところが、
その答えに少し変化が現れた。


最初はお金とか家とかの《目に見える物》ばかりだったのだが、
魅力とか包容力とか統率力とか権力とか、
物以外の
《目に見えないもの》に少しずつ変わってきた。


それでもまた数分経つと、
あちこちで考える時間が長くなり、
言葉が詰まり始める。


そこでまた私は、
質問の内容を変えた。


『あなたの欲しいものは《それだけ》ですか?…』


するとまた出てくるから不思議だ。


しかも、
あの最初の全員暗かった顔が、
皆、
《明るい顔》に変わり始めた。


あちこち笑い声さえ聞こえる。


つい数か月前まで、

自殺を考えてた人たちには見えない。


みんな頭が疲れて朦朧として来たのだろう、
「布団…」と答えたり、
「頭痛薬…」と答えたり、
「お金製造機」と答えたり、
「恋人…」と答えたり、
「特上カルビ…」と答えたり(笑)。


思いつくまま、
自由に喋らせる。


とても楽しそうだ。


欲しい物を相手に聞いてもらうだけで、
本当にそれを手に入れたように、

妙な満足感が芽生えるから不思議だ。


「既に、

自分の欲しかった物が目の前にあるじゃないか!」


そんな感覚にすらなる。


ただ、また数分すると、
誰も言葉が出て来なくなる。


それもそうだろう、
通常のセミナーでは長くても15分なのに、
その倍の30分も同じような質問を投げかける訳だから。


意識は完全に朦朧としている。


頭が麻痺して、
自分はいったい何が欲しいのかも分からなくなってくる(笑)。


実はそれを待っていた。


《本当の自分》は脳の中には無い。


脳で考える以上の、
もっと奥の深い部分、
心の中の本当の自分(魂)が欲するものを、
自分で見つけてもらいたかったからである。


もう笑っている者は誰もいない。


25分経過した時、
最後の質問を投げかける。


『今まであなたが言った物がすべて手に入れば、
もうそれ以外、何もいらないのですか?』


この質問以降、
深層の、
本当の自分である魂との会話が始まる。


「地球…大地…水…空気…」


『それ以外、もう何もいらないのですか?』


「太陽…光…熱…」


『それ以外、もう何もいらないのですか?』


「友人…家族…子ども…親…お母さん…」


…あちこちからすすり泣きの声が漏れ始める。


聞き役の質問者も涙を流し始めている。


それでも容赦なく質問を続ける。


今度は質問者も、
相手が答えやすいように聞き方を自由に投げかけてもらう。


質問者も意識は朦朧としている。

 

相手の欲しいものを聞きながら、

自分でも自問自答しているようだ。

 

聞く役割を忘れて、

ただうなずいているだけの人もいた(笑)。


『本当にあなたが欲しいものは?』


「平和…平和な地球…安全な世の中…」


『あなたは本当に何が欲しいのですか?』


「安定…安心…安心した暮らし…希望…幸せ…」


『それ以外、何もいらないのですか?』


「愛…愛情…愛し合える人…家庭…支えたい人…」


『もっと欲しいものは無いのですか?』


「信頼…信じ合える人…生きる勇気…」


『あなたにとって一番欲しいものは何ですか?』


「幸せ…周りの笑顔…みんなの笑顔…喜び…」


『それ以外、本当に何もいらないのですか?』


「心…本当の…真心…優しさ…心の強さ…」


『あなたの心から欲しいものは何ですか?』


「安らぎ…心の安らぎ…」


『それ以外、

本当に、本当に何もいらないのですか?』


「安らぎ……ありがとう…(泣)」


もう皆が、
くしゃくしゃの顔になりながら、
《目に見える物》を欲しいとは思わなくなっていた。。

 

 

人は、何を求めて生きているのだろう。


特に今回多かった男性の場合は、

お金だろうか

名誉だろうか

権力だろうか…。


それらは全て本当の自分が欲しいもの…

《目に見えないもの》を手に入れるための手段にしか、

過ぎないのではないだろうか。

 

平和な世の中にするのにお金が必要だろうか?

 

希望にお金が必要だろうか?

 

愛にお金が必要だろうか?

 

信頼にお金が必要だろうか?

 

みんなの笑顔にお金が必要だろうか?

 

本当の真心、優しさ、強さにお金が必要だろうか?

 

『心の安らぎ』を得るのに、

本当にお金だけあれば良いのか?…

 

※「安らぎ」とは、

満ち足りた状態での《ゼロ意識》。

 

実は人は皆、

目に見えるお金や物が本当に欲しいのではなく、

心の底ではその先にある、

《目に見えないもの》を求めているのではないだろうか。


共通の“何か”を。


本当の自分が欲しいもの…


そして大切なもの…


その答は自分の心しか分からない。


自分の心で、
自分の魂でそれに気付いてこそ、
目に見えるお金も物も、
その裏に潜む大切な真実が見えてくると思うのだ。


この世は、見えるものと見えないもの…


どちらも大切な陰陽調和の世界に、
今、私たちは間違いなく生かされている。

 

最初に誰もが欲しいと言った『お金』…、

その欲しいお金の裏に隠された目に見えないもの…。

 

『お金』とは、

目に見えないものを手に入れるための手段なのかもしれない。

 

最低限の、

生きるための衣食住さえあれば…の話だが。

 

それすらない子ども達は、

それこそ世界にたくさんいる。

 

経営者にとって、

お金を得る目的が当たり前のように正当化されている。

 

利益追求…。

 

それだけを求め続けた会社は、

ほとんどが倒産している。

 

『単なる物質的なお金』の先にある、

大切な目的を見ようとしないからだ。

 

よって、

お金儲けだけが目的であってはいけない。

 

そのお金をどう使うかが問われるのである。

 

それをはき違えると、

お金は去って行く。

 

このように私が教える経営学とは、

本当に自分が欲しいものを知ってこそ、

お金の真実を知る事ができ集まって来る…

と若者たちに教えている

 

※参考『お金の法則』

https://www.youtube.com/watch?v=Adrqqe7eRvY

 

 

●おまけ

 

12歳の時、父が大借金を抱えて死に、

お金がなくて一家離散の手前でビクビクしてたけど、

母と兄弟でちゃぶ台を囲んで食べたご飯が一番楽しくておいしかったなぁ…

味噌汁だけでおかずはなかったけど。。(笑)

 

感謝…。

 

※ではなぜ今、

「プランタープレゼント企画」を行ったのか…?(笑)

物質的な「プランター」の先にある、

《目に見えない大切なもの》とは?